朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

文楽劇場「生写朝顔話」

2024年07月29日 18時02分59秒 | 歌舞伎・文楽
昨日は久し振りに文楽劇場の「夏休み文楽特別公演」へ。

コロナ前以来か、と思ったら、3年前に簑助師の引退公演に行っていた。それでも3年ぶりではある。
以前は年数回通っていたこともあるが、代替わりしたことやチケット代が上がっていることもあり、
ご無沙汰になってしまっている。

昔は、夏休み公演は三部制であり、その分チケットが割高になるので行っていなかったのだが、
もう内容が良ければいいや、ということで寄ってみた。

第二部の「生写朝顔話」。
自分のブログを見ていると、15年前に行っているようだ。
今回は中央通路の一等席。
足が伸ばせるので良いと思っていたのだが、
同じことを考える人は多く、左右も人が座っていて少し窮屈(全体には、日曜にも関わらず3割程度の入りなのに)。
1時半~ほぼ5時半で、間に10分休憩×2回なのでさすがにしんどい。

以下、つらつらと感じたことを。
「宇治川蛍狩の段」
・最初の見初の場面。
 深雪に絡む酔っ払った浪人を阿曾次郎が助ける、という、まあベタなところ。
・太夫がなあ。
 あまり腹から出ておらず、口先で弄っている感じ。住太夫だったら激怒していそう。
・人形は何とも思わなかった。印象にない。

「明石浦船別れの段」
・せっかく二人が会えたのに、また離れてしまう、という場面。
 これもベタではある。
・ここも浄瑠璃が引っ掛かる。
 音程がイマイチ安定しない感じ。
・人形には何も感じず。

「浜松小屋の段」
・合三味線が清治なのだが、最初大夫と合っていないように感じてしまった。
 何か、自分の調子で進めてしまっている感じ。
 後になると違和感はなくなったのだが。
・この場面(特に後)、今まで何とも思わなかったのだが、よく出来ているところと感じた。
 浅香(深雪の乳母)と女衒との立ち回りはよく分からないのだが。

「嶋田宿笑い薬の段」
・有名なチャリ場。
 織太夫が全体にきちっと締まっていない感じで、「笑う」場面の緩和がイマイチ効いていない印象。
 (客が少ないせいでもあるのだが)なかなかウケに繋がらなかった。
 藤蔵は相変わらず声が多過ぎでうっとうしい。好きではない。
・勘十郎が楽しんでやっている。
 別格の印象。

「宿屋の段」
・ここがメインのところ。良く出来た場面と思う。
 「受ける」側の芝居を気にしてしまう私は、
 駒沢と名乗っている阿曾次郎が話している場面では朝顔(深雪)の反応を見てしまい、
 朝顔のクドキの場面では駒沢の反応を見てしまっていたのだが、
 駒沢の声を聞いた際の朝顔については、
 もう少し「この人は、もしかして?」という反応を見せた方が良いような気がする。
・錣太夫は最初悪声と感じていたが、歌の場面は、まあ悪くなかった。
 # 錣太夫って、調べたら前名「津駒太夫」なんやね。津太夫33回忌で襲名しているのか…。 
・徳右衛門がやけにそのあたりの商人という感じで作られているのだが、
 この人、嶋田宿でけっこう大きな宿屋をやっている人、という設定だよな?
 萩の祐仙をやり込める場面もあるので、もう少し格があった方が良いような気がした。
 後の転換を考えると、ここでは下げておいた方が良い、ということなのかしら。

「大井川の段」
・初っ端は「軒付け」でお馴染みの節。
・設定は、うーん、近代的な価値観では納得しづらいなあ。
 「甲子の年」だからって、いくら恩人の娘とは言え、
 腹を切って助けるのはさすがに違和感がある。
 そのあたり、同じ前近代的な設定でも
 「寺子屋」や「鮨屋」の方がまだ分かるのだが。
・人形は悪くなかった。

文楽劇場40周年らしいのだが、客の入りは相変わらず良くない。
まあ、だいたい夏休み公演は(第一部は兎も角)そんなものではあるのだろうけど。
飛び込みで第三部の「油店の段」だけ、また覗こうかな。
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東京都知事選から思うこと

2024年07月13日 10時53分48秒 | 政治
東京都知事選挙が終わった。
都知事選挙、なぜ小池は勝ち、石丸は票を伸ばし、蓮舫は伸びなかったのか(大濱崎卓真) - エキスパート - Yahoo!ニュース

私は有権者ではないので傍から見ているだけだったのだが、
民主主義の毀損を感じる選挙戦だった。

最初に「選挙ポスター掲示板のスペースを売却する」という話が出てきた。
「掲示板ジャック」が物議 ポスター枠「売却」、問われる良識―「常識外れ」と有権者・都知事選:時事ドットコム
安価で都内各地に大量の広告を打てるし、盲点になっている、という点からすれば、
「ビジネス」としては非常に優れたアイデアなのかも知れないが、
選挙の目的から考えれば当然「常識外れ」でしかない。
逆に言えば、そこまで選挙や民主主義の「常識」が変質してしまっている、ということだろう。
「思いついても、そんなことはしないだろう」という「常識」が失われつつある。

現職の小池は政策論争から逃げた。
人間の心理を踏まえると、
4年間の実績で「できたこと」より「できなかったこと」の方が有権者の印象に残る。
しかし、知名度等を考えれば現職の方が有利。
つまり現職は、政策論争に参加せず、現職の知名度を利用して逃げ切りを図る、というのが
選挙に勝つための戦略としては正しい、ということになる。
そんなことは分かっているのだから、マスコミ等は「政策論争に参加しない」ことを徹底的に批判することで、
公正な選挙戦を支援するべきではないか。
現職が政策論争から逃げようとするのは当然の話であり、
それを徹底的に非難しないのは、現職を支援する活動に他ならない。

逆に、蓮舫は「政策論争」に巻き込まなければならなかった。
早く政策を提示し、その土俵で戦うべきだった。
それを「先に提示すると不利になる」とか言って逃げたのは愚策だろう。

結果、石丸にも大差を付けられて「3位になる」という惨敗を喫することになった。
もちろん、選対陣営に広告代理店に繋がりがある者を入れ、
マーケティング的に巧みに支持を拡大した石丸が「上手くやった」面はあるにしても、
そもそも「組織だろ」というイメージを持たれてしまい、
広がりに繋がらなかった失策を反省しないと、次回以降も勝ち目はないだろう。

石丸については、選挙後になって色々とマスコミがアリバイ作りで叩いているが、
それは選挙前から分かっていた話であって、何を今更、である。

結局、民主主義≒選挙と捉えてしまうと、
短期間で様々な手を打てる広告戦略や
その期間に不利になる報道をする(有利な報道をしない、も含めて)マスコミを味方にする者に勝つことは不可能だろう。
「選挙がすべて」という言い草に乗っかってはいけない。
その土俵で戦っては勝ち目がない。
「政策をパクられたら」とか言うけど、そんなことを言っても仕方がない。
目的は「政治を良くすること」であり、「良い政策がパクられるのは良いこと」と思うしかないのでないか?
もちろん公職選挙法の縛りがあるから「立候補予定者」等は書けないだろうが、
日常から、極端な話前回選挙が終わったタイミングから、
その地方自治体のあるべき政策を掲げて、それを広げる運動を始め、継続するべきではないのか?
それが「選挙がすべて」ではない、あるべき民主主義社会の状態ではないのか?

「何も変わらない」「政治は政治家に任せておけ」と言う連中は、このような動きを冷笑し、
「自分の仕事をしろ」とほざくのだろうが、
民主主義社会においては一人一人が「政治」「政策」に関心を持つことも「仕事」である。
報酬が出なくても、それも重要な「仕事」である。
選挙の時だけ関心を持つような状況で、
単なる人気ではなく「自分に合った候補者」を選択することができるのか?

そして、自分の生業に追われている状況で、
民主主義の参加者としての「仕事」をこなすのは難しい。
「政治・政策について考える余裕なんかない」という話になってしまう。
だから一人一人の国民の生活を安定させる、というのは
本来の民主主義ではベースとなる基本的な態度になるのではないか。
逆に為政者側は、自分たちが都合よく振る舞いたいから、
国民の生活は不安定で日々の生存に汲々としている方が望ましい、という構造になる。
「百姓は生かさぬよう、殺さぬよう」というのは、過去の話ではない。

さて、どんな社会が望ましいのだろうか?
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