江戸時代初期の元和5年(1653)に信州松本城主水野忠清(ただきよ1582~1647)が建立し、龍天宗登を開祖とする。この時は養賢院(ようけんいん)と号し、その後、承応2年(1653)に水野忠職(ただもと1613~1666)が再建して性宣院(しょうせんいん)と改称し、さらに享保3年(1718)に台嶽(だいがく)和尚が再建中興し、福寿院となった。この時の開基が水野忠清の夫人「福寿院殿性宣妙演大姉」で、前田家の養女として水野家に嫁いだ女性である。現在「福寿院殿像」を伝存している。
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