高校で必修科目を履修できていない生徒がいて揉めているらしい。
入試前の時期に、入試科目でないのに補習なんかさせられない、とか、
必修の科目を履修できていないんだから卒業させられない、とか。
いずれにせよ、この時期に計画が立てられない生徒にはいい迷惑。
しかし、「必修科目」って、どこまでの意味があるんだ?
本当に高校生活を終わるにあたって必要な知識なんだったら、
大学入試でその知識を問うのは当たり前ではないのか?
入試で要らないんだったら、結局、別に履修しなくても
いい科目なんじゃないのか?
また、日本史などで履修すべき内容は定められているけど、
実際戦後なんかやっていないことが多いと思う。
「本当に、カリキュラムに定められたとおりにやっているのか?」とか
言い出すと、必須科目で時間数は定められたとおりにやっていたとしても、
内実は不足していることはあるのでは?
それを今回の話についてだけ校長や教育委員会
(時あたかも教育行政強化の動きが高まっており、キナくさいんだが)
だけ罰したところで、何の解決にもならないと思う。
もっと根本的に「何を教えるべきか」「その目的は何か」を考えて
教えるべき内容を整理し、
それを教えるスキルややる気のある、相応しい先生が教えるようにしないと。
教育行政を強化する動きは、その方向にプラスにはならんだろう。
今の教師のほとんどは、大学を卒業して
そのまま学校組織や子供としか触れていない、
人間として未熟な人が多いと思う。
それらが「教育行政を体現する」だけしかしないようでは、
「言われたことを相対化し、理解して捉える」子供を
作ることはできないだろう。
しかし、日の丸君が代についてはお上の言うことを守って強制するくせに、
必修科目は強制できていない、ってのもご都合主義だなあ。
入試前の時期に、入試科目でないのに補習なんかさせられない、とか、
必修の科目を履修できていないんだから卒業させられない、とか。
いずれにせよ、この時期に計画が立てられない生徒にはいい迷惑。
しかし、「必修科目」って、どこまでの意味があるんだ?
本当に高校生活を終わるにあたって必要な知識なんだったら、
大学入試でその知識を問うのは当たり前ではないのか?
入試で要らないんだったら、結局、別に履修しなくても
いい科目なんじゃないのか?
また、日本史などで履修すべき内容は定められているけど、
実際戦後なんかやっていないことが多いと思う。
「本当に、カリキュラムに定められたとおりにやっているのか?」とか
言い出すと、必須科目で時間数は定められたとおりにやっていたとしても、
内実は不足していることはあるのでは?
それを今回の話についてだけ校長や教育委員会
(時あたかも教育行政強化の動きが高まっており、キナくさいんだが)
だけ罰したところで、何の解決にもならないと思う。
もっと根本的に「何を教えるべきか」「その目的は何か」を考えて
教えるべき内容を整理し、
それを教えるスキルややる気のある、相応しい先生が教えるようにしないと。
教育行政を強化する動きは、その方向にプラスにはならんだろう。
今の教師のほとんどは、大学を卒業して
そのまま学校組織や子供としか触れていない、
人間として未熟な人が多いと思う。
それらが「教育行政を体現する」だけしかしないようでは、
「言われたことを相対化し、理解して捉える」子供を
作ることはできないだろう。
しかし、日の丸君が代についてはお上の言うことを守って強制するくせに、
必修科目は強制できていない、ってのもご都合主義だなあ。