瀬戸際の暇人

今年も休みがちな予定(汗)

異界百物語 ―第91話―

2009年08月28日 20時30分56秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
夏休みも間も無く終わるが、今夜も昨夜に引き続き、海を舞台にした怪談を話そう。

これは三重県津市の海岸で、実際に起った怪奇な事件だと云う。




海岸には海の守りの女神の像が立っている。
これは昭和30年7/28に、市立橋北中学1年生の女子36人が水死した事件を切っ掛けに建てられたそうだが、当時の生き残りの1人であるU川さんは、週刊誌「女性自身(昭和38年)」に、その時の恐ろしい体験を手記に纏め、サインと写真入りで寄せている。


一緒に泳いでいた同級生が、突然「Hちゃん、あれを見て!」としがみ付いて来た。
20~30m沖を見ると、その辺りで泳いでいた同級生が、次々波間に姿を消して行く所だった。
その時、私は水面をひたひたと揺すりながら、黒い塊がこちらに向って泳いで来るのを見た。
黒い塊は何十人もの女の姿で、ぐっしょり水を吸い込んだ防空頭巾を被り、もんぺを履いていた。
私は急いで逃げようとしたが、物凄い力で足を掴まれ、水中に引き擦り込まれてしまい、次第に意識が遠退いて行くのを感じた。
それでもあの足に纏わり付いて離れない、防空頭巾を被った女の無表情な白い顔は、助かった今でも忘れる事が出来ない……


救助されたU川さんは、その後肺炎を併発し、20日間も入院したが、その間「亡霊が来る、亡霊が来る」と、頻繁にうわ言を言っていたそうだ。

「防空頭巾にもんぺ姿の集団亡霊」というのには因縁話が有って、津市郊外の高宮の郵便局長を務めていたY氏によると、この海岸では集団溺死事件の起った丁度十年前の7/28、米軍大編隊の焼打ちで市民250人余りが虐殺されており、火葬し切れなかった死体は、この海岸に穴を掘って埋めたと云う。

Y氏からこの話を聞かされたU川さんは、手記の中で「ああ、やっぱり私の見たのは幻影でも夢でもなかった。あれは空襲で死んだ人達の悲しい姿だったんだわ」と納得している。

尚、Y氏が訊いて回ったところによると、この亡霊はU川さんを含めて助かった9人の内5人が見ているばかりか、その時浜辺に居た生徒達の内にも、何人かが見ていると、U川さんは手記で付け加えている。




…週刊誌に掲載された事で、この事件はかなり有名になり、数多くの心霊関連書籍に取上げられた。
平和な現代に於いて、戦争の記憶は遥か彼方に霞の如し。
だが未だに掘れば骨がじゃくじゃく出て来る土地も在ると聞いて、かつて戦火に呑まれた国日本を思い知る。
海の近くなら、夥しい死体の多くは海岸に集められ、纏めて葬られたのだ。
遊びに行く際は、ゆめゆめ用心忘れぬように。


今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う……遂に残り10本を切ってしまったね……。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




『現代民話考7巻 学校―笑いと怪談・学童疎開―(松谷みよ子、編著 ちくま文庫、刊)』より。
※同シリーズ5巻にも関連した話が載っている。
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異界百物語 ―第90話―

2009年08月27日 21時18分52秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
夜は涼しくても、昼はまだまだ暑いね。
歩いていると汗が背中にじんわり溜まって気持ち悪い。
近くに海が在れば、頭から飛び込んでる所だよ。
貴殿は今年の夏、海へ出掛けただろうか?
今夜と明日の夜は、海に纏わる怪談をお届けしよう。

これは鹿児島の漁師の間で囁かれている話だ。




この地の漁船が沖へ出て行く時、或る瀬の傍で流れ人(水死体)に出会った。
それは長い間波に揉まれていたらしく、すっかり腐乱し切って酷い有様だった。

漁師は出漁の途中であったのと、気味が悪いのとで、死人に此処で待って居れと言い沖へ出たものの、いざ漁が終わると、流れ人をすっぽかしてしまおうと大迂回して戻って来た。

