【議席確定】衆議院選挙 自民党・公明党 過半数割る 自民は追加公認も検討 立憲民主党と国民民主党は大幅増 _ NHK _ 衆議院選挙
与党(自民党+公明党)が過半数を割る、という結果。
いわゆる「裏金」問題で非公認だった議員について、
「禊が済んだ」とばかりに追加で与党に入れていっている訳だが、
それでも過半数は難しい、という感じだろうか。
比例代表の得票数の前回比較を見てみると(衆院選比例 自民533万票減、公明114万票減 過去最少の得票数 _ 毎日新聞)、様々なことを感じる。
また、日経の記事(衆議院選挙、若者の自民党傾斜が一転 比例票は第3党以下が過半(チャートは語る))も面白い。
【自民党約533万票減】
保守党が約115万票、参政党が約187万票なので、約50%はここが受け皿になっているのだろう。
残りについては、かなり国民民主党にシフトしたように見える。
【公明党約114万票減、共産党80万票減】
固定票が多いはずのこの両党の減少は、両党にとってかなり深刻な話。
公明党は「下駄の雪」と揶揄されながら与党の一角を担い続けていた訳だが、
今回の「裏金」問題を見ると、
元々の創価学会員からしたら「何故いつまで自民党と一緒なの?」という思いは出てくるだろうな。
そうなった時、「ではどこに?」となれば「国民民主党」という選択肢はとりやすいと思う。
共産党は、「野党統一候補」に入れ上げていたために、かなり足腰が弱ってきているのだと思う。
特に若年層への浸透度合が弱い。
このあたりは、「れいわ」に流出しているのだろう。
【維新約295万票減】
この票は、明らかに国民民主党にシフトしている印象。
立憲民主党は議席数は大きく伸ばしたが、
比例代表の得票数は殆ど増えていない、というのは考えた方が良いだろう。
# こう見ると、万一「国民民主党が与党に入る」ということになると
詐欺的な話になってくるわな。
日経の社説にもあったが(民主主義は失敗の積み重ね 頼りない議員を生む私たち)、
現時点では民意を反映している、と(「小選挙区制」で思いっきり歪んでいるが)言えたとしても
これが今後数年に渡って投票者の意向を反映しているか、というと、そうとは限らない。
結局「自分たちの投票が間違っていた」という失意、無力感に繋がり、
次の選挙ではまた新たな「人気者」を作り出し、そこに投票する、という行為を繰り返す。
それは「民主主義はダメだ」というニヒリズムに繋がり、
「英雄」に全てを任せる、という方向に陥りかねない。
まず「民主主義」と選挙はイコールではない、ということ。
コスト(時間・経費)はかかるが、日頃から「民主主義の担い手」として政治・社会に対して関心を持つこと、
そのためには政治・社会に対して関心を持つ時間的・経済的な「余裕」が必要だし、
それを提供するのが、本来民主主義社会における政治運営担当者の責任だと思う。
その背景として、民主主義には限界がある、という意識が必要だと思う。
民主主義の根本的な姿勢は、「多数の人間が集まれば、正解を出す確率が高くなる」ということ。
しかし、これは非常に「胡乱」な姿勢であることを忘れてはいけない。
「人間」は「今・ここ」の制約から離れて物事を考えることはできないし、能力的にも限界がある。
この制約を前提として、Betterな選択をするために「熟議」が必要になってくるのだが、
Bestな選択は難しい。
そのくせ、決定は現在選挙権を持っていない年齢層や、まだ生まれていない者にも影響を与える。
現実には「代表なく、課税あり」になってしまう。
間違いは起こり得るし、
代表権がない者にも影響を及ぼすところから、
(これは民主主義に限った話でもないだろうが)
「民主主義」での決定、まして「選挙結果」に全てを委ねるのは危険でしかない。
「何をやっても、政治・社会は変わらない」とニヒリズムに誘導する。
時間的・経済的余裕を剥奪する。
さらに、全てを「選挙結果」に連動させる。
結果として、己らの都合の良い方向に政治・社会を動かす。
そんな策動に乗っかるのは、
