宮島、要害山の桜は、小高い丘にあるため付近の桜がよく見える。4月1日に撮影した。
要害山(宮尾城跡)の説明板にはつぎの解説がされている。1555年(弘治元年)5月、毛利元就は陶晴陶晴腎を
討つために、厳島に戦場を求めここに城を築き拠点とし、島の町衆を味方に引き入れ、陶軍の広島湾進出を阻止し
ようと軍備を整えた。この城は数個の分かれた山城であるが、海上に突き出し、味方の水軍と連絡できる水軍城の
特色も併せ持っていた。同年9月、晴賢は2万余の大群を率い厳島に上陸し、五重塔がある、塔の岡付近に本陣を
置いてこの城を攻撃したが、300余の城兵はよく守り持ちこたえた。元就は主力の軍を率い、包ヶ浦から上陸し
て、山を越え背後から陶軍の本陣を急襲し、この城兵も主力軍に呼応して陶軍を壊滅させた。
PENTAX K-5 ”雅” + smc PENTAX-DA☆ 60-250mm F4 ED [IF] SDMで撮影。