しかし流れ人はこれを見抜いたのか、その途中で待っていたので大いに驚き、謝って連れ戻った事が有ったと言う。

漁師達が話すには、兎に角流れ人と言うものは、根性が有るらしい。

例えば到底人の力では取り出す事の出来ないような、荒磯の岩の間に挟まれている流れ人が在る時は、「とても取り出す事は出来ぬから、こっちへ来てくれ」と死体に言えば、直ぐにすうすうと此方へ流れて来るものだと、この土地の人は言う。




…鹿児島の漁師の間での話と紹介したが、福岡や長崎の漁師の間でも同様な噂が流れている。
常識で考えるなら、死んだ身体に魂は無く、残っているのは抜け殻の筈である。

だが人はそうは考えない。

悲運な事故や、思い詰めての入水なら、生への執着は元の身から易々と離れはしないだろうと考えるのだ。
「柄杓をくれ」と口々に喚いて生者を引き擦り込もうとする船幽霊しかり、海に棲む魔物が恐ろしいのも道理だろう。


今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




『現代民話考3巻―偽汽車・船・自動車の笑いと怪談―(松谷みよ子、編著 ちくま文庫、刊)』より。
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異界百物語 ―第89話―

2009年08月26日 20時33分56秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
夏休みも残る所後数日、名残を惜しもうと今から観光に出掛ける人も多いだろうね。
私も明日は那須に日帰りで出掛ける予定だ。
今夜はそんな瀬戸際レジャー組に贈る、レンタカーに纏わる怪談だ。




或る出版社の女性編集者が、友達と4人でレンタカーを借り、ドライブをする計画を立てた。

それで或るレンタカー会社に借りに行き、車を選んだ訳だが、それは助手席のドアがどうしても開かないという「ハズレ」だった。
不便を感じたものの、借りた後に気付いたのでは遅い。
助手席側からの乗り降りは諦める事にし、気を取り直して目的地を目指した。

「ハズレ」の車でも、ドライブ中特に故障する事も無く、4人は無事にレンタカー会社へ戻ってこれた。
ところが、その車を返す時になって、後部座席に乗っていた男性が、こう話した。

「最初に言うと皆が気にすると思って言わなかったけど、この車が走っている間、ずっと助手席側の窓の外に、髪の長い女性が張り付いて居て、じっと自分達を見ていたんだ……」

それを聞いた他の3人は、何故もっと早く言わなかったのかと非難したが、彼としては下手な事を言って事故でも起きてはいけないと考えたらしい。
しかし彼の言い分を聞いた3人は、そんな変なものが憑いている車に乗っていただけで、充分に事故を起こす可能性が有ったではないかと、尚も非難した。

車を返却後、4人は店員に「この車、ひょっとして事故車じゃないですか?」と尋ねてみた。
すると驚いた事に店員はあっさりと認め、レンタル料金を大幅にまけてくれた。

これに勇を得た4人は、思い切って「この車に、何か変なものが憑いていませんか?」と尋ねてみた。
すると店員は「車じゃないんです。うちのガレージに憑いていて、従業員も時々見るんですよ」と言ったそうだ。




タクシーも恐いが、レンタカーも恐い。
今迄その車をどんな人間が借りたか、見ただけじゃ判断がつかないからねえ。
これから車を借りる予定が有る人は、充分に吟味して選ぶ事だ。
もっともこの話のように、ガレージ自体が憑かれていては、どの車を選んでも変らないだろうがね……。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




『ワールドミステリーツアー13(第12巻)―ワールド編― 第13章 (編集部、著 同朋舎、刊)』より。
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異界百物語 ―第88話―

2009年08月25日 20時20分03秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
今夜は昨夜約束した通り、バスに纏わる怪談をしよう。
バス通学をしている人には、存分に肝を冷やして貰いたい。




兵庫県淡路西浦街道での話だそうだ。

この地には厄年に厄神さんに参り、祝宴を張る風習が有ると言う。
或る年Hさんと言う男性が61歳になった折、淡路より島外の厄神さんに参拝した。

その帰り、親類宅で祝宴の相談をして1泊、翌日淡路に帰り、そこの親類宅に立ち寄った後、日暮れ時に帰途に着いた。

ところが一向に家に戻って来ない。

心配になった家族が捜しに行こうと話していた矢先、富島川の橋のたもとで死んでいるという知らせが入った。
轢逃げ事件と判ったが、結局犯人は捕まらなかったらしい。

事件から半年が経過した頃、男性が死んでいた側を通る最終便のバスの1番後ろの座席に、Hさんと思しき男が俯いて乗るようになった。
その為運転手は怯え、乗客も後ろの座席には絶対に乗らなくなったと言う。

男はバス停を2つ3つ過ぎた辺りで居なくなると言い、淡路ではミステリーとしてマスコミも取上げたそうだ。




怪談を聞く度に思うのは、死者は永遠であるなあという事だ。
命は不滅でなくとも、不幸にして亡くなった者の魂は、怪談の中で生き続ける。
恐れられるだけなら、長く語り継がれはしないだろう。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




『現代民話考3巻―偽汽車・船・自動車の笑いと怪談―(松谷みよ子、編著 ちくま文庫、刊)』より。
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異界百物語 ―第87話―

2009年08月24日 20時01分29秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
8月もそろそろ終わりに近付き、この会も後半に入る事を思うと、寂しいかぎりだね。
特に今年は最終、残る蝋燭は後14本だ。
始めたばかりの頃は、貴殿の顔がはっきり見えたものだが、今ではぼんやり暗闇に浮んで見えるだけ、時折妖ではないかと疑ってしまうよ。

失礼だが、貴殿は間違い無く貴殿だろうか?

4年越しで顔をつき合わせて居た筈なのに、私には貴殿の存在が不確かに感じられて仕方ないのだ。

不安を煽る様な事を言って済まない。
今夜はタクシーに纏わる怪談を紹介しよう。

これは或る年の11月、沖縄の新聞に掲載された事で広まったらしい。



北部の名護で観光タクシーの運転手を勤めていたHさんが、11/17午前1時頃名護~久志村の辺野古(べのこ)へ客を送った帰り、許田へ通じる122号線横断道路に入り、最初のカーブに差し掛かった所で、若い女に呼び止められて乗せた。

「名護までお願いします」

女ははっきりした口調で告げ、車内に乗り込んだが、東江入口まで来た所でHさんが振り返って見ると、影も形も無くなっていた。
無我夢中で名護給油所に駆け込んだHさんは、身体の震えが止まるまで1時間も掛かったと言う。

これで終われば新聞に載るまではいかなかったろうが、事件は再び起きた。

11/18の午前3時頃、今度は同タクシー会社に勤めるYさんが、バーの女給さんを乗せて辺野古へ向った。
そして昨夜同僚が遭ったと言う場所まで来た時、乗っていた女給さんがキャッと悲鳴を上げた。
聞けば道端に立って居る幽霊の姿を見たのだと言う。
そこで女給さんを送り届けた後、引き返してみれば、女が1人、確かにその場所に立って居た。
気丈なYさんは「幽霊なら真っ当な姿で15分も立って居る筈が無い」と考え、彼女を乗せたが、ものの3分も経たない内にメーターが不規則に鳴り出したのに驚き、後ろを振り返ると女の姿が無い。
ぴったり閉めていた筈の窓硝子も、何故か開いていた。

これでも事件は終わらず、三度起きた。

11/19、同じくタクシー運転手を勤めるGさんが、午前零時過ぎにバー帰りの米兵を乗せて辺野古へ帰る途中、明治山の例の場所で、電柱に凭れて手を挙げて立つ女を見た。
同僚達から散々恐い噂を聞いていた彼は、慄いて走り抜けようとしたが、乗客である米兵が彼女を拾って乗せろと言う。
渋々乗せて走り出し、バックミラーで後部を見ると、米兵の横に座っている筈の女の姿が見えない。
だが米兵には見えるのか、騒ぐ様子も無かった。
米兵から「彼女が降りるから」と命じられるままに、辺野古橋で自動車を停めると、そこで漸く彼も女が消えている事に気が付いたらしい。
魂消た米兵は胸に何度も十字を切りながら、部隊の入口まで走り続けたという。



怪談としては有り勝ちな型だが、3日連続で3人の運転手が、それぞれ目撃したという展開に、リアリティを感じられる。

古来より幽霊は乗り物が好きらしく、平安や江戸の時代に書かれた怪談によると、篭に乗って移動するものも居たらしい。
成る程マニアックな拘りを持っている者こそ、死んだ後その執念から幽霊になるのかもしれぬ。
というのは冗談だが…見知らぬ他人と顔を合せる恐怖が、幽霊を形作ると考えられないだろうか?


