昨日は落語会のハシゴになった。
12時前に桃谷に着き、
「成恩寺」を探したのだが、けっこう迷った。
GPSの便利さを感じたりして、
12時半頃にようやく会場を見つけた。
早めに家を出ておいて良かった。
「絵根問」(眞):△-
こないだ「オールナイト」で見かけたが、
落語を見るのは初めて。
声の出し方、マクラの内容など、いかにも落研臭い。
声が出ているのは良いが、
上下の振り方がやけに深かったり、
話の内容の無意味だったりするところが嫌になる。
師匠は何も見ていないんだろう。
ネタも全てを押してくるのでしんどい。
若手らしいと言えばそうだが、
別に爆笑を取れるようなネタでもないから、強く押すよりも、
丁寧に間をとり、強弱を付けて、
何となく面白い味を出す方が良いのでは、と思う。
「くっしゃみ講釈」(生喬):○-
講釈の話をマクラに振ってネタへ。
何といっても講釈師の表情、口調などがこの人の納まった雰囲気に合っていて良い。
アホとおもやん(だったか)の関係がけっこう深いようなのだが、
設定として個人的には違和感がある。
それならば路地でなく、別にアホの家の中で喋ればいいだろう、と思うし、
そこまで付き合っていれば
既にアホの頼りなさも見えているのでは、と思う。
むしろ「これからもっと親しくなっていこうとしたのを水が差された」方が
怒りの前提としても良いのではないかな。
「何を」「どこで」「何ぼ」の途中で
客席の子どもに「どこで」とか言われていたのは気の毒。
上手くカバーしていた。
清八の方から「覗きカラクリの真似をしたことがあるか」を訊いていたが、
単に「目安」として清八が言っているのを喜六は実際にやった、という
ズレが分かりづらくなるので、あまり好みではない。
八百屋が困って喜六に南瓜を渡したのを受けて、
清八に「何南瓜買ってんねん」と言わせるのは良いな。
講釈はくしゃみ塗れになるところやエヅくところなども含めて、
「緊張の緩和」がよく効いており、良かった。
「おけら毛虫」が、前とあまりつながっていないように感じた。
ここは難しいなあ。
「池田の猪買い」(たま):○-
マクラは楽屋話など。
ネタは、いろいろ抜いたり入れたりしており、
良い部分とどうかな、と思う部分があった。
一度家に帰って翌朝出てくる、ではなく、
すぐに池田に行く。
その代わり「ぬくい恰好をしてくる」なし。
個人的には、これでも良いと思う。
「分からんことを分からんと言うのは」に少し言葉を増やしていた。
これを後で慌てている男が「そんなもん分かりません」と言った時に
「分からんことを…」と言って時間を食ってしまうところに使っていた。
これも良い工夫と思う。
慌てている男との絡みでは、
子どもの名を訊いて「喜六っちいまんねんけど、六という字をあげます」とか、
袖をちぎってしまうとか、
いろいろ良いと思える工夫が入っていた。
ただ、鮨屋について「わたいの実家でんねん」と言うのはよく分からんな。
池田にかかるところで声を掛けた相手を、
最初から六太夫さんにしていた。
「指の先」とか「にゅうとちらちら」とかが好きなので、
少し物足りなく感じる。
六太夫さんに猪肉の量を言う時に
「500匁」とか言わずに手の形で大きさを示すのも、別に悪くない。
ただ本当は、甚兵衛さんのところで「どれくらい買ってくるか」を
仕込んでおいた方が良いだろう。
どのように仕込むか、難しいところだと思うが。
撃とうとしているところは普通に。
まあ当然「お前撃とか」もあるが。
強弱の付け方など、流石。
「ピカソ」(生喬):△+
芸大のラジオに出た話からネタへ。
別に大したネタではないが、
地噺っぽく上手く処理していたと思う。
大学時代絵をやっていたこの人らしい様々な薀蓄とか、
落語マニア的な話とか。
ネタ下ろしだそうだが、まだ「地噺にしよう」とは決めていなかったように感じる。
団六の話から本筋に戻るあたり。
ただ個人的には、パーティーの場面などを圧縮し、
前半の館長が来るまでの場面に入れ事をしていけば、
この人の経験や知識を生かした地噺風のネタとして、
商売物になりそうな気がする。
終わって寺田町まで歩いた。15分くらい。
次に来る時は、こっちから来よう。
12時前に桃谷に着き、
「成恩寺」を探したのだが、けっこう迷った。
GPSの便利さを感じたりして、
12時半頃にようやく会場を見つけた。
早めに家を出ておいて良かった。
「絵根問」(眞):△-
こないだ「オールナイト」で見かけたが、
落語を見るのは初めて。
声の出し方、マクラの内容など、いかにも落研臭い。
声が出ているのは良いが、
上下の振り方がやけに深かったり、
話の内容の無意味だったりするところが嫌になる。
師匠は何も見ていないんだろう。
ネタも全てを押してくるのでしんどい。
若手らしいと言えばそうだが、
別に爆笑を取れるようなネタでもないから、強く押すよりも、
丁寧に間をとり、強弱を付けて、
何となく面白い味を出す方が良いのでは、と思う。
「くっしゃみ講釈」(生喬):○-
講釈の話をマクラに振ってネタへ。
何といっても講釈師の表情、口調などがこの人の納まった雰囲気に合っていて良い。
アホとおもやん(だったか)の関係がけっこう深いようなのだが、
設定として個人的には違和感がある。
それならば路地でなく、別にアホの家の中で喋ればいいだろう、と思うし、
そこまで付き合っていれば
既にアホの頼りなさも見えているのでは、と思う。
むしろ「これからもっと親しくなっていこうとしたのを水が差された」方が
怒りの前提としても良いのではないかな。
「何を」「どこで」「何ぼ」の途中で
客席の子どもに「どこで」とか言われていたのは気の毒。
上手くカバーしていた。
清八の方から「覗きカラクリの真似をしたことがあるか」を訊いていたが、
単に「目安」として清八が言っているのを喜六は実際にやった、という
ズレが分かりづらくなるので、あまり好みではない。
八百屋が困って喜六に南瓜を渡したのを受けて、
清八に「何南瓜買ってんねん」と言わせるのは良いな。
講釈はくしゃみ塗れになるところやエヅくところなども含めて、
「緊張の緩和」がよく効いており、良かった。
「おけら毛虫」が、前とあまりつながっていないように感じた。
ここは難しいなあ。
「池田の猪買い」(たま):○-
マクラは楽屋話など。
ネタは、いろいろ抜いたり入れたりしており、
良い部分とどうかな、と思う部分があった。
一度家に帰って翌朝出てくる、ではなく、
すぐに池田に行く。
その代わり「ぬくい恰好をしてくる」なし。
個人的には、これでも良いと思う。
「分からんことを分からんと言うのは」に少し言葉を増やしていた。
これを後で慌てている男が「そんなもん分かりません」と言った時に
「分からんことを…」と言って時間を食ってしまうところに使っていた。
これも良い工夫と思う。
慌てている男との絡みでは、
子どもの名を訊いて「喜六っちいまんねんけど、六という字をあげます」とか、
袖をちぎってしまうとか、
いろいろ良いと思える工夫が入っていた。
ただ、鮨屋について「わたいの実家でんねん」と言うのはよく分からんな。
池田にかかるところで声を掛けた相手を、
最初から六太夫さんにしていた。
「指の先」とか「にゅうとちらちら」とかが好きなので、
少し物足りなく感じる。
六太夫さんに猪肉の量を言う時に
「500匁」とか言わずに手の形で大きさを示すのも、別に悪くない。
ただ本当は、甚兵衛さんのところで「どれくらい買ってくるか」を
仕込んでおいた方が良いだろう。
どのように仕込むか、難しいところだと思うが。
撃とうとしているところは普通に。
まあ当然「お前撃とか」もあるが。
強弱の付け方など、流石。
「ピカソ」(生喬):△+
芸大のラジオに出た話からネタへ。
別に大したネタではないが、
地噺っぽく上手く処理していたと思う。
大学時代絵をやっていたこの人らしい様々な薀蓄とか、
落語マニア的な話とか。
ネタ下ろしだそうだが、まだ「地噺にしよう」とは決めていなかったように感じる。
団六の話から本筋に戻るあたり。
ただ個人的には、パーティーの場面などを圧縮し、
前半の館長が来るまでの場面に入れ事をしていけば、
この人の経験や知識を生かした地噺風のネタとして、
商売物になりそうな気がする。
終わって寺田町まで歩いた。15分くらい。
次に来る時は、こっちから来よう。