こんにちは
甲府ろう市民レポーターの深澤です
※ろう者とは耳が聞こえない人のこと。私は日本語とは異なる“日本手話”を言語として使用している者です。
7月と言えば、七夕や夏休みなど楽しいイベントが盛りだくさんですね
皆さんに知ってもらいたいことがあります。
76年前の7月6日、甲府市ではとても悲しい出来事がありました。
そう、「甲府空襲」です。
1945年7月6日から7日にかけて、アメリカ軍爆撃機B-29が甲府市中心部に爆弾を落とし、甲府のまちは一瞬で焦土化しました。
本や新聞、テレビ、そして実際に戦争を体験した方から当時の話を見たり聞いたりするのは、私たちにとって、とても貴重なことです。
しかし、“ろう者の体験談を聞いたことがない”と思いました
私自身ろう者です。ろう者は手話や文字を見てから動くので、聴者に比べ、行動に移すのが少し遅いことがあります。
そのようななか、今のように情報を知れる手段がない戦時中に生まれていたら、どうしていたのだろうとまったく想像できません
- 76年前は、まだまだろう者に対し理解がなかったのではないか。
- ろう者は戦前、戦中、戦後の様子、情報をどのように知り、感じ、どんな気持ちで見てきたのだろうか。
今回、岩窪町に住むろう者の武田陽子さんが取材に応じてくれました
2歳上の武田さんのお姉さんも同席してくださり、当時の様子を伺いました。
▲左から、お姉さん、武田さん
※トップの動画は、取材時のものです。
※武田さんの体験談、甲府空襲については、「広報こうふ」7月号の「とびだせ!市民レポーター!」をぜひご覧ください
武田さんは、昭和8(1933)年に長野県の岡谷で生まれ、8歳の頃甲府に移り住みました。
戦前は、百石町(ひゃっこくまち/現在の甲府市丸の内2丁目、3丁目周辺)にあった山梨県立盲唖学校(現:山梨県立ろう学校/山梨市)に通い、午前は勉強、午後は軍に必要な道具などをつくっていたそうです。
戦争中であることを知ったのは、アメリカ軍の飛行機がときどき上空を飛んでいたから。
“戦争が始まった”と思いながら空を見ていたと言います。
武田さんは、読み書きができるお姉さんや周りの方に文字を教えてもらったので、戦時中も筆談で情報を知ることができたそうです
戦後は学校には戻らず、一生懸命お母さんの畑仕事を手伝ったそう
当時のことを振り返り、「私たちのような経験をしてはいけない」と話す武田さんとお姉さんを見て、戦争の恐ろしさを感じ、“この体験を風化させてはいけない。次世代へ伝えていきたい”と心から思いました
武田さんは現在88歳。手先がとても器用で、お手製の猫の壁飾りを見せてくださいましたとてもお上手
取材にも気さくに応対していただき、私も気楽にお話をすることができました。
武田さん、お姉さん、どうもありがとうございました
これからもお元気でお過ごしください
■Go!Go!市民レポーターが行く
2021年7月号・ろう者が見た甲府空襲~76年前の7月6日、甲府のまちが火の海になった~
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/shise/koho/kohoshi/r3/documents/20210726.pdf