明日はバスに乗る幽霊を紹介しようと予告した所で、今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




『現代民話考3巻―偽汽車・船・自動車の笑いと怪談―(松谷みよ子、編著 ちくま文庫、刊)』より。
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異界百物語 ―第86話―

2009年08月23日 20時15分31秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
唐突で済まないが、貴殿は「正夢」を見た事が有るだろうか?
夢で見た内容が、実際その身に降り掛かった例は有るかい?

一説に夢を見るのは、脳が記憶の整理をしているからだと言う。
だから過去に体験した出来事が、ごちゃ混ぜになって映像化される訳だが、それだけでは判断のつかない不思議な夢も在る。

これは昭和56年5/7付の中部読売新聞に掲載された記事だそうだ。



昭和55年12/2、愛知県で女性が1人電話で呼び出され、殺されて木曽川に投込まれるという、惨い事件が発生した。

翌年の1/20犯人が逮捕され、自供を元に木曾川で大掛かりな捜索を行ったが、遺体を発見する事は出来なかった。

その頃女性の父親は、よく知人に「娘が水底から助けを求めている夢を見る」と洩らしていたらしい。
知人にだけでなく、父親は捜索の段階で、「東名阪自動車道の上流をもっと捜して欲しい。娘があの鉄橋の上を歩いて来たり、橋の下に居る夢を何度か見たんです」と頼んでいたそうだ。
だが警察は取り合わず、「伊勢湾へ流れ出てしまったのだろう」との見解を出して、捜索は無情にも打ち切られてしまった。

時が経ち、5/5の事だ。
川へ釣りをしに来た人が、女性の遺体を発見した。
そこは父親が夢で見た通りの、東名阪自動車道木曽川橋の上流1キロの地点であったと言う。



…父親の執念と娘の魂が呼び合って起きた不思議か。
とも、これもただの「偶然」と呼ぶべきものか。
貴殿はどっちに考えるだろうか?


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




『現代民話考4巻―夢の知らせ・火の玉・ぬけ出した魂―(松谷みよ子、編著 ちくま文庫、刊)』より。
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異界百物語 ―第85話―

2009年08月22日 19時54分43秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
今年は秋が訪れるのが早く、例年より冷たい物が売れなかったらしいね。
暑いのは勘弁して貰いたいが、夏に暑いのは経済的に歓迎されるらしい。
しかしまだまだクーラーや扇風機のお世話になっている人は多いだろう。
エコブームの折、自らの精神力で涼を得るのが望ましい。
そう考え、今夜も貴殿の肝を、ひんやり冷やす話をお届けしよう。

貴殿の周りでも聞いた事が有るかも知れないが、死は連鎖する。
1軒で葬式が出ると、ウイルスでも発生したかの様に、近場で葬式が続くのは少なくない。
昨今ウイルスを例えに出すのは不謹慎かもしれぬが、ウイルスと違って原因が判らない分余計にぞっとする。

これは東京築地で、明治から昭和にかけて繁盛した、「とんぼ」と言う料理屋に纏わる噂話だそうだ。



「とんぼ」の御贔屓客に、N津さんと言う人が居た。
そのN津さんには、極めて可愛がっていたM月さんと言う後輩が居て、N津さんは外国へ行く時にも彼を連れて行った位だが、N津さんが亡くなった際、まだ何処へも知らせない内に、偶然ひょっこりM月さんがN津家を訪れた。

きっと仏が呼んだのだろうと皆は悲しみに暮れる中でも悦んだそうだが、このM月さんが間も無くN津さんの後を追う様に亡くなった。
続いて出された葬式で、皆はN津さんがM月さん可愛さのあまり、あの世で呼び寄せたのだろうと囁いた。

ところでN津さんにはもう1人、やはり可愛がっていた骨董屋の後輩が居て、N津さんの葬儀の際にも手伝いに来ていたが、この人までもN津さんの後を追う様に亡くなった。

流石に2人も続いては、周囲の人達も不気味に思えて来る。
その為、生前N津さんが御贔屓にしていた「とんぼ」の女将が先立ちになって、盛大にお祓いの催しをした。
それが功を奏したのかは解らないが、N津さんを追って亡くなる者は、2人だけで済んだのだった。

