朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

近鉄乗りつぶし

2022年01月05日 15時32分37秒 | 
年末(12/25土)、友人と名古屋で会う機会があった。
さて、奈良からどうやって行くか。
普通に行くならば、京都に出て新幹線、なのだが、
それは面白くない。

近鉄で行くことにした。
何か良い切符はないか、と見ているとこんなものを発見。
近鉄全線3日間フリーきっぷ|その他のお得なきっぷ|観光・おでかけ|近畿日本鉄道

開始日を決めた上で、前日までに購入する必要はあるのだが、3日間乗り放題で3,000円。
普通に名古屋を往復するだけで元がとれる。
しかも月曜も橿原で仕事があるので本来往復1,000円かかる。
ということで、土曜に名古屋に行き、日曜は名古屋から(乗りつぶしをしながら)奈良に帰る。
月曜は橿原との往復に使う。
という計画を立てた。

乗車券代は浮くので、その分を特急料金に注ぎ込もうってんで
「ひのとり」のデラックスシートを購入。




確かに素晴らしいシートで、「至れり尽くせり」という感じ。
物が置きづらく、微妙な隙間に落ちてしまう、ということがあったり、
一瞬、コンセントの場所が分からない、といったことはあるのだが、
シートの細かい調整(座面、足置きなど)が可能で、後ろにも迷惑を掛けることがない。
ヒーターや小さなライトが付いていたりする。
難波から名古屋までの約2時間、寛いで過ごした。

翌日は朝に名古屋に着く。
名古屋側の近鉄の支線って、殆ど乗ったことがないので、このあたりを乗りつぶしせむ、とて。

三段階考えるところがあり、
1,現在の近鉄の支線を乗りつぶす。湯の山線、鈴鹿線、山田線鳥羽線志摩線。
2.さらに以前近鉄だった四日市あすなろう鉄道(内部線・八王子線)を乗りつぶす。
3.さらに三岐鉄道を乗りつぶす。

この辺りは、廻りながら時間を見て決めようと思っていた。

とりあえず、名古屋から快速急行で出発。


大阪線はトイレ付、きちんとした転換クロスの車両があるので羨ましい。
(奈良線の「ロング/クロス転換可能」のクロスシートは、ガタガタで乗り心地がいまいち。)
そこそこ雪が降っている。

四日市で降りる。湯の山線は少し待たされた。


雪はかなり激しくなっている。
その中、四日市から湯の山温泉へ。




ここでそのまま引き返すか、ロープウェイに乗るか迷う。
結局バスでロープウェイ乗り場へ。




雪が積もっている中、強風の影響で30分間隔での運行になっており、
けっこう並んでいる。
ここでまた乗るや否や迷い、30分後のロープウェイで「御在所岳」山頂へ。




けっこうな雪景色の中、食事(+少しのアルコール)を摂る。

下りのロープウェイ、また少し待たされてバスで湯の山温泉駅へ。
これまた少し待って四日市行に乗る。
このタイミングで駅員さんが「ロープウェイが間もなく休止する」旨の
アナウンスをしていた。
まあ、丁度良いタイミングだったのだろう。
# 今調べると、3日間3,000円のチケットを持っていると、
 御在所岳のロープウェイ代はそこそこ割引になるらしい。
 ちょっと、得しそこねた。

四日市に戻ると15時頃。
賢島まで行って奈良に帰ることと、
けっこう冷えていることを考えて
「四日市あすなろう鉄道」乗りつぶしはやめにした。
また三岐鉄道と併せて、可能であればさらに名松線と併せて、乗ることにしようと存ず。

四日市から伊勢若松、少しの時間で「平田町」行に接続。
よく分からない線。
途中で伊勢鉄道に接続している、という感じでもない。
# Wikipediaで見ると途中の「鈴鹿市」駅が市役所などに最寄りで、
 終点の「平田町」駅が鈴鹿サーキットに最寄り、ということらしい。




平田町を往復し、乗換時に気になっていた伊勢若松駅前の銅像を確認。
歴史で出てくる「大黒屋光太夫」の像だった。


伊勢若松から伊勢中川で乗り換え、各停で賢島へ。
もう少し明るければ、もう少し海が見えたのかも知れない。
機会があればまた乗っても良いかな。

賢島から「伊勢志摩ライナー」の、これまた「プレミアムシート」に乗車。
「ひのとり」程ではないが、やはり良いシート。




難波まで買っていたのだが結局大和八木で降りて、帰宅した。

まあ、なかなか充実した旅行でした。
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浜松小旅行

2014年04月06日 11時47分40秒 | 
先週末は浜松に行ってきた。
目的は、美味しい魚・酒を頂くこと。

奈良から浜松に行くとなれば、
普通は京都に出て新幹線、
ちょっとひねってJRで加茂から伊賀越え、亀山から名古屋に入る、というくらいかと思ったのだが、
折角時間もあるので、以前から気になっていた伊勢湾フェリーを使うことにした。

奈良から西大寺に出、
賢島行の近鉄特急に乗る。
朝からけっこう混んでいる。
家族連れ、子どもも多い。

【浜松へ向かうチケット】



新ノ口を出てすぐ、大阪線への渡り線に入る。
この渡り線に乗ってみるのが、今回賢島直通特急を使った理由。
単線の渡り線は川沿いを通る。
けっこう良い風景。

大和八木から名張なども止まり、伊勢中川。
ここも名阪特急は渡り線を通る有名な駅なのだが、
伊勢中川駅のホームそのものは渡り線にはないように見受けられた。
伊勢中川に止まる名阪特急は、方向転換するのかねえ。

伊勢市で家族連れは多く降りた。
鳥羽で降り、歩いてフェリー乗り場。
1時間ほど待ってフェリーに乗る。
地上では暖かいと思ったのだが、
海上は風も強く、けっこう冷える。

【伊勢湾フェリー乗り場にて】

【フェリーより】



1時間ほどで伊良湖岬に着く。
「道の駅」があり、食堂はけっこう混んでいた。
地下に降りると妙な資料館があった。

伊良湖岬と言えば藤村「椰子の実」。

【やしの実博物館】


これまた1時間ほど待ってバスに乗る。
車窓は菜の花の花盛り。
路線バスだが、何故か運転手さんが案内をしてくれる。
ただこれは、この運転手さんのオリジナルだったようで、
後の運転手さんはごく静かに、普通に運転していた。

【バス車窓の菜の花畑】



三河田原で豊橋鉄道に乗り換える。
各編成に異なる「花」の絵が描かれており、
私が乗ったのは「バラ」だった。
なかなか面白いアイデアだと思う。

豊橋鉄道渥美線カラフルトレイン

豊橋からは素直に在来線で浜松へ。
さすがに天竜浜名湖鉄道→遠州鉄道、なんてイタズラはしませんでした。

ホテルに荷物を置いてお店に行ったのだが、
いやあ、けっこうなお酒、魚で満足しました。
また酒魚目当てに浜松に行くだろうな。
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2012年春、東北旅行(3)女川

2012年04月26日 10時14分15秒 | 
4月8日(日)。
元々は前日に予定していた女川、仙石線へ。

仙台から小牛田、石巻、
石巻線で渡波まで。
ここから女川の間は代行バスが運行されている。
昨日の常磐線同様、JRの観光バスが使用されている。

【渡波駅の駅名標示】



バスは線路に沿って走っていく。
海沿いではあるが見たところ、あまり被害は出ていない感じ。
だが、女川に近付くと橋が崩れたり、路盤が流されているところが
散見された。

志津川駅以上に何も残っていない女川駅を通り過ぎ、
高台の運動場前のバス停に止まる。
ここで最初に目に付いたのが
「原発の交付金のおかげでこの運動場は作られました」という看板。

【運動場前の看板】



高台から町に降りる。
ほぼ何もないが、志津川に比べると復旧が始まっている、という印象。
昼間で多少明るく見える、というのもあるかも知れないが、
家の基礎がまだ残る志津川に比べ、
既に崩されて平地になっている分、
次にここに何かを作っていく準備が始まっている、と感じたからだろう。
その理由は、もしかすると原発の交付金のおかげで
町の財政が多少潤っているからではないか、と思った。
原発のために復旧どころか次の展望も見えない街があり、
もしかすると原発のおかげで復旧を進められる街がある。
役場の建物は壊れたまま放置されているが、
その威容も大したもの、と感じた。

