山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)

英語教育、国際姉妹都市交流、ジョン・スタインベック、時事英語などの研究から趣味や日常の話題までいろいろと書き綴ります。

読書案内:鷲田康著『長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14』(2014)

2021-10-30 22:39:41 | 日記
読書週間でもありますし、また、この度、長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督が文化勲章を受章することになりましたので、この書を紹介します。

タイトルに出てくる1974年10月14日は、巨人軍の長嶋茂雄選手が現役を引退する日です。

野球少年であった僕ですが、実は野球やソフトボールに興味を持ち始めたのは、長嶋選手の引退後です。

長嶋選手の引退日となった1974年10月14日は、僕はまだ野球に興味を持っていなかったため、テレビ中継は見ていませんでした。

でも、長嶋という選手が引退するということは親から言われたかニュースで聞いたか、そんな状態でした。

もう少し早く野球に興味を持っていればきっとテレビ中継を見ていたのに、残念です。

長嶋選手引退の翌年からプロ野球にも興味を持ち、巨人を応援し始めました。

つまり、長嶋監督1年目からです。

ということで、僕は長嶋選手の現役時代は直接は知らず、長嶋監督1年目からの巨人ファンなのです。

当時、長嶋監督のことがいろいろと報じられる中で、当然、現役時代や引退時についてのことがいろいろと紹介され、子どもながらにこの書にも2度引用されている長嶋選手の引退スピーチを「昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、今日まで17年間…」と暗唱していました。

実は、中学3年生の時に生徒会長を務め、生徒集会などでの生徒会長の挨拶のスピーチはすべて、あらかじめ原稿を書いた上で大体の流れを暗唱して臨んでいましたが、長嶋選手の引退スピーチを暗唱した経験が、丸暗記ではなく、話の流れとともに言葉を覚えていくといういい土台になっていたような気がします。実は、このことは今も挨拶やスピーチをすることになっている場合には生きています。

また、長嶋選手の現役時代には少年たちは野球をするときには背番号「3」をつけたがり、銭湯の下駄箱も3番を選ぶということがこの本に書かれていましたが、僕は長嶋選手の引退後ではありましたが、長嶋選手の影響で好きな数字は3で小学校の地区対抗のソフトボール大会でも僕はピッチャーでありながら背番号3を選びつけていました。

OGPイメージ

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また、横浜国立大学時代に入っていた軟式野球同好会のSeagullsでもファースト以外の内野を守っていましたが、背番号は3を選びました。





昭和時代に長嶋茂雄選手(が王貞治選手)が活躍し、プロ野球を盛り上げ、また人々を元気づけてくれたそんな大きな存在であることがこの書を読めばわかります。

また、そんな長嶋選手の引退は本当に大きな出来事であったということが、よくわかります。

昭和を生きてこられた方にも、昭和時代を知らない方にもおすすめです。

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