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寺院右0609 妙心寺 長興院(ちょうこういん) 滝川一益の墓がある

2019年08月09日 13時54分12秒 | 寺院

 

 

 

 

 

 

 

津田家菩提所 

 

長興院(ちょうこういん)

天正9年(1581)、滝川一益(たきがわかずます15251588)が、九天宗瑞(くてんそうずい1612)を開祖として創建した塔頭で、暘谷庵(ようこくあん)と称する一庵が建てられた。慶長11年(1606)に一益の養女を夫人とする津田秀政が再興して、暘谷庵と号したが、寛永12年(1635)秀政が没し、「長興院岩道景大居士」と法名を付し、院号を再び長興院と改称している。元禄5年(1692)に大雲院(開基織田信忠、開祖九天宗瑞)を合併し、貞享3年(1686)に現所在地に移転し、その跡地を本山が買い取って宝蔵を建立して池を掘り、今日のような景観となった。津田家の菩提寺である当院の墓地には秀政、正重など代々を葬っている。滝川一益の墓がある。

 

関連記事 ⇒ まとめ024 妙心寺

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院右0608 妙心寺 衝梅院(こうばいいん)

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戦時下の八幡 京都からの集団疎開

2019年08月09日 06時43分33秒 | 戦後70年

 

1944年(昭和19)から、空襲をさけるため都会にある国民学校初等科の児童を個人的、集団的に地方都市や農村へ移住させることを学童疎開といいます。

当時、京都市内から先生につきそってもらって学校単位で八幡にやってきた子供たちです


上京区・京極国民学校・50人 内里の福王寺とほかに2つの寺・有智郷国民学校へ通う


下京区・豊園国民学校・111人(1次)、21人(2次)・上津屋の善照寺光頼寺専琳寺・岩田の正覚寺・都々城国民学校へ通う


中京区・朱雀第4国民学校・47人・神応寺・八幡国民学校へ通う

                寺院八幡0579 神応寺 曹洞宗