昨日は久し振りに文楽劇場へ。
いつ以来だろう…住大夫引退公演以来か?とすると、ほぼ7年ぶり。
元々、久し振りに本公演にかかる「傾城阿波の鳴門」を見るつもりだった。
ところが簑助師が本公演で引退する、と急遽発表された。
文楽人間国宝吉田簑助さん引退へ かれんな芸風で81年:朝日新聞デジタル
「国姓爺合戦」って別に好きな演目じゃない(ってか、よく分からん)ので、見るつもりはなかったのだが、
長年見てきた簑助師の最後、とういことで、これも合わせて見ようと決めた。
そうこうする内に、月末。
このままでは行きそびれそうだったので、電話で空席状況を確認した上で、
金曜午後(勝手に休みにして)日本橋へ。
「落語」「漫才」「歌舞伎」「文楽」といった中で、
私が最初に生で見ているのは、恐らく「文楽」だと思う。
亡くなった祖母が好きだったのか何かで、まだ文楽劇場が出来る前の
朝日座に連れていかれていたりした。
勿論はっきり覚えている訳ではないけど、文楽劇場が出来た頃とか、
簑助師のお姫様の人形と一体になった動きや表情というのはやはり綺麗で、
玉男、勘十郎、文雀といった「お爺さん」とは異なる印象を持っていた。
# 大夫で言えば、子どもであった当時、
越路大夫は声が小さく良さが分からず、
豪快な津大夫であり、当時文字大夫だった住大夫であり、
艶のある嶋大夫が好き、というところ。
源大夫で亡くなった織大夫は、当時から最後まで特に好きでもなく。
その後、簑助師は脳溢血で倒れたりした。
私が見ていたのは、ほとんどその前なのだが、
復帰後は全盛期まで回復していなかったのでは、と感じている。
もっとも人形遣いは本人だけで善し悪しが決まるものではなく、
例えば左を簑太郎(現勘十郎)師が遣えば話が違ってくるかも知れないし。
三部制の第二部。
新型コロナウイルス対策で、席もかなり空けて販売されている。
「国姓爺合戦」というのは近松作で当時かなりヒットした、というが、
正直、よく分からない芝居。
舞台装置や曲も少し変わっており、異国情緒が面白い、というところはあると思ったが。
中国において、明が異民族の韃靼(清を暗示)によって滅ぼされた。
明の遺臣が平戸に逃れ「老一館」と名乗っている。
この「老一館」が、逃れる前に残してきた娘が「錦祥女」であり、
今は韃靼の味方をする「甘輝」という武将の妻になっている。
「老一館」が平戸に逃れた後にできた子が「和藤内」という豪傑。
この「老一館」とその妻(和藤内の母)、そして「和藤内」が中国に渡り、
「甘輝」を味方に付けて韃靼を討つ、という話。
簑助はこの「錦祥女」の役。
ただずっとではなく、「楼門の段」という場面だけで
後の段は他の人形遣いに代わる形。
で、「楼門の段」。
楼門に幕がかかっており、それが空いて簑助が遣う錦祥女が現れる。
引退する役者は最後、楼門の上で体は動かさず風格だけ見せて終わるのか、と
「楼門五三桐」の五右衛門を連想しつつ思った。
言わば「クドキ」の風を見せる。そこは錦祥女の父に対する思い、
甘輝の妻という立場との相剋もあり、良かった。
ただ、もう動き続けるのは難しいのだろうな…という感慨もありつつ。
芝居そのものは、うーん、やはり好きにはなれない。
和藤内と甘輝が二人で並ぶ場面は良いけど、
和藤内の母と錦祥女の二人がそのための犠牲になっている絵面、設定が、
私には少しグロテスクに感じられる。
また芝居全体の「日本の」云々というのが鼻につく。
まあ、この芝居が出来た時代を考えれば良いと考えるべきなのかも知れないが、
私はダメ。正直、付いていけないなあ。
大夫についても全体に「この人が凄い」と感じるほどではなかった。
まあ、きちんとやっていた、という印象。
いつ以来だろう…住大夫引退公演以来か?とすると、ほぼ7年ぶり。
元々、久し振りに本公演にかかる「傾城阿波の鳴門」を見るつもりだった。
ところが簑助師が本公演で引退する、と急遽発表された。
文楽人間国宝吉田簑助さん引退へ かれんな芸風で81年:朝日新聞デジタル
「国姓爺合戦」って別に好きな演目じゃない(ってか、よく分からん)ので、見るつもりはなかったのだが、
長年見てきた簑助師の最後、とういことで、これも合わせて見ようと決めた。
そうこうする内に、月末。
このままでは行きそびれそうだったので、電話で空席状況を確認した上で、
金曜午後(勝手に休みにして)日本橋へ。
「落語」「漫才」「歌舞伎」「文楽」といった中で、
私が最初に生で見ているのは、恐らく「文楽」だと思う。
