やあ、いらっしゃい。
今夜で8月もお終い。
約1ヵ月間お付合い頂き、感謝しているよ。
最後に紹介するのは、信じられないかもしれないが、歴史上実際に居た人物の話だ。
血の描写が苦手な人は、この先聞かれない方が良い…本当に気分を悪くしてしまうだろうからね。
――人物の名は、『エリザベート・バートリ』。
スロヴァキアの首都、ブラチスラヴァから車で北東に向い、30分程行った所に現存するチェイテ城の、かつての女城主だ。
1560年、エリザベートは、ハプスブルク王国に繋がるハンガリー屈指の名門、バートリ家に生れた。
莫大な財産に広大な領土だけでなく、類稀なる美貌を具えていたエリザベートは、少女期を何不自由無く思いのままに過した。
しかし15歳(14歳という説も有り)の時、古い軍人の家柄である、ナダスディ家のフェレンツ伯に嫁いだ事から、人生の転機を迎える。
華やかな社交生活から切り離され、人里離れた寂しいチェイテ城に引篭もるだけの生活を強いられたのだ。
軍人の夫は、トルコとの戦いに駆り出され、滅多に帰って来ない。
極端に孤独で退屈な生活の中、彼女の唯一の楽しみは、鏡の前に何時間も座り、自分が持ってるドレスや宝石を、次々と身に着けてみる事だけだったそうだ。
もっと人から注目されたい…
もっと人から賞賛されたい…
しかし、彼女自身は、人を愛した事は無かった。
幼い頃から美貌の姫君として甘やかされていた彼女には、人を愛し関わる術が解らなかったのだ。
解らない彼女は、ひたすら自分の美貌だけに縋り、磨き続けた。
それだけが、彼女が人から注目を受ける為の、唯一の術に思えたからだろう。
しかし、その自慢の美貌も、子供を4人産んだ辺りから崩れ始める。
肌に染みや皺が現れ、めっきり衰えが目立ち始めたのだ。
焦った彼女は、怪し気な妖術使いから薬草を買い取り、用いてみたりしたが、大した効果は出ない。
忍び寄る老いの『影』に、彼女は怯えた。
或る日の朝、何時もの様に侍女に鏡の前で髪を梳かせていた彼女は、新入りの侍女の不器用な手付きに、思わずカッとなって頬を平手打ちした。
すると嵌めていた指輪が引っ掛ったのか、娘の肌から迸った血が、彼女の手に飛び散った。
何気無く、それを見詰る。
……気のせいか、血の付いた箇所が、他の所より滑々して来た様な気がする。
藁にも縋りたい思いだったエリザベートは、それに飛び付いた。
そう……若い娘の血……これこそが若返りの特効薬だったのだ!(実際、「血には回春作用を持っている」という迷信が、今でも見られる)
急いで浴槽が部屋に運ばれ、1人の娘が後ろ手に縛られ、連れて来られた。
そして無理矢理、浴槽の中に引入れられる。
忠実な下男のフィツコが娘の腕をきつく縛り上げ、女中のドルコが剃刀で娘の体のあちこちに切傷を付ける。
浴槽の中でのたうつ娘の全身から、血の雨が飛び散った。
血が最後まで抜かれたのを確認し、下男は娘の死体を毛布に包んで運び去った。
血でいっぱいに満たされた浴槽の中、エリザベートはゆったりと身を沈