カナで書いたらちやんちやら。(by 10代目桂文治)
日本の原発稼働状況 再稼働した原発は10基 いずれも25年以上運転 近づく「老朽原発」(福島テレビ) - Yahoo!ニュース
原発再稼働・建設に向けて舵が切られそうだが、
「ああ、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」なんだな」と感じる。
もう1回東日本大震災が必要なのか?
今度は「幸運」はなく、全電源喪失し、冷却機能は失われ、爆発事故を起こし、
チェルノブイリの如き事態を招きかねない、としても。
そもそも原理的に、「原発を稼働させる」判断をする正当性が、私たちにあるのか。
原発による利益(電気)は私たちが享受する。
その後の核廃棄物や廃炉、事故リスク等は私たちではなく、後の世代に押し付けられることになる。
このアンバランスを気にせず、今生きている私たちだけで功利判断をすれば、
そりゃ「原発を稼働させる」になるに決まっている。
でも、核廃棄物はどうするの?
50年だか100年だか知らないが、寿命が来た時に「廃炉」はどうするの?震災で使えなくなった原発の廃炉だって出来ていない。
それは「後世が上手くやってくれるだろうから、知らない」というのは、
あまりにも無責任な態度ではないのか?
# 自分らの年金額だけは絶対に減らしたくない、という「死に逃げ」高齢者みたい。
特に、「国民・国土を守る!」とか叫んでいる保守派の皆さまよ。
皆さまは、放射能で汚染されて住めなくなっても
日本領だから「国土・国民は守られている!」とでも言うのかい?
そして(とりあえず、限定は付けるが)「現在」の原発技術は、不測の事態への対応が不十分。
それは根本的に、現在の「原発」の技術が「フェイル・セーフ」になっていない(なり得ない?)ことに起因しているのではないか。
車が故障したときには「止まる」。
遮断機が故障したときには「降りてくる」。
基本的な「フェイル・セーフ」のベースは、「故障は起こるものだ」という冷厳な現実認識を背景に、
故障が発生して外力が働かなくなった場合には、安全な方向に(自然の力で)誘導することだろう。
しかるに、原発はどうか。
暴走しないように「冷やし続ける」必要がある。外力を与え続けることが前提。
外力で「冷やす」ことを止めてしまえば、暴走し、メルトダウンを起こし、爆発する。
或いは放射線を出し続けてしまう。防護壁を「作って」、止めなければならない。でも防護壁も劣化する。
例えば人類が死に絶えました、という状況で、原発はどうなりますか?安全に停止するのですか?
もう人類はいないから、後は知らんがな、で終わり?
不測の事態への対応が、「不測の事態は起こらない」と信じること(これも、「フェイル・セーフ」に反する思考なのだが)、
「事故」と言わないこと、「安全だ」と言い続けて自分の言葉に酔い、安全だと思い込むこと。
言霊信仰が事故対策って、どれだけ前近代なんだか。
今は「脱炭素」の文脈で「原子力がクリーンだ」と語られている。
日本はSDGsの嵐の中で主張できていない(あまりにも軽視していたため、最早居場所がない)が、
「脱炭素」はSDGsの中の一つの要素に過ぎない。
「脱炭素」のみを主張し、他の目標を無視することは、SDGsの求める「バランス」からかけ離れたことであり、
理解不足なのか、「脱炭素」を原発再稼働のために利用しようとしているんだな、と感じる。
例えば、原子力発電のためには「燃料棒」が必要になる。
この製造はどこで行われている?そのためにCO2は排出されていないの?
また、燃料棒製造は安全な環境で行われているの?働いている方の人権はきちんと守られているの?
特に、放射性物質の危険性やリスクがきちんと理解された上で、製造されているの?
そして、燃料棒を輸入している以上、為替や安定供給等のリスクから無縁ではない。
「脱炭素」と言うのであれば、SDGsについてある程度理解し、
さらに燃料棒の製造過程くらいはきちんと問題ないことを検証するべきだろう。
# これは別に、原子力発電に限った話ではなく、
太陽光パネルとか風車とか、どの発電手段であっても考えなければならないこと。
特に、原発には核廃棄物の問題が付きまとう。
プルサーマル計画があったとしても、最終的にゼロにはならない。
誰も利用しない大深度に埋めれば良い、って、そのツケはやっぱり未来世代に押し付けられている。
個人的には、遠隔地の大規模発電所から(途中で失われる前提で)高電圧で都会に送電し、
各家庭に配電する、という仕組みは改めるべきでは、と考える。
今回の大雪でもあったが、やはり送電が途切れるリスクはあり、災害には弱い。
小池の意思決定に問題はあったし、技術的な問題点は山積しているが、
「各家庭での(いわゆる)クリーンエネルギー」プラス「大規模需要者の発電施設」をベースとし、
その中である程度地域でまとまって中規模の発電施設(基本はクリーンエネルギー)からの配電を受ける、
という「ネットワーク」的な方向性が、
少なくともハイリスクな原発推進よりはベターなのではないか、と思うのだが。
日本の原発稼働状況 再稼働した原発は10基 いずれも25年以上運転 近づく「老朽原発」(福島テレビ) - Yahoo!ニュース
原発再稼働・建設に向けて舵が切られそうだが、
「ああ、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」なんだな」と感じる。
もう1回東日本大震災が必要なのか?