【女川駅ホーム】


【平地】


【町役場】



代行バスまでかなり時間があるので、
少し早く出る路線バスで石巻まで戻った。
駅前では感じなかったが、
海沿いの家にはかなり被害が出ているんだな。

仙石線で、不通区間の石巻側の端である陸前小野へ。
仙石線は電化されているが、
架線に配電されていないためか、気動車を使っている。

【石巻駅に留置される電車】


【仙石線の気動車】


【陸前小野駅の駅名標示】



代行バスで松島海岸へ向かう。
途中の海岸近い所は、線路も街もかなりの被害を受けている。
松島は以前にも来たことがあるが、
ぱっと見たところは土産物屋も並んでおり、
そこそこ復旧に向けて進んでいる、という印象を受けた。

松島海岸からは一度高城町に戻り、仙台から宿泊地である郡山に入った。


【女川での写真】



最終日は純粋に鉄道趣味の旅行で、
郡山から会津若松、新潟、直江津と快速を乗り継いで移動。
富山からは「しらさぎ」に乗り、
最後は新快速で大阪に帰ってきた。


全体を通してみると、
復旧のスタートラインにも立っていない街、
スタートラインに立った街、
復旧が始まっている街、
と状況はバラバラ。
それを決定する要因は
「その街をどのようにするか」が見えるか見えないか、や、
経済的な事情など、様々だろう。

都会にとっては原発の方が影響が強いから、
どうしても地震・津波による被害よりも原発の被害、影響の方が
取り上げられる頻度は高く、記事も大きい。
津波については、せいぜい「ガレキ」に関して語られる程度。
しかし、津波による被害は甚大だし、
1年経過しても復興はおろか、復旧も始まっていない場所もある。

原発と地震・津波でどちらの被害が大きいか、などと言う必要もないが、
少なくとも、今の取り上げられ方と実際の被害の程度は
大きく乖離している、とは言える。
そのあたりを自分の目で確かめられ、意義深かった。


【旅全体の写真】
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2012年春、東北旅行(2)南相馬、新地

2012年04月25日 21時06分09秒 | 
4月7日(土)。
元々、石巻や女川に行く予定だった。

ところが前日に志津川から戻る列車の中で、
メガネのフレームを折ってしまった。
修理のため、出発を遅らせざるを得ないので、
少し予定を組み直し。

以前、沖縄に行った時も旅先でメガネを壊しており、
予備を持っていかないと、とその時は思っていたのに、
やはり忘れてしまった。
いかんいかん。

元々8日(日)に予定していた南相馬への旅行を、
旅程などを組み替えてこの日に実行。
11時過ぎに仙台を出て、常磐線の亘理まで。
ここから先、相馬までは津波の影響で鉄道は運休しており、
代替バスが運行されていた。
車両はJRの観光バス用のものであり、1時間に1本程度運行されている。
また、青春18も使用できる。
前日の宮城交通バスとはかなり違う位置付けのようだ。

相馬から原ノ町まで、途中区間だけ鉄道が復旧している。
車内の乗客の話を聞いていると、速度がバスとはかなり違うらしく、
残りの区間の開通も待ち侘びられている様子。

【相馬駅の駅名標示】



原ノ町は南相馬市の入り口の駅になる。
市役所まで歩いて被災状況を見る。
海側はかなり津波の被害を受けているそうだが、
駅から市役所の間では特に地震や津波の影響は感じられなかった。
中心街でシャッターが閉まっている商店は目に付く。
このあたりには、地震や津波、原発事故の影響がやや出ているのかも知れない。

【原ノ町駅に留置されている「ひたち」用車両】


【南相馬市役所の二宮尊徳】



原ノ町から相馬に戻り、相馬からバスで北上。
途中の新地駅で降りる。

海に向けて少し歩いた。
かなり綺麗な舗装道路が海に向かって作られている。
復旧のためにガレキの搬出が必要だし、
建設のためにも大きな車両が通行可能な道路が必要、ということで
まず道路を作ったのか、と思料。

【新しい道路】



新地駅より南側の線路敷や周囲を見ていた。
確かに手すりの曲がった橋など、津波の威力を感じさせるものは多少残っていたが、
ガレキなどはあまり残っておらず、
復興は無理にせよ、復旧が始まっている、という印象を受けた。
ただ南相馬市全体として言えば、
海側の様子はよく分からないし、
南部は一部福島原発の影響を受けているから前途多難なのだろう、と感じた。