ところがN津さんの祥月命日の1/4に、今度は「とんぼ」の女将が亡くなった。
しかも葬式までN津さんと同じ1/8に行う事に決まり、周囲の人間はまたもや慄いた。

「とんぼ」の女将には子供が居らず、衣装道楽だったが、出入りの呉服屋に言い付けて、前々から死装束の一切を作らせておいたらしい。
この呉服屋の番頭のN尾さんと言う人物が、正月の挨拶にやって来たのが、偶然にも女将の亡くなった日。
集まっていた皆は、「きっと女将さんは、貴方に死装束を見て貰いたかったんだろう」と言って、その来訪を喜んだ。

ところがこのN尾さんが、その直ぐ後に、ぽっくり亡くなってしまった。

それから、「とんぼ」の女将が色々と面倒を見ていたO野さんと言う人が当然来るべき筈なのに、女将が亡くなっても顔を見せない。
どうしたんだろうと皆が噂していると、葬式の日にO野さんの娘だと言う人がやって来て、「実は先日父が亡くなりまして…」との事だった。

生前、親交の厚かった2人が、年を隔てて同じ月の同じ日に亡くなり、同じ日に葬式が出た。
そして同じ様に2人をお供に連れて行ったというのだから、何とも不思議な話だ。



…全て「偶然」と言ってしまえばそれまでだが、そもそも「偶然」とは一体何なのだろう?
貴殿も葬式に出て、家に着いた際には、先ず塩をかけて身を浄める事だ。
でないと追って来た何かに捕まってしまうかもしれないからね。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




『日本の幽霊(池田彌三郎、著 中公文庫、刊)』より。
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異界百物語 ―第84話―

2009年08月21日 20時26分32秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
今夜は昨夜約束した通り、「学校の怪談」第2弾を話そう。
夏休みも後半に入ると、そろそろ学校生活が恋しく思える筈…そうでもないかい?

貴殿は既に卒業しているだろうか?
それとも青春を謳歌してる最中の学生だろうか?

卒業すれば実感するだろうが、日々他人と同じ場所に通い、同じものを学ぶ経験は貴重と言っていい。
同じ場所に通うだけなら、卒業して会社勤めでもすれば、可能だがね。

昨夜も語ったが、学校に怪談が数多く集まるのは、大勢が同じく過す場所柄、共感を得易いからだろう。

今夜話すのは、このブログの主が実際に体験した事だ。
大して恐くはないが、何時かの納涼のタネにでもして貰いたい。




怪談の始め方としては常套だが、私の通っていた高校は、かなり古い歴史を持っていた。
校舎は幾度か改築され、木造でこそなかったが、新棟旧棟の2つに分れ、その間には結構な広さの中庭が在った。
が、今回の舞台は中庭ではない。

ところで当時、私は美術部に所属していた。
部室は正門から遠く離れた旧棟の端に在り、窓からは「生徒ホール」と言う名で呼ばれる、小じんまりした建物が見えた。
この生徒ホールは生徒達の憩いと交流を目的に建てられたというのが名目らしく、中には卓球台が数台置いてあった。
ちなみに壁を隔てて横は写真部の暗室と物置と、使用目的がよく解らない小部屋が在ったが、それも今回の話にあまり関係は無い。

卓球台が置いてあるとはいえ、ボールやラケットは教員に許可を貰わなければ貸し出しは出来ず、加えて卓球部の活動は何故か別に体育館を使用して行われていたので、授業をさぼった生徒が身を隠す位な利用価値の、言わば校内で浮いた場所だったのだ。

あれは9月の始め頃だったろうか。
放課後、自分を加えて集まった部員は6名。
何時もの様にホールの隅へ卓球台をどかし、出来た空間に新聞紙を敷いて、ゲートにペンキを塗る作業を行っていた。

9月ともなれば下絵は済んでいる。
後は塗るだけ、追い込まれてはいたが、若干生れた余裕から、各自買って来た菓子を口にしつつ、和やかにダベりながら居たと記憶している。