今度は「幸運」はなく、全電源喪失し、冷却機能は失われ、爆発事故を起こし、
チェルノブイリの如き事態を招きかねない、としても。
そもそも原理的に、「原発を稼働させる」判断をする正当性が、私たちにあるのか。
原発による利益(電気)は私たちが享受する。
その後の核廃棄物や廃炉、事故リスク等は私たちではなく、後の世代に押し付けられることになる。
このアンバランスを気にせず、今生きている私たちだけで功利判断をすれば、
そりゃ「原発を稼働させる」になるに決まっている。
でも、核廃棄物はどうするの?
50年だか100年だか知らないが、寿命が来た時に「廃炉」はどうするの?震災で使えなくなった原発の廃炉だって出来ていない。
それは「後世が上手くやってくれるだろうから、知らない」というのは、
あまりにも無責任な態度ではないのか?
# 自分らの年金額だけは絶対に減らしたくない、という「死に逃げ」高齢者みたい。
特に、「国民・国土を守る!」とか叫んでいる保守派の皆さまよ。
皆さまは、放射能で汚染されて住めなくなっても
日本領だから「国土・国民は守られている!」とでも言うのかい?
そして(とりあえず、限定は付けるが)「現在」の原発技術は、不測の事態への対応が不十分。
それは根本的に、現在の「原発」の技術が「フェイル・セーフ」になっていない(なり得ない?)ことに起因しているのではないか。
車が故障したときには「止まる」。
遮断機が故障したときには「降りてくる」。
基本的な「フェイル・セーフ」のベースは、「故障は起こるものだ」という冷厳な現実認識を背景に、
故障が発生して外力が働かなくなった場合には、安全な方向に(自然の力で)誘導することだろう。
しかるに、原発はどうか。
暴走しないように「冷やし続ける」必要がある。外力を与え続けることが前提。
外力で「冷やす」ことを止めてしまえば、暴走し、メルトダウンを起こし、爆発する。
或いは放射線を出し続けてしまう。防護壁を「作って」、止めなければならない。でも防護壁も劣化する。
例えば人類が死に絶えました、という状況で、原発はどうなりますか?安全に停止するのですか?
もう人類はいないから、後は知らんがな、で終わり?
不測の事態への対応が、「不測の事態は起こらない」と信じること(これも、「フェイル・セーフ」に反する思考なのだが)、
「事故」と言わないこと、「安全だ」と言い続けて自分の言葉に酔い、安全だと思い込むこと。
言霊信仰が事故対策って、どれだけ前近代なんだか。
今は「脱炭素」の文脈で「原子力がクリーンだ」と語られている。
日本はSDGsの嵐の中で主張できていない(あまりにも軽視していたため、最早居場所がない)が、
「脱炭素」はSDGsの中の一つの要素に過ぎない。
「脱炭素」のみを主張し、他の目標を無視することは、SDGsの求める「バランス」からかけ離れたことであり、
理解不足なのか、「脱炭素」を原発再稼働のために利用しようとしているんだな、と感じる。
例えば、原子力発電のためには「燃料棒」が必要になる。
この製造はどこで行われている?そのためにCO2は排出されていないの?
また、燃料棒製造は安全な環境で行われているの?働いている方の人権はきちんと守られているの?
特に、放射性物質の危険性やリスクがきちんと理解された上で、製造されているの?
そして、燃料棒を輸入している以上、為替や安定供給等のリスクから無縁ではない。
「脱炭素」と言うのであれば、SDGsについてある程度理解し、
さらに燃料棒の製造過程くらいはきちんと問題ないことを検証するべきだろう。
# これは別に、原子力発電に限った話ではなく、
太陽光パネルとか風車とか、どの発電手段であっても考えなければならないこと。
特に、原発には核廃棄物の問題が付きまとう。
プルサーマル計画があったとしても、最終的にゼロにはならない。
誰も利用しない大深度に埋めれば良い、って、そのツケはやっぱり未来世代に押し付けられている。
個人的には、遠隔地の大規模発電所から(途中で失われる前提で)高電圧で都会に送電し、
各家庭に配電する、という仕組みは改めるべきでは、と考える。
今回の大雪でもあったが、やはり送電が途切れるリスクはあり、災害には弱い。
小池の意思決定に問題はあったし、技術的な問題点は山積しているが、
「各家庭での(いわゆる)クリーンエネルギー」プラス「大規模需要者の発電施設」をベースとし、
その中である程度地域でまとまって中規模の発電施設(基本はクリーンエネルギー)からの配電を受ける、
という「ネットワーク」的な方向性が、
少なくともハイリスクな原発推進よりはベターなのではないか、と思うのだが。