戦前の幼い日 祖母が呼んだタクシーで

祖母とお出かけをした事があった。
姉二人は学校、妹はまだ幼くて、お母ちゃんから離れられないとき。
街には 銀丁というデパートがあって横を市電が走っていた。
市電の向かい側のビルの2階に 味の銀丁というレストランがあった。
祖母の買いものだったのか レストランが目的だったのか
全く覚えていない。覚えているのはそのレストランで食べた
アイスクリームが 塩辛くて食べられなかった事。
今は家庭の冷蔵庫にアイスクリームが入っている事もあるけれども
当時のアイスクリームは 夢の様な食べ物だった。

辛くて食べられないアイスクリームを前に
レストランとどの様なやりとりがあったのかは覚えていない。
祖母と「辛かったねぇ。食べられなかったねぇ。」と分かり合えて嬉しかった。
父が 「アイスクリームを作る時に塩を使って温度を下げるからね。
作る時に、周りにお塩を入れるから、それが入ったのだろう。」
と言ったのを 覚えている。
それからは 戦争に突入ーーだんだん食べる物がなくなり、デパートも無くなった。
子供達は成長期にみんなひもじい ひもじいを体験したのでした。