2022年8月27日開催の日本メディア英語学会夏季セミナーのシンポジウムで司会を務める準備として忍足欣四郎著『英和辞典うらおもて』(岩波新書, 1982)を読みました。
著者のお名前は「おしたり きんしろう」と読みます。
司会用資料として引用した部分(辞書編纂及び執筆に関わる部分)を以下、紹介します。
①ジョンソン博士は、その辞書の中で、LEXICOGRAPHERという語について、「辞書の著者。語の起源をたどり、その意義を詳述することに没頭する、あくせくと働く、毒にもならぬ人物」と定義しており、またDULLの項の8にはto make dictionaries is dull work「辞書作りは退屈な仕事だ」という例文を掲げている (p. 41)
②辞書編纂家は、知識の量が豊富であればそれに越したことはないが、単なる博識よりも大切なのは分析能力―文章に現れた語の意味を正確に把握し、辞書という特殊な枠組み、独自の秩序をもった世界に収めるために、一定の方法で区分・配列する能力だ。料理にとって重要なのは、ネタを手許にたくさん用意することよりも、手際のよい包丁さばきなのだ。(pp. 36-37)
③英米の辞書編纂者にとって一番大切なのは、あまりにも分り切ったことだが、英語に関する広く深い知識だ。現代英語を対象とする辞書の場合でも、現代英語についての知識だけでは充分とは言えない。理想的には、英語史上この言語と交渉のあったすべての言語、まあそんなことは不可能にしても、せめて英語と同系の言語、もっと局限して、古期英語や中期英語を含めた古い英語の知識をもつことが必要だろう。(p. 37)
④辞書編纂家はまた、文学的素質をも兼ね備えていることが望ましいだろう。(p. 38)
⑤「辞書編纂家は著しく自己主張の強い人間でなければならぬ。さもなくば、世間の人々を前にして、他のすべてのひとよりもよく承知している者として、この語の意味はこうだと宣言することはできないだろう」(by クーンSherman M. Kuhn)(p. 39)
⑥どんなに瑣末な事柄にもこだわる気質、重箱の隅をほじくる態度は必要であろうと思う。辞書編集は学問的成果を土台としなければならないが、一語一語の扱いについては職人気質に徹すること、工芸家のような彫心鏤骨(るこつ)の態度が望まれる(p. 40)
⑦ 辞書作りにはまた、忍耐力や気力、そしてもっと形而下的なものだが、体力も欠かせない条件なのだ。(p. 40)
僕の英和辞典執筆とのかかわりは、恩師の長谷川潔先生が、編集を務められていた旧福武書店(現ベネッセコーポレーション)の『ニュープロシード英和辞典』でお声掛けをいただいたことにより始まりました。
長谷川潔先生には同じ「きよし」として公私ともにかわいがっていただき、ゼミ生ではなかったのですが英和辞典の仕事をやってみないかと言ってくださいました。
僕は、興味はあったものの、アメリカ文学を専攻しているので、それでもいいのでしょうかと確認させていただいたところ、辞書づくりには文学の知識も必要なのです、というようなことをおっしゃられました。
今回、シンポジウムの準備として忍足氏のこの書を初めて読んだのですが、その中に引用④のことが書かれていました。
学部生時代だったか大学院生時代だったか、長谷川先生の授業で忍足先生のご著書か論文の紹介があり、この著者は「おしたり」と読みますと長谷川先生が言われたことを覚えています。
確かお知り合いだと言われていたように記憶しています。
長谷川先生もこの書を読まれていて、僕に声をかけていただくときに引用④のことを思ってくださったからだとしたら、実は僕にとっても関係の深い書ということになります。
長谷川潔先生のご著書については以下をご覧ください。
読書案内:長谷川潔先生著『英語は聴くだけでモノにできる』(ごま書房, 1985) - 山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)
このたび、岡山県高等学校教育研究会英語部会秋季研究大会での分科会「学習意欲を高める授業の工夫」で指導助言者を勤めました(岡山県高等学校教育研究会英語部会秋季研究大...
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