この寺の創建年代等については不詳であるが、聖徳太子が開いたとも伝えられる。
この寺が文書等にあらわれるのは鎌倉時代中ごろからのことで、鎌倉時代後期に真言律宗系の僧定証によって
中興された。その後1325年(正中2年)に焼失したが復興され、室町時代に入るとこの寺の五重塔が備前国の
利生塔に指定された。古くは多くの末寺を有したが、江戸時代中期には数ヶ寺であったという。
山門を入ると正面に本堂、その右手に阿弥陀堂と多宝塔が建つ。これらの中世仏教建築群に対し、境内西側には
方丈、庫裏及び客殿など、僧の生活空間である近世建築群があり、庭園や茶室(露滴庵)もある。
なお、1994年7月、境内地全域が「建造物と一体をなして、その価値を形成している土地その他の物件」(文化財
保護法第2条参照)として、本堂とともに国宝に指定されている。
PENTAX K-5 ” 雅 ” + Pentaxsmc-DA 17-70mm F4 AL[IF] SDMで撮影。