【常磐線の架線柱跡】


【線路敷】


【橋】



近くの建物で小泉進次郎の講演会が行われるらしいが、
それは見ずにバスで亘理に戻り、仙台に帰った。

【新地での写真】
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2012年春、東北旅行(1)志津川

2012年04月24日 22時32分07秒 | 
今月初め、東北に行ってきた。

震災から1年以上経過し、
原発がらみの話に比べて
地震や津波の被害やそこからの復興が報じられる機会が減っているが、
実際のところを自分の目で見たかった。
また震災直後に比べれば、行っても迷惑になることはないだろう、とも思った。

青春18を調達し、
1日かけて大阪から東京へ。
東京で1日芝居などを楽しんだ。
(芝居の感想は通し狂言「絵本合法衢」。)

東北に向かって旅立ったのは6日(木)朝。
池袋に泊まっていたので、
赤羽、宇都宮、黒磯、郡山、福島、仙台と乗り継ぎ、
15時半頃小牛田に辿り着いた。

小牛田からは気仙沼線の柳津に向かう。

一瞬、小牛田の行先案内で「津波」と見えてドキッとしたのだが、
石巻線も渡波で止まっているためにそう目に止まったのだった。
海に縁がある地名が多く、
必然的に津波による被害にも遭わざるを得ない地域なのだな、と
ここからも感じる。

【柳津駅行きの列車】


【小牛田駅の行先案内】



柳津から先は鉄道は不通になっており、宮城交通のバスが代替運行もしている。
気仙沼まで行くと戻ってくるのが無理なので、
途中の志津川まで行くことにした。
手持ちの時刻表より10分ほど遅れて出発。
ダイヤ改正されていた様子。

次第に暗くなっていく中、路線バスは山道を行く。
手前の陸前戸倉駅前を過ぎると、
左手に家の基礎らしきものが見え出した。
大して大きな川がある訳でもないので、何か違う理由だろう、と感じたのだが、
どうもそれも津波の被害に因るものらしい。

その内、山道から開けた場所に出た。
そこが志津川の集落、だったらしいのだが、
想像を絶する光景だった。

勿論テレビでも見ていたのだが、実際に見ると印象が全く違う。
テレビでは風景を切り取って受像機から流すだけだが、
四方八方、基礎のみ残る家の跡、
或いは取り崩しもされず立ったままの建物。
空襲後の東京の写真、なども見たことがあるが、
恐らくその光景と同じなのだろう。
その間をバスは走っていく。

しばらくして「志津川駅前」というバス停に着いたので、降りた。
駅前、と言われると、確かに駅前、なのだろう。
道の形はロータリーぽくなっている。
駅だったものは、その正面にあった。
残っているのはホームであったらしいコンクリートの地盤、
ホームであった証拠に点字ブロックは残っている。
線路が走っていたであろう砂利や路盤、
そして駅から駅前に出る階段、通路。

【志津川駅前】


【ホームへ向かう通路】


【ホーム】



次第に日は暮れていく。
ぐるりを見回したが、人がいない。
遠くに数人の中学生か高校生が歩いているだけ。
人の声はしない。
車の音はするが、それとてこの廃墟と化した街を通過していくだけ。
「そこにはただ風が吹いているだけ」という歌を思い出した。

確かにガソリンスタンドなどはあるのだが、
夕方だったせいもあるにもせよ、そこで止まる車とてなく。
捨て去られ、
このままビルディングの取り壊しも
家の土台が整地されることもなく、
この街は朽ちるに任せられるのではないか、という印象を受けた。

【志津川駅ホームから街を見る】



骨や壁ばかりで立ち残る建物や基礎のみの家、
瓦礫の山の前などを1時間ほど歩き、
駅前からバスで柳津に戻る。
小牛田から仙台に戻ってホテル泊。

志津川駅前は「復旧のスタートラインにも立っていない街」という印象を受けた。
復旧するためには、一度整地し、更地に戻して
元の建造物なり何なりを建設していく必要があるのだろうが、
その整地すら殆ど行われていないようだ。
海に近いこの街に再び住むことが認められるのか、
住める状態になるよう電気や水道は通されるのか、
しかし元々住んでいた場所に帰りたい、
そういった政治的な思惑やら感情やらが入り組み、
手足が縛られ、身動きできないまま放置されているのでは、と感じた。

【志津川での写真】
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東下り(3日目)

