松喬が亡くなった。
最後に見たのはガンから復帰後、去年4月の「試運転の会」だった。
少し痩せてはいたが、
闘病日記50分+「崇徳院」30分で計80分の高座であり、
元気と言えば元気、と言えるものだった。
ただ最近では高座写真の痩せ方などを見て、心配していた。
# 死亡記事に、この非常に痩せてきた頃の写真が多いのは辛い。
もう少し元気そうな頃の写真を使用している記事を探して、リンクを貼りました。
また、休演も増えており、
特に「4年間生きること」を目標に、メインテーマとして始めた
「松喬十六夜」の中止を見て、不安になった。
退院後も入院中に覚えた「網舟」をネタ下ろしするなど、
いろいろ活動していたのに、という思いがある。
残念。
以下、思い出すままに。
私が最初に松喬を聞いたのは高校時代、
恐らく「土曜名人会」の「住吉駕籠」かサンテレビの「新春寄席」ではないかな。
松喬襲名後ではある。
その後野田阪神の「おそばと落語の会」や「高殿寄席」といったところに
通って見ていた。
「泥臭い」印象のある人で、
意図的にそういった芸風にしていたような気もする。
私が見ていた十数年の間でも、
調子が良い頃、悪い頃の波がけっこうあり、
いつ行ってもあまり良くない高座、なんて時期もあった。
松鶴に評価され、如何にも笑福亭らしい、と捉えられるようだが、
個人的には笑福亭らしからぬところが多い人だと思う。
例えば「百年目」「はてなの茶碗」「帯久」なんてネタは
6代目でなく米朝系のネタだが、
そのあたりのベストは今や米朝系よりも松喬だろう。
無論、如何にも笑福亭のネタである「らくだ」なども素晴らしいのであるが、
それとて笑福亭の古風さをそのまま残す、というよりは
時代に合わせ、観客の嗜好に合わせていろいろ実験してきた人、という印象。
そして大ネタが取り上げられることが多いが、
個人的には様々な小品をもっと聞きたかった。
例えばドモリの出てくる「寄合酒」であり「墓供養」であり、
「犬の目」や「艶笑小噺集」であり。
62歳は早過ぎるが、仕方ないのかも知れない。
合掌。