少なくとも社会における「主体者」として望ましい姿勢ではないだろう。
与党(自民党+公明党)が過半数を割る、という結果。
いわゆる「裏金」問題で非公認だった議員について、
「禊が済んだ」とばかりに追加で与党に入れていっている訳だが、
それでも過半数は難しい、という感じだろうか。
比例代表の得票数の前回比較を見てみると(衆院選比例 自民533万票減、公明114万票減 過去最少の得票数 _ 毎日新聞)、様々なことを感じる。
また、日経の記事(衆議院選挙、若者の自民党傾斜が一転 比例票は第3党以下が過半(チャートは語る))も面白い。
【自民党約533万票減】
保守党が約115万票、参政党が約187万票なので、約50%はここが受け皿になっているのだろう。
残りについては、かなり国民民主党にシフトしたように見える。
【公明党約114万票減、共産党80万票減】
固定票が多いはずのこの両党の減少は、両党にとってかなり深刻な話。
公明党は「下駄の雪」と揶揄されながら与党の一角を担い続けていた訳だが、
今回の「裏金」問題を見ると、
元々の創価学会員からしたら「何故いつまで自民党と一緒なの?」という思いは出てくるだろうな。
そうなった時、「ではどこに?」となれば「国民民主党」という選択肢はとりやすいと思う。
共産党は、「野党統一候補」に入れ上げていたために、かなり足腰が弱ってきているのだと思う。
特に若年層への浸透度合が弱い。
このあたりは、「れいわ」に流出しているのだろう。
【維新約295万票減】
この票は、明らかに国民民主党にシフトしている印象。
立憲民主党は議席数は大きく伸ばしたが、
比例代表の得票数は殆ど増えていない、というのは考えた方が良いだろう。
# こう見ると、万一「国民民主党が与党に入る」ということになると
詐欺的な話になってくるわな。
日経の社説にもあったが(民主主義は失敗の積み重ね 頼りない議員を生む私たち)、
現時点では民意を反映している、と(「小選挙区制」で思いっきり歪んでいるが)言えたとしても
これが今後数年に渡って投票者の意向を反映しているか、というと、そうとは限らない。
結局「自分たちの投票が間違っていた」という失意、無力感に繋がり、
次の選挙ではまた新たな「人気者」を作り出し、そこに投票する、という行為を繰り返す。
それは「民主主義はダメだ」というニヒリズムに繋がり、
「英雄」に全てを任せる、という方向に陥りかねない。
まず「民主主義」と選挙はイコールではない、ということ。
コスト(時間・経費)はかかるが、日頃から「民主主義の担い手」として政治・社会に対して関心を持つこと、
そのためには政治・社会に対して関心を持つ時間的・経済的な「余裕」が必要だし、
それを提供するのが、本来民主主義社会における政治運営担当者の責任だと思う。
その背景として、民主主義には限界がある、という意識が必要だと思う。
民主主義の根本的な姿勢は、「多数の人間が集まれば、正解を出す確率が高くなる」ということ。
しかし、これは非常に「胡乱」な姿勢であることを忘れてはいけない。
「人間」は「今・ここ」の制約から離れて物事を考えることはできないし、能力的にも限界がある。
この制約を前提として、Betterな選択をするために「熟議」が必要になってくるのだが、
Bestな選択は難しい。
そのくせ、決定は現在選挙権を持っていない年齢層や、まだ生まれていない者にも影響を与える。
現実には「代表なく、課税あり」になってしまう。
間違いは起こり得るし、
代表権がない者にも影響を及ぼすところから、
(これは民主主義に限った話でもないだろうが)
「民主主義」での決定、まして「選挙結果」に全てを委ねるのは危険でしかない。
「何をやっても、政治・社会は変わらない」とニヒリズムに誘導する。
時間的・経済的余裕を剥奪する。
さらに、全てを「選挙結果」に連動させる。
結果として、己らの都合の良い方向に政治・社会を動かす。
そんな策動に乗っかるのは、
少なくとも社会における「主体者」として望ましい姿勢ではないだろう。