亡くなった祖母が好きだったのか何かで、まだ文楽劇場が出来る前の
朝日座に連れていかれていたりした。
勿論はっきり覚えている訳ではないけど、文楽劇場が出来た頃とか、
簑助師のお姫様の人形と一体になった動きや表情というのはやはり綺麗で、
玉男、勘十郎、文雀といった「お爺さん」とは異なる印象を持っていた。
# 大夫で言えば、子どもであった当時、
越路大夫は声が小さく良さが分からず、
豪快な津大夫であり、当時文字大夫だった住大夫であり、
艶のある嶋大夫が好き、というところ。
源大夫で亡くなった織大夫は、当時から最後まで特に好きでもなく。
その後、簑助師は脳溢血で倒れたりした。
私が見ていたのは、ほとんどその前なのだが、
復帰後は全盛期まで回復していなかったのでは、と感じている。
もっとも人形遣いは本人だけで善し悪しが決まるものではなく、
例えば左を簑太郎(現勘十郎)師が遣えば話が違ってくるかも知れないし。
三部制の第二部。
新型コロナウイルス対策で、席もかなり空けて販売されている。
「国姓爺合戦」というのは近松作で当時かなりヒットした、というが、
正直、よく分からない芝居。
舞台装置や曲も少し変わっており、異国情緒が面白い、というところはあると思ったが。
中国において、明が異民族の韃靼(清を暗示)によって滅ぼされた。
明の遺臣が平戸に逃れ「老一館」と名乗っている。
この「老一館」が、逃れる前に残してきた娘が「錦祥女」であり、
今は韃靼の味方をする「甘輝」という武将の妻になっている。
「老一館」が平戸に逃れた後にできた子が「和藤内」という豪傑。
この「老一館」とその妻(和藤内の母)、そして「和藤内」が中国に渡り、
「甘輝」を味方に付けて韃靼を討つ、という話。
簑助はこの「錦祥女」の役。
ただずっとではなく、「楼門の段」という場面だけで
後の段は他の人形遣いに代わる形。
で、「楼門の段」。
楼門に幕がかかっており、それが空いて簑助が遣う錦祥女が現れる。
引退する役者は最後、楼門の上で体は動かさず風格だけ見せて終わるのか、と
「楼門五三桐」の五右衛門を連想しつつ思った。
言わば「クドキ」の風を見せる。そこは錦祥女の父に対する思い、
甘輝の妻という立場との相剋もあり、良かった。
ただ、もう動き続けるのは難しいのだろうな…という感慨もありつつ。
芝居そのものは、うーん、やはり好きにはなれない。
和藤内と甘輝が二人で並ぶ場面は良いけど、
和藤内の母と錦祥女の二人がそのための犠牲になっている絵面、設定が、
私には少しグロテスクに感じられる。
また芝居全体の「日本の」云々というのが鼻につく。
まあ、この芝居が出来た時代を考えれば良いと考えるべきなのかも知れないが、
私はダメ。正直、付いていけないなあ。
大夫についても全体に「この人が凄い」と感じるほどではなかった。
まあ、きちんとやっていた、という印象。
突然の書込み失礼致します。
この度は皆様に知って頂きたい事があり、誠に恐縮ですが書込ませて頂きました。
マスコミが大きく報じぬ中、連日中国の日本領海侵犯が増大し、尖閣侵略を狙っている現状を、中国に侵略虐殺を受けるチベット等と重ねて今多くの方にどうか知って頂きたいです。
戦後日本を弱体化させる為、アメリカが作成した日本国憲法施行後、韓国が竹島を不法占拠し、その際日本の漁船を機関銃で襲撃し、多くの船員が死傷しました。
北朝鮮は国民を拉致し、日本全土を射程に入れるミサイルを数百発配備しており、尖閣には中国艦艇が侵犯する現状でも、憲法の縛りで日本は国を守る為の手出しが何一つ出来ません。
現在まで自衛隊と米軍の前に中国や北朝鮮の侵攻は抑えられて来ましたが、米軍がいつまでも守ってくれる保証は無く、時の政権により米軍が撤退してしまえば、
攻撃されても憲法により敵基地攻撃能力が無い自衛隊のみでは、日本はチベットと同じ道を辿りかねません。
9条の様に非武装中立を宣言しても、平和的で軍事力の弱かったウイグル等を武力で侵略し、現在進行形で覇権拡大を行い「日本の領海を力で取る」と明言している中国や、
核ミサイルで日本を狙う北朝鮮、内部工作を行う韓国が尖閣等から侵略の触手を進めているからこそ、GHQの画策により戦う手足をもがれた現憲法を改正し
自立した戦力と抑止力を持たなければ国民の命と領土は守れないという事を、
中韓側に立ち、印象操作で国民を煽動する野党やメディアの姿と共に
一人でも多くの方に知り目覚めて頂きたいと切に思い貼らせて頂きます。
https://pachitou.com
長文、大変申し訳ありません。