昨日は、ずっと前からブログを見ていただいてる方にお会いしました。
調整をしながら、体に関することを話していくと、文字で読んだブログが
本日は音声でという感じだったと思います。
話しながら、自分はこんなことを思ってるんだと後から感じてしまいますが、
話すことも体から本能的な感覚ででているようです。
本能的感覚をみんな忘れてしまうので体が不調になるのです。
見て瞬間に美しいと感じる。
静かに寄せる波も、曇り空の朝、水面を流れるようにゆく舟も
美術館にいるような感覚で周辺を見ているといい絵がいっぱいあります。
日本人が英語が苦手なのは頭の中で一度変換してしまうからだといいます。
綺麗だとかおいしいだとか、いいにおいだとか、それ自体も
一度変換、あたまのなかで、これこれこういう理由、
これは感じているのではありません。感じると考えているのです。
働いてものを消費して何か手に入れるごとに幸せだと感じるではなく考える。
だから繰り返してもすっきりしないのです。
心を豊かにするのは、自然の環境だけで十分与えられているのだろうと思います。
あとは気づくかどうかだけ。
夕日は既に沈んでしまいました。たまには写真も撮らず沈んでいくのを
眺めるのも良かったですよ。
休日に借りていた映画を見ました。MAKOTOという邦画です。
東山紀之と和久井映見がでている映画なのですが、最後はせつなくもあり
また、心はほっとする映画でした。
女性が男性の胸に背中をあずけてリクライニングシートのようにすがっていて
そして同じ方向を何も語らずじっと見ている、そんなラストシーンです。
見ている先は、こんな感じかなぁと思いながら見た夕日でした。