◆新米ママたちに捧げるエッセイ◆
市民ブロガーのジョンけけです。
甲府の新米ママたちに捧げるエッセイ書きました。
※エッセイについて詳しくはこちらをご覧ください。
…の前に、こうふでうふふ。
“ね”から始まるいいもの、みっけ。うふふのふ。
お盆。
それはあの世の住人になった家族たちが、
一年に一回、この世へ里帰りしてくる日のこと。
あの世から、懐かしいウチへの道を
迷わず帰ってこられるよう、
ウチで待つ家族は戸口のところで“迎え火”をたきます。
ここは、とある家族のお家です。
ここんちでも迎え火をたきます。
ご先祖さまのために。
大好きだったおじいちゃんのために。
大好きだったおばあちゃんのために。
孫の大きな男の子がつぶやきました。
「おじいちゃんは迷わないと思うけど、
おばあちゃんは方向音痴だから心配だなあ…」
孫たちは考えました。
ほどなく、小さな男の子がいいことを思いつきました。
「そうだ!ウチのおばあちゃんにだけわかる、サイン、出せばいいんだよ」
「それ、いいかも!…それならあれにしましょ。おばあちゃんの大好きな形!」
大きな女の子が言いました。
お盆の夕暮れ時、
孫たちはお父さんとお母さんと、迎え火をたきます。
迎え火のすぐそばの土にはお線香を何本も何本も立てました。
おばあちゃんにわかるように。
おばあちゃんが迷わないように。
そう願いながら、みんなで並べて立てました。
やがて…、
――ただいま。
おばあちゃんが無事におウチに帰り着きました。
――みんな、ありがとうね。
おかげでおばあちゃん、すぐにウチがわかったよ。
そうそう。
おばあちゃんだけじゃない。
おじいちゃんだって、ちゃーんと…あれれ?
おばあちゃんより3歩下がって?帰ってきたのでした。
「おかえりなさーい!」
~くるくるくるくる、お線香でこしらえたハートです~
今回のうふふな“ね”の付くもの、それは…
『ねがいをこめた“こころのかたち”、そのものでしょ』
なのでした。うふふのふ。
ということで、新米ママと赤ちゃんのエッセイ、“ね”の巻、始めるわよ。
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“随筆”育母百科・アフリカゾウのさかさまつげ~
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◆ねてるひとおきないの=寝てる人、起きないの?
ここは故人とのお別れの席。
いつも遊んでくれていたやさしいおじいちゃん(または、おばあちゃん、親戚のおじさん、おばさんたち)が、
珍しくまだ布団に寝ている。
子どもは親に、「おじいちゃん、まだ起きないの?お寝坊さんだねぇ」などと問いかけたりする。
涙目の親は、「ホントに…今日はずいぶんとお寝坊さんね」と、精一杯の回答をするしかない。
そうするとアクティブなお子様は今日も遊んでもらおうと、目の前のお寝坊のおじいちゃんを揺すぶってみたりする。
その光景が周囲の大人の涙をまた誘うこととなり、お子様はそんな大人たちを見て、
なんとなくその場が“いつも”ではないことを静かに理解していく。
さらにはお別れのあいさつに集まるたくさんの人や花などを見て、これはお祭りに違いないと考えてワクワクしてしまうこともある。
確かに故人がこの世の修行を終えてあの世へ旅立つ日なのだ、と考えればそれはある意味真である。
だが現実は悲しみがいっぱい。やがて式が終わって片付けが始まると、子どもは「お祭り、もう、終わりなの?」
と、寂しげな口調とつぶらな瞳で大人の顔を覗きこむ。
子どもの打算のない感性は、大人の悲痛な思いをさらりとかき分け、
大人の心のど真ん中に素朴な花の種をまき、明日と言う名の花を咲かせてくれたりもする。
そうして“これから”をたっぷり背負っているそのちっちゃな人間は、
おっきな人間が手に余るほど抱えてきた執着や未練や悲しみをいつの間にやら軽くしてくれるのだ。
そういう意味でもやはり“子どもは天使(天からの使い)”に違いないと思われる。
母親は一日にして成らず。
でも、心配いりません。
ちゃんと育っていけますから。
子どもがちゃんと“お母さん”を育ててくれますから。
(つづく)
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