ということで、2014年を振り返ってみる。
来年は終戦から70年を迎える訳だが、
その前年に、「戦前・戦中に回帰しかねない動き」が
目に余った1年かな、と思う。
例えば「特定秘密保護法」の施行であり、
「集団的自衛権」を容認する、という解釈改憲を閣議決定したことであり、
そして、NHK会長に籾井が就任したことや
安倍が新聞社を始めとするマスコミ幹部と会食を開いていることが
大っぴらに明かされていること。
全てのベースになってくるのは「特定秘密保護法」だろう。
原発の危険性や辺野古移設への懸念があったとして、その実態を調査しようとすると、
「特定秘密保護法に触れる恐れがある」という
公式・非公式の警告が発せられてくる恐れがある。
そうなった時に、大手マスコミが「表現の自由・報道の自由を制約するもの」と
きちんと抗議してくるかどうか。
現在沖縄で起こっている海自と沖縄県民の衝突や
その中での報道を抑制する動きを報道しない大手マスコミを見ていると、
恐らく「自分たちだけが良ければ、特に報道しない」姿勢に終始するのではないか。
鼻薬を効かされており、しかも鼻薬を利かされていることが海外報道機関から
どのように見られているかを意識しないようなマスコミでは、
「国民の権利を守るために自分たちは重責を担っている」意識は持てないのではないか?
また、再来年4月には消費税10%への増税が決定している。
この際の「軽減税率」(とは言っても、恐らく8%のままになる、というだけだろうが)適用を巡って
新聞社は「自分たちは国民の知る権利を担い、重要だ」と言いつつ、
決定権を持つ政府・与党にすり寄るだろう。
益々歴史の中で裁かれる責任を感じず、
己の目前の利益のための行動が目に余るようになるのでは、と危惧する。
「集団的自衛権」についても同様。
恐らく米軍が中東で展開している「対テロ」作戦に参加させられることになるのだろうが、
その際に「本当にテロリストなのか?」とか「本当に後方支援だけなのか?」は
米軍の作戦展開の上では秘密と扱われるだろうから、
日本でも「特定秘密」として保護され、
事実を調査しようとすれば「特定秘密保護法違反」と扱われることになるだろう。
しかし、「大量破壊兵器がある」口実に参戦したイラクに大量破壊兵器がなかったように、
結局アメリカの虚偽の口実に乗っかって戦争に巻き込まれる可能性は
決して低くない。
その場合の責任を政府・与党はとるのか?
「想定外」だの「自分たちも騙された」だの「最初から調査に協力しなかったのが悪い」だの
アメリカの言い草に乗っかって己らは責任を負わない、てな事態になるのではないか?
政府・与党の連中は血を流さない。
血を流し、犠牲になるのは
国内で職や食がなく、行き場を失った若者ではないのか?
普通選挙法制定と治安維持法制定は1925年、満州事変は1931年。
その間は6年しかない。
恐らく普通選挙法や治安維持法が制定された時には
戦争が始まるとは思わなかっただろうし、
満州事変当時にはその後の太平洋戦争や空襲・原爆投下は想定できなかっただろう。
現時点で「戦争になんてならない」と思うのは自然だし、
正直、私も大丈夫だろう、と感じてしまっている。
ただ、人間はそこまで賢くない。
理知的に判断できることばかりではないし、
「やられた」と思えば「復讐だ」と容易に燃え上がらないとは限らない。
そして「やられた」と思った時に「本当?」と疑って声を上げるのは大変だし、
報道統制・抑圧がかかっていれば事実を調査することも難しい。
となれば、少しでも理知的に考えられる仕組みを
予め作っておく必要があるのではないか?
何より、戦争で得をする者は存在する訳だし。
そんなことを思う、
あまりにも危険な兆候の目に余った1年だった。
来年はより良い1年、
少なくともさして悪くない1年でありますように。
# ただこの「戦前・戦中への回帰」は、
戦争を経ても根本的には変わっていない「お上にお任せ、その代わり責任も負わない」
国民性に端を発しているのかも知れない、とも思いつつ。
一度滅びなしゃあないのかなあ…。