腕時計の針が夜の8時を回る頃、そろそろ帰ろうかという話になった。
校舎側正面の硝子扉から外を見れば、夏を過ぎたばかりとはいえ、とっぷり暮れていた。

学校は高台にぽつんと建ち、駅までの道は商店も少なく、暗くて寂しい。
部員の殆どが女子である為、あまり遅くまで残る事は出来なかった。

全員帰る仕度を整え出した、その時だ。
「ううううううう………!」という気味の悪い唸り声が、四方の壁から迫る様に響いて聞えた。

ホールに居た全員の表情が強張って固まり、次の瞬間、けたたましく鳴るクラクションの様に口を開いて叫んだ。

「何今の気味悪い声ー!?」
「校内放送!?」
「今頃!?誰が何の目的で!?」
「そもそも今の声か!?」

校内放送と思ったほど、その声(?)はホール全体を大きく震わして聞えた。
だがそれはない、何故ならホールにスピーカーは設置されていない。

「蝦蟇蛙の声か何かでは?」という意見も出たので、硝子扉を除く三方の壁に嵌った窓を開けて確認したりもした。

しかし何も見付からなかった。
そもそもホール側に水場は無い。
校舎から離れて建つホールの周囲には、だだっ広い土のグラウンドと、背の低い雑草が疎らに生えてる位の寂しい裏庭しかない。
誰かが、もしくは何かが潜んで居たとすれば、忽ち姿を明らかにしている筈だった。

念の為隣の暗室や物置等も検めたが、鍵の掛けられた暗室は兎も角、他からは何も見付からなかった。
もし暗室に人が潜んで居て、悪戯から声を発したとしても、四方の壁を震わすほどの仕掛けをどの様に行ったと言うのか?

屋根に犬猫の獣でも居るのではとも考え、窓に足を掛けて上り、探ったりもした。
やはり何も、誰も見付からなかった。

結局その夜、騒ぐだけ騒いだ後、全員内心びくびくしながら、帰路に着いたのだった。

学校に怪談は付き物で、私の通っていた高校にも数多く存在した。
しかし不思議な事に、その事件が起きるまで、生徒ホールで怪談が囁かれた例は無かったと言う。
結果、体験した私達は、新たな怪談の発信者になってしまった訳だが……

後日暗室を使用している写真部員に、今迄隣のホールから声が聞えた事が有るか尋ねてみたが、その部員は1回も聞いてないと答えた。

美術部員6人全員が聞いた、あの気味の悪い男とも女とも、そもそも人間の声とも判断のつかない物音の正体は、果たして何だったのか…?
体験した者同士、今でも時々集まっては、首を傾げて推理し合っている。
その内の1人はあまりに気になった為、卒業してから1度訪れ、探ってみたそうだが、疾うにホールは閉鎖され、完全な物置になっていたそうだ。




夜学でもないかぎり、学校は昼に通う場所だ。
日々通っていながら、夜の学校を知る機会は割りと少ない。
大勢が知っていながら、大勢の知らない影が有る事も、学校に怪談を多く集める理由だろう。
貴殿の学校に通うのは、貴殿と同じ生徒や、教師以外にも居るやも知れぬ。
その存在の正体を知りたくば、授業を終えた後、独り校舎に残り、探ってみては如何だろう。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは妙な物音を耳にしない内に、気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
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異界百物語 ―第83話―

2009年08月20日 20時20分02秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
最近は朝と夜に、少し涼しい風を感じられる様になって来たね。

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる

立秋を過ぎ、季節は早くも秋へ…夏休みを満喫していた学生さんも、今頃はひたひたと近付く二学期を思って、溜息を吐いてるだろうか?
そんな学生さん達に送る、今夜と明日は「学校の怪談」だ。

これは或る高校の学生が、国語を担当する教師に聞いた話だと言う。



或る年の夏休み、或る体育会系の男子部が、校内で合宿を行った。
そして合宿の夜も更け、部の顧問だった男性教師2人が、シャワーを浴びようと、体育館横のシャワー室に連れ立って向った。

その途中、ふと隣の女用のシャワー室を見ると、電気が明々と点いている。
疾うに生徒達は全員シャワーを浴び終わったと思っていたが…まだマネージャーが残って居たのだろうか?

こんな時刻に女の子が…と不審を覚えなくもなかったが、何せ昼間炎天下のグラウンドで、若者らに付き合い、へとへとになるまで汗を掻いている。
早いとこさっぱりしたかった教師2人は、気にせず男用シャワー室に入った。

浴び終わってシャワー室を出ると、まだ女用シャワー室に電気が点いていた。
そこで顧問としての責任から、出て来るのを外で待つ事にした。

だが、暫く待っても出て来ない。

ひょっとして電気を消し忘れたのでは?
そう考えた顧問の教師は、女用シャワー室の扉を僅かに開けてみた。

すると中に、ランニングシャツ姿の女性が1人、立って居るのを認めたので、彼らは慌ててドアを閉めた。

なんだ、やっぱりマネージャーが使っていたのか。
そう考えた2人は、再び外で待つ事にした。

しかし5分過ぎても、10分過ぎても、15分過ぎても、何時まで経っても出て来ない。
あんまり長い事待たされた教師2人は、段々と心配になって来た。
まさか中で倒れて居るんじゃ…?
試しに大声で呼掛けてみた。

「おい!!どうかしたのか!?」
「具合でも悪くしたのか!?」

口々に呼掛けるも、返事が無い。
痺れを切らした教師2人は、ドアを開けて中に入った。

しかしそこには誰も居らず――明々と点いた電燈の下、床は乾き切っていたという。




…今も昔も夜の学校は怪談のスポットだ。
貴殿も通っている、或いは昔通っていた学校で、幾つかの怪談を耳にしたに違いない。
大勢が頭に思い浮べられる場所、それ故に怪談の背景にも、選ばれ易いのだろう。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。



『現代民話考〔第二期〕―学校―(松谷みよ子、編著 立風書房、刊)』より。
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異界百物語 ―第82話―

2009年08月19日 19時24分16秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
毎晩足繁く通ってくれて有難う。
今夜は昨夜約束したように、現代にまで続く「池袋」の怪奇について話そう。

ところで貴殿は池袋を訪ねた事は有るだろうか?
秋葉原ほどではないが、現在ではアニ○イト等が建ち並び、アニメや漫画オタクに注目される街なので、貴殿がアニメや漫画に興味を持っているなら、存在位は聞いた事が有るかもしれない。
池袋のシンボルといえば60階建ての高層ビル「サンシャイン60」、そして西武に東武にパルコといったデパート…
しかし戦後池袋の開発が進められた時代、まずこの地に進出したのは、西武と三越と丸物と呼ばれるデパートだったのだ。
この中で西武は現在でも営業し、三越は今年の5月に惜しまれつつ、51年の歴史に幕を下ろした。
そして「丸物」は開店後十数年を経て、1969年(昭和44年)に閉店してしまっている。
現在池袋の東口に「パルコ」が在るが、元はそこに「丸物」が入って営業していたのだ。

閉店した理由は有り勝ちな経営不振だが、不振に追い込まれた理由は、怪異な事故に頻繁に襲われたからだと噂する者も在ったと云う。




1959年(昭和34年)4/24の午後、デパート屋上の遊園地に有るヘリコプター型の遊具に乗って遊んでいた子供が、突然外に放り出されて大怪我をした。
ヘリコプターの心棒が折れたのが原因だったそうだが、折れ方が人為的な痕跡も無く真っ二つだった事で、調査した専門家は首を傾げたと云う。

更に屋上での事故から5日後の4/29には、買い物に来ていた主婦が、階段を下りる途中でいきなり頭に衝撃を受け、昏倒したと云う。
介抱された主婦は、上から何かが落ちて来たと話したが、それらしき落下物は見当たらず、周囲には何が起きたのか見当も付かなかった。
主婦の頭には鈍器で殴られた様な傷が出来ていたので、通り魔による傷害事件の線で池袋警察署が捜査したが、結局何の手懸りも得られなかったそうだ。

その他にもデパートでは、窓硝子が落下して通行中の婦人が大怪我をする等の事故も起きたらしい。
硝子はきちんと枠に嵌め込まれていた事が確認された為、これも原因がまるで判らなかった。

此処まで不審な事故が続くと、世間からは苦情よりも疑問が多く発せられる。
遂に出るべくして出て来たのが、「祟りではないか」という噂であった。
「四面塔」を動かした祟りに違いないと言うのだ。

