アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まとめ046 平安宮と周辺史跡 37ケ所

2019年08月24日 09時39分15秒 | テーマ数々

 

  平安宮013 二条公園と平安宮の遺跡

1 平安宮朝堂院跡(へいあんきゅうちょうどういんあと)

  応天門・朝堂院と朱雀門の間にあった門 神社左0157 平安神宮 応天門

2 大極殿遺阯(だいごくでんいし) 

    1200前の京都 大極殿

  平安宮003 大極殿

  平安宮004 大極殿 案内板

3 平安宮内裏弘徽殿跡(へいあんきゅうだいりこきでんあと)

4 平安宮豊楽院跡(へいあんきゅうぶらくいんあと)

    平安宮011  豊楽院 

  平安宮豊楽殿跡(へいあんきゅうぶらくでんあと)

           平安宮010  豊楽殿跡

           平安宮028 豊楽殿跡

5 平安宮内裏承香殿跡(へいあんきゅうだいりじょうきょうでんあと) 

6 平安宮内裏昭陽舎跡(へいあんきゅうだいりしょうようしゃあと)

7 平安宮内裏承明門跡(へいあんきゅうだいりじょうめいもんあと)

8 平安宮内裏宜陽殿跡(へいあんきゅうだいりぎようでんあと)

9 平安宮内裏内郭回廊跡(へいあんきゅうだいりないかくかいろうあと)

       平安宮006 歩道縁石に大極殿跡・回廊跡

       平安宮008 歩道縁石に 小安殿跡 北回廊跡 昭慶門跡 と 書かれています

       平安宮030 内裏内郭回廊跡 国指定史跡

10 平安宮内裏綾綺殿跡(へいあんきゅうだいりりょうきでんあと)

11 平安宮酒殿跡発見の井戸と木簡(へいあんきゅうさけどのはっけんのあとのいどともっかん)

12 平安宮中務省東面築地跡(へいあんきゅうなかつかさしょうひがしめんついじあと)

   平安宮022 中務省 復元図 安倍晴明が働いていたところ

13 平安宮造酒司倉庫跡(へいあんきゅうみきのつかさそうこあと)

   平安宮018 平安宮造酒司倉庫跡 13  造酒司倉庫跡柱穴

14 造酒司倉庫跡柱穴(みきのつかさそうこあとはしらあな)

   平安宮018 平安宮造酒司倉庫跡 13  造酒司倉庫跡柱穴

15 宴松原(えんのまつばら)

       平安宮009  宴の松原

16 平安宮主水司跡(へいあんきゅうしゅすいしあと)

  平安宮012 平安宮 主水司(しゅすいし)跡 16

17 平安京大内裏朱雀門址(へいあんきょうだいだいりすざくもんあと)

      平安宮017 朱雀門 17

18 平安京朱雀大路と朱雀門(へいあんきょうすざくおおじとすざくもん)

19 安倍晴明公居館之址(あべのせいめいこうきょかんのあと)

20 小野小町双紙洗水遺跡(おののこまちぞうしあらいのみずいせき)

21 検非違使庁址(けびいしちょうあと)

22 鵺池碑(ぬえいけひ)

      祠中043 鵺(ぬえ)大明神   石碑中0186 鵺池碑

23 冷然院跡(れいぜんいんあと)

24 堀河天皇里内裏址(ほりかわてんのうさとだいりあと)

25 閑院内裏跡(かんいんだいりあと)

26 東三条殿址(ひがしさんじょうどのあと)

27 神泉苑東端線(しんせんえんとうたんせん)

      石碑中0187  神泉苑 東西端

28 神泉苑のCG(しんせんえん)

29 橘逸勢貞址(たちばなのはやなりていあと)

30 大学寮址(だいがくりょうあと)

  平安宮016 大学寮跡 

31 弘文院址(こうぶんいんあと)

32 勧学院址(かんがくいんあと)

       平安宮007 石碑  従是東北勧学院址

33 二条駅前文化財情報板(にじょうえきまえぶんかざいじょうほうばん)

34 平安宮一本御書所跡(へいあんきゅういっぽんごしょどころあと)

35 平安宮大蔵省跡(へいあんきゅうおおくらしょうあと)

36 平安宮西限藻壁門跡(へいあんきゅうさいげんそうへきもんあと)

37 北野天神縁起絵巻(きたのてんじんえんぎえまき)


  平安宮014  平安宮 民部省跡

     平安宮015 平安宮 式部省跡

     平安宮025  西坊城小路と三条坊門小路

     平安宮026 右京職の建物跡 墨書土器

     平安宮027  六町の園地跡

     平安宮029 平安宮

  平安京031 蔵人所町屋

  平安宮032  平安宮



 


寺院右0621 妙心寺 雲祥院 方広寺の梵鐘に関わる話

2019年08月24日 07時41分41秒 | 寺院

 

 海山によって創立されている。京都東山の方広寺大仏に豊臣秀頼の寄付による梵鐘の銘(東福寺の僧・清韓の撰文)のうち「国家安康、君臣豊楽」の一文から、家康が大阪の秀頼を攻める口実にせんとした時、阿諛(あゆ)する者多かった中にあって、断固これに反対したのが 雲祥院の海山であった。

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院右0620 妙心寺 桂春院 重文

関連記事 ⇒ まとめ024 妙心寺

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます