何年か前から気になっていた県道32号新見市下熊谷地区付近から見える山の中腹の岩の部分、いつか写真を撮りたかったのですが、今日、車をとめて写真を撮りました。
この中腹の岩の部分を拡大してみるとこんな感じです。
新見市民おなじみの「たまがき」に見えませんか?
勝手に名づけて「たまがき岩」。
たまがきとは中世の新見庄(にいみのしょう)(=この地域は京都の東寺の庄園でした)の女性で、東寺から派遣された祐清という僧に恋をしましたが、その祐清が殺されたため、祐清の形見を求めて東寺に送った書状がユネスコの世界記憶遺産に指定された当時百合文書に含まれているのです。
中世の一般庶民の書が残されているのは非常に珍しいということだそうです。
そんな祐清を慕う「たまがき」の気持ちが岩に浮き出たのでしょうか?
新見駅前のたまがき像と並んで新見の名物になるでしょうか?
(新見駅前の「たまがき」像です。この向かいに馬に乗った祐清像もあります。)
たまがきについてご存じない方は、Wikipediaの「たまがき」をご覧ください。
Wikipedia「たまがき」
また、「たまがき書状」については、英語に翻訳させていただき昨年度の「新見公立大学紀要」に発表しました。
よろしければご覧ください。
「たまがき書状」の現代英語訳 An English Translation of the Letter from Tamagaki(Tamakaki)
この中腹の岩の部分を拡大してみるとこんな感じです。
新見市民おなじみの「たまがき」に見えませんか?
勝手に名づけて「たまがき岩」。
たまがきとは中世の新見庄(にいみのしょう)(=この地域は京都の東寺の庄園でした)の女性で、東寺から派遣された祐清という僧に恋をしましたが、その祐清が殺されたため、祐清の形見を求めて東寺に送った書状がユネスコの世界記憶遺産に指定された当時百合文書に含まれているのです。
中世の一般庶民の書が残されているのは非常に珍しいということだそうです。
そんな祐清を慕う「たまがき」の気持ちが岩に浮き出たのでしょうか?
新見駅前のたまがき像と並んで新見の名物になるでしょうか?
(新見駅前の「たまがき」像です。この向かいに馬に乗った祐清像もあります。)
たまがきについてご存じない方は、Wikipediaの「たまがき」をご覧ください。
Wikipedia「たまがき」
また、「たまがき書状」については、英語に翻訳させていただき昨年度の「新見公立大学紀要」に発表しました。
よろしければご覧ください。
「たまがき書状」の現代英語訳 An English Translation of the Letter from Tamagaki(Tamakaki)