「四面塔」は別名「人斬り塚」とも呼ばれ、現在もパルコを通り過ぎた線路沿いの公園にひっそりと建っている。
この塔が建ったのは江戸時代の事で、当時の池袋は武州豊島郡池袋村と呼ばれていた。
湿地帯と雑木林が広がる寂しい土地だったと云う。

寂しい土地柄か、辻斬りが頻繁に起った。
覆面をした侍が夜な夜な現れては、旅人を片っ端から斬って行く。
道には無残にも切断された首や手足が常に転がっていたそうだ。
点在する村人達は、恐怖に怯えながら暮していたのである。

大量殺人は、現在の池袋駅前で行われていた事になるのだが、当時はその付近に松の木が一本在り、根元から水が湧いていたそうだ。
辻斬りに遭って瀕死の重傷を負った人達は、一様にその湧き水の所まで這って行き、水面に顔を付けて絶命していたと云う。
やがて一本松での謎の首吊り自殺も多発した件から、何時しか「首括り松」と呼ばれ、根元の泉は「末期の泉」と呼ばれた。

1721年(享保6年)の夏、たった一晩で十七人もの通行人が犠牲となった。
事態を重く見た64人の村人の内の有志は、雑司ヶ谷鬼子母神威光山法明寺の住職、第二十世日相上人に仏の供養を依頼した。
上人は読経して供養した後、「首括り松」の下に石塔を建立して、犠牲者達の怨念を封印したと云う。

時は過ぎて1903年(明治36年)、池袋駅が出来た時も、周辺の景色は江戸時代と変わらず辺鄙だったそうだが、1914年(大正3年)に東上鉄道線(現、東武東上線)が開通し、翌年に武蔵野鉄道線(現、西武池袋線)が開通すると、街は次第に賑やかに発展し始めた。
そうなると四面塔は邪魔者扱いされ、区画整理の際に駅前に移動させられた。
その時に作業員が相次いで事故死した為、住民の間に祟りの噂が流れ、今後四面塔は動かしてならないという事になったのである。

太平洋戦争が勃発すると四面塔を奉じる祭も中断され、池袋は空襲で焼け野原に変わってしまった。
昔から居た住民も少なくなり、過去の辻斬りの犠牲者の慰霊も忘れられがちになったが、1947年(昭和22年)に迷信を信じない池袋駅長が、四面塔に立小便をした所、数日後にぽっくり病死した件で、祟りの噂はまたもや人々の口に上った。

しかし池袋駅前付近に都市開発の波が押し寄せた戦後1955年(昭和30年)、四面塔は再度移転を余儀無くされた。
現在で言う西武デパートとパルコの間の敷地から、現在建っている地へと移された訳だが(大正時代には現在の東口駅前みずほ銀行池袋支店の辺りに移された事も有ったらしい)、代って跡地に建てられたのが件の丸物デパートだったそうだ。

1959年(昭和34年5月)、丸物デパートでの事故が多発した件から、関係者は地元の有志と協力して四面塔を新装し、祟りの終息を祈願した。

しかし災いは止まらず、かつて四面塔が在った駅前の道路で、子供が母親の目の前でバスに轢かれ、頭と胴体が引き千切られるという惨事が起った。
それはまるで辻斬りに遭った者の死体が転がる有様を再現した様であったと言う。

そしてこれは覚えている人も多いだろう。
1999年(平成11年)に、サンシャイン通り東急ハンズ前で起きた通り魔殺人事件…
包丁と金槌を持った犯人は、次々と通行人を襲いながら、池袋駅前まで走って逃げたと聞いている。




賑やかな繁華街だ、事件が起るのも不思議ではない。
だがこうも同じ場所で、同じ様な事件が起るのは、果たして偶然か?
惨劇を招く地というのは実在する。
彼の地をこれから訪ねる人はよくよく注意する事だ。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは通り魔に遭わないよう、気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。





参考、『ワールドミステリーツアー13(第4巻)―東京編― 第6章 (小池壮彦、著 同朋舎、刊)』。
    こちらの記事の年表。(→http://web2.nazca.co.jp/xu3867/page331.html)
    ウィキペディア、等々。
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