2011年09月24日 21時14分52秒 | 
先週日曜。

少し早めにホテルを出て、
地下鉄に意味なく乗って銀座に戻ってくる。

新橋演舞場は秀山祭で又五郎・歌昇襲名披露興行。
「新口村」「寺子屋」といった狂言が好みなので、
昼の部を見ることにした。

11時開演、15時半頃終演。
詳細は別途(→秀山祭昼の部)。


終演後、有楽町まで歩いてJRに乗る。
少し時間があったので京浜東北線で赤羽まで足を伸ばし、
御徒町に戻り、上野鈴本へ。
17時開場で16時40分頃に行くと、既に並んでいた。

しかし、6割程度しか入らなかった。
結果的には別に並ぶほどのこともなかった。
17時半開演、20時40分終演。
落語の本数がやけに少ない印象で、
そりゃ客も少ないだろう、とも思った。
詳細は別途(→上野鈴本演芸場9月中席夜の部)。


神田に出て特別快速で中野、快速で荻窪。
朝まで大学の後輩と飲み、少しカラオケに行って(殆ど歌わず)終わり。

まあ、
だいたい予定通りに演芸や歌舞伎を楽しみ、
意外に人と会っていろいろ喋った3日間だった。
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東下り(2日目)

2011年09月24日 21時02分18秒 | 
先週土曜。

特に予定も何もなくホテルを出て、
とりあえず神田に向かう。

「池袋演芸場に行くか」とか思いながら山手線内回りに乗ったのだが、
せっかく関東に来たのだから少しでも被災地に触れよう、と思い直した。
上野で降り、「ひたちなか海浜鉄道」が運行していることを確認して
「フレッシュひたち」に乗り、勝田へ。

東京に住んでいた頃、乗る機会はあったはずなのだが、
結局一度も乗っていなかった鉄道。
今回の震災で被害を受けた、と聞いていたので、
どのようになっているか見てみよう、と思って乗ってみた。

勝田から一度終点の阿字ヶ浦まで。
確かに地盤の色が違うところがあり、
そのあたりは被害を受け、整備した部分なのだろう。

【阿字ヶ浦駅にて】


阿字ヶ浦から那珂湊に戻り、「おさかな市場」へ向かう。
乗った巡回タクシーの運転手さんから、
「おさかな市場」でも津波の被害を受けてしばらく休業していたこと、
東海村との財政状況の違い、などといった話を聞く。

「おさかな市場」も久し振りだが、
以前に来た時より寂れている感じはした。
ただ季節が違うためかも知れないので、
また冬に来る機会があれば良いと思う。

那珂湊から少し阿字ヶ浦側に何駅か行き、
降りて駅前から海まで歩いてみる。
津波の影響は分からなかったが、
×字形に壁にひびが入った学校や鳥居の折れた神社など、
地震の影響を感じた。
あまり茨城の被害は報道されていないように感じるのだが、
それでもこれだけの影響は出ているのだな。

勝田に戻り、時間をつぶして、
大学の同期と飲み。
地震の話やその他近況の話や、
人事絡みの話や社会の話などなど。

「スーパーひたち」で上野、
日比谷線で茅場町に戻った。
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東下り(初日)

2011年09月24日 20時06分31秒 | 
先週末は久し振りに東京に行ってきた。
おそらく、一昨年後輩の結婚式に出席して以来。

休暇を取り、金曜昼前に新大阪を出発。
発車5分前にホームに行っても座れるのが新幹線の良いところ。
リニア新幹線では恐らく難しいと思うので、
今の新幹線もそのまま残してくれると有難いなあ。

車内では山崎武史の「今、意味がないと思うことに価値がある」など、
本を読み進めた。
富士山は見えず。

東京まで行き、有楽町に引き返して銀座まで歩く。
三越の別館?みたいなのが出来ていた。
そのまま歌舞伎座跡地を横目に見て
新橋演舞場まで歩いてチケット予約。
1等席しか空いていなかったが、せっかく東京まで来たのだから、と奮発して
日曜昼の部を購入。

ラーメン屋で腹ごしらえ+少し飲む。
ホテルは茅場町にとっていたのだが、
チェックインまで時間があったので
途中で警察博物館に立ち寄る。
久し振りにシミュレーターで運転してみたが、
交差点で曲がれないことに愕然とする。
どれくらいスピード落とせばいいんだっけ?
その他、殉職した警官の職位を見ながら
「二階級特進だから、元々何だったんだろう」などと考えていた。
「あさま山荘事件」でも殉職者は出ていたんだな。

さらに歩いて日本橋で買い物をして店を出ると、
高校の後輩に遭遇。
かれこれ10年ぶりくらいか。
隣のビルの地下の喫茶店で、2時間ほどお互いや周囲の近況話など。

別れてホテルに荷物を置き、
しばらくのんびりして日本橋から赤坂見附、新宿三丁目へ。
久し振りの「ロケット団定例集会」。
新宿末廣亭には20時半頃着いたが、
既にけっこう並んでいた。
立ち呑み屋が出来ており、その邪魔にならないよう、
列を途中で切って別の場所に並べていた。

21時半開演、23時終演。
詳細は別途(→ロケット団定例集会其の五十二)。

同じルートでホテルに戻った。
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沖縄旅行(拾遺)

2010年09月16日 10時56分37秒 | 
6泊7日の沖縄旅行。
今回は本島しか行っていないし、
廻った場所もかなり限られて(偏って)いたが、
得られたところは多かったし、リフレッシュもできた。

【その他感じたところ】
・沖縄は車社会なんだな。
 自転車ってあまり見なかった。高校生もバスで通学しているケースが多い。
 バスは本数はそこそこあるが、普通に5分10分遅れるし、
 時々早く行ってしまうこともある。
 利用客もあまり多くない印象。
 モノレールや鉄道を建設する話もあるようだが、
 あまり利用客が伸びないのでは、と感じる。

・「基地」については、本土で思っているほどメインの争点にはなっていない気がする。
 市・町議選が集中する日(「統一地方選挙」と呼ばれている)前後いたのだが、
 宜野湾でも名護でも選挙カーが「基地」に関して叫ぶケースは少なかったように思う。
 結局「地縁」で選ぶのがメインで、そこに「基地」の問題が加わっているのでは、と感じた。

・バスのアナウンス広告で「幸福の科学」がけっこう多い。
 各市に支部があるみたい。
 どこまで浸透しているかは分からないが。
 【辺野古で見つけたポスター】
 


【参考資料】
今回の旅行計画を立てるに当たって使用したページ。
バスメイン、の前提。
〈沖縄まで〉
 格安航空券サイト空旅.com
〈沖縄内。「バスマップ沖縄」で各路線を運行するバス会社を調べ、該当するバス会社のページを調べる流れ。〉
 バスマップ沖縄
 琉球バス時刻表
 東陽バス時刻表
 沖縄バス時刻表
 ※那覇バスは使用しなかった。

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今回の旅行のブログ・スライドなどまとめ。
沖縄旅行(0日目)

沖縄旅行(1日目)(1)喜屋武岬 (2)ひめゆりの塔 (3)平和祈念公園


沖縄旅行(2日目)首里


沖縄旅行(3日目)普天間


沖縄旅行(4日目)那覇から名護へ


沖縄旅行(5日目)辺野古


沖縄旅行(6日目)名護から那覇、大阪へ
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沖縄旅行(6日目)名護から那覇、大阪へ

2010年09月16日 10時03分05秒 | 
月曜は最終日。
那覇から大阪へ帰るのだが、
17時半頃の便をとってしまったので時間がけっこうある。
ただ、特に予定も立てていなかったので、
とりあえず那覇に戻ることにした。

高速バスで真っ直ぐ戻る気にもならなかったので、
とりあえず辺野古などを経由して那覇まで行くバスに乗る。
途中で降りるかも、と思ったが、結局那覇まで乗っていった。
やはり途中に広大な米軍の管理エリアがぽつぽつ。
全てが軍事施設でもなく、学校やら住居やらもそこそこあるんだな。

【米軍管理エリア(バス内から撮影)】




昼前に那覇に着く。
昼食をとって漫湖へ。
放送禁止用語に似ている、ということで
ネタにされることが多い場所。


ラムサール条約で指定されるような湿地でもあり、
県内でもけっこう外れにある印象だったのだが、
実際には那覇の中心からほど近い。
県庁や市役所からモノレールで2,3駅。

【漫湖】










1時間ほどで1周。
空港には2時間くらい早く着いたので、飲んだりして適当に時間をつぶし、
予定の飛行機で戻った。

【ラピート】


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