朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

馬桜の白子屋政談

2007年05月05日 08時03分01秒 | 落語・講談・お笑い
今年は東京に残留して
寄席・歌舞伎・クラシック(とれれば)尽くしと決めていたのだが、
曜日・日付の感覚がなくなってきた。
あと何日後に出勤なんだ?

3日は「帰ってきた鬼畜大変態の会」。
まあ、何と言おうか。
川柳が元気。「ジャズ息子」+「演歌息子」は前にも日本橋で聞いたが、
その時よりも声が出ていたように思う。

昨日は歌舞伎座で「女暫」を見て、歩いて日本橋亭へ。
30分くらいで移動できる。天気が良ければ今後も歩こう。

馬桜独演会の「白子屋政談」(発端からお熊拐かし)。
客がざっと10人。何故入らないんだろう。
まあ、客が少なくても雰囲気は良いのだが。

「しらこ」と「しろこ」の間のような発音をする、という話があった。
渡辺保が「しらことしろこと、人によって違った」と書いていたのは、
このあたりの微妙な発音のことなんだな、と納得。

ネタは大して明るい話じゃない。
前半は後家(ではないか。まだ生きている)お常の描写が軸になると思うが、
その雰囲気が良い。
登場人物がいろいろ出てきたりして、混乱しがちになるが、
その軸がきっちりしているのでついていけたかな、という感じ。

ネタがネタだけあって、ところどころで入れ事をしていたが、
もう少し減らしても良いかな、と感じた。
彼自身がしんどいのかも知れないが。

しかし、客が少ないのが勿体ない。
雲助ほど口調にクセがないし、正雀のようにうすっぺらくもない。
この手の噺(人情噺?何か違う気もする)のスタンダードだと思うのだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌舞伎三昧

2007年05月02日 23時38分11秒 | 歌舞伎・文楽
有休をとって、今日は歌舞伎三昧になった。
歌舞伎座昼の部から。
「またかの関」はパスして(今年正月にやったような気がするんだが)
「泥棒と若殿」だけになった。
泥棒は松緑。若殿に三津五郎。
松緑って、妙に舌足らずになるので嫌いだったんだが、
今日は違和感なく聞けた。

筋は安易といえば安易。あまり歌舞伎らしくない。
ところどころに、「餓死」とか、歌舞伎らしくない単語が出てくる。
後で「かつえて死ぬ」とか言っていたので、
そちらに合わせてくれればいいのに。
(これは、今読んでいる渡辺保の本から得られた観点かも知れないなあ)
いいお話、というところ。
若干同性愛っぽく感じるのは、私がブラックづいているせいか?

吉右衛門・富十郎好きなので、夜の部は新橋演舞場へ行った。
久しぶりの一等席。間口が広いので少ししんどい。
南座や松竹座の方が狭いのかな。

「妹背山・御殿」
福助はしばらく肌に合わなかったのだが、
今日は気分良く聞けた。声も一貫性があり、違和感なし。
ただ、筋には違和感があるなあ。
あの「官女によるいじめ」の意味がよく分からん。
だいたい、いじめの官女は男にしか見えない。敢えてそうするものなのかなあ。
お三輪の「嫉妬」は、官女のいじめなしでも出せると思うのだが。
あと、やはり残酷な話。可哀想だなあ、と思ってしまう。

「法界坊」
うーん。よく分からん。
吉右衛門の遊びはよく出ていて楽しかった。ただ、少し崩しすぎかな、と
感じないこともない。
富十郎の台詞があやしい。仲裁のところ(「大七」かな)など、うまく
つないでいるのだが、まだ台詞が腹に入っていない気がする。
2日目に行ったのは間違いだったかも。
ただ、この2人の絡みは面白いなあ。リズム・声が良くて満足。

大喜利の「双つ面」は見ず。

そんなところ。
今月は、後は歌舞伎座で「源氏店」と「女暫」をどこかで見る、
というくらいかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「昭和の日」への違和感

2007年05月01日 07時40分04秒 | 社会
4/29は今年から「昭和の日」という祝日になったらしい。
今まで4/29だった「みどりの日」が5/4に移る、とのこと。

もともと、4/29は昭和天皇の誕生日。
それを、平成になって「みどりの日」という名前にしたのは、
「昭和天皇の誕生日を昭和の日、と呼ぶのは、天皇中心的、というか、
 非民主的なものを感じる」
という(ここまで言葉にできないが)違和感を持つ人がいて、
推進する側の人もそれを意識したのかな、と思う。
もともと、この日を「昭和の日」という名前で残す、という案はあった訳だし。

これが、平成19年になって(よく理由が分からないのだが)
「昭和の日」になった、というのは、
この違和感を持つ人が少なくなったのか、声を上げる人が少なくなったり
弱くなったりしたのか、(相対的なものだが)違和感を押し潰す人の
力が強くなったからなのかな、と思う。

恐らく、街頭でインタビューしても「何が問題なの?」と言われるような
事象なのだろう。
しかし「昭和天皇の誕生日だから」という理由でその日を「昭和の日」と
言い切ってしまい、それを当然と思わない人間は相手にもしない、という
思想は、私には違和感がある。
自分が少数派だと思っている私にとっては、「怖い」という感じかな。

何も「終戦記念日を昭和の日にせよ」とまでは言わないが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする