先週金曜は「つるっぱし亭」へ。
「正月丁稚」(雀太):△
軽く日常の「ゲンを担ぐ」話をしてネタへ。
丁稚、旦那とも科白が強過ぎる印象。
丁稚には丁稚らしい稚気がなく、
旦那には旦那らしい大らかさがない。
丁稚でなく、演者がウケを取るために
ゲンの悪いことを強い口調で言っているように聞こえるが、
このネタはそんなことをするネタではないだろう。
正月のめでたい雰囲気がベースにあり、
旦那は穏やかにそれを迎えようとしている。
丁稚もさほど悪気なく、
「ゲンを担ぐ人をちょっといじってやる」程度で良いと個人的には思う。
「池田の猪買い」(雀三郎):◎-
日頃あまり贅沢をしない、肉を食べない、といったマクラからネタへ。
見るのは「みなみ亭」(第一次)の最終回以来、か。
あの時は今は亡き染語楼が「市民税」で出演しており、
前座で出た「池田の猪買い」の「石段」の太鼓が良かったなあ、
なんてことを思い出していた。
久し振りに見たが、やはり非常に素晴らしい。
アホ、というか「チョカ」のちょっとした言動にしても、
振り回される甚兵衛さんや六太夫さんにしても
自然で存在感がある。
枝雀のように爆笑を取りに行く、というものではなく、
ごく自然な、この人々ならばこんなことを言うだろう、という
科白や会話、間が妙に可笑しい。
アホが急いている人の袂を引っ張るところで
一度振り解かれて「まだ離しません」と言うのは要らんかなあ。
六太夫さんの家で「んー」を繰り返していくところ、
最後にサン(犬)に言わせるのはムチャだけど面白かった。
撃ってから「これ新しいか」や
サゲまでの持っていく流れも自然であり、
歪まずに流れていた。
「曲独楽」(米八):○-
久し振りに見ると非常に痩せて髪も短くしていたので
「大丈夫かな?」と思っていると、
昨年ガンの手術をしたとのことで、その話。
声も小さく、掠れている。
芸の方は流石。
だいたい、この人の押し付けがましい喋り方が好きではないのだが、
声が小さいお陰で、逆にその暑苦しさを感じずに済んだ。
盆回し、皿回しの後、
指先や手先、キセルでいつも通りの曲独楽。
「通いの曲独楽」では、
この狭い小屋の高座と後部出入口の前に置いた椅子の間に糸を張り、
客席の中を渡らせていた。
すぐ横で見えたので、非常に新鮮で良かった。
「百年目」(雀三郎):○
「人を使うは苦を使う」から、
噺家として他の人を引き連れていく立場になるとどのような心配をするか、
かなり具体的な話。
これが非常に興味深い、良いマクラ。
ネタは、個々の会話は良いが、
全体として、旦那や番頭の一貫性が不足している印象。
結果的に番頭や旦那のこの事件に至るまでの蓄積や奥行き、
様々な経験があったのだろうな、と想像させる存在感は
充分には出ていなかったように感じる。
方向性の問題ではあるのだが、
個人的には「百年目」というネタはそのあたりを出した方が良いのは、と思う。
最初の番頭が店の連中に順繰り小言を言っていく場面、
相手の年齢や立場、どの程度理解しているべきか、を考えて
番頭が小言の言い方を変えているように聞こえた。
これは米朝などではあまり感じなかったので、
なるほど、と思った。
店の連中はそれぞれ生き生きしているが、
番頭への「恐れ」といったものがもう少しベースにある方が良いと思う。
幇間とのやり取り、
船に上がっての色街の連中とのやり取り、
このあたりの感じは出ていたのだが、
叩き上げの番頭の基本的な硬質さが不足しているので、
対比が映える、とまではいかなかった。
親旦那、連れの花木さんの落ち着いた風情は良い。
番頭が見つかって頭を下げるところはあっさりと。
もう少し表情の変化などを克明にしても良いかな、とも思うが、
あっさりやるもの悪くない。
番頭が店に戻り、その後旦那と花木さんが戻ってくる。
この部分の旦那の言い方は特に皮肉に聞こえず、丁度良いくらい。
脱ぎ着する番頭が「池田の猪買い」にかけて
「袷が5枚に綿入れ」などと言うのは、まあ、悪くないか。
旦那が奥で煙草を吸うところ、
「年をとった人の咳は長い」といった話を入れて
かなりクサ目にやっていたが、
個人的にはこの旦那、あまり年寄りくさい面を見せない方が良いのでは、と思う。
番頭からすれば「頭の上がらない旦那」であり、
客からもその目でずっと旦那を見てもらった方が良いと感じる。
赤栴檀と南縁草の法談、
番頭が「旦那に対しては南縁草、店に出たら赤栴檀」にあたるという二面性が
少し分かりづらい台詞回しかも、と感じたが、
落ち着いており流石。
「ところで」以降は少し転換し過ぎていたかも知れない。
やはりサゲの一言まで、よく出来たネタだと思う。
どうしても重くなりがちなネタで、個人的にはそれでも構わないと思うのだが、
マクラなしであれば30分程度、というのは
それはそれで良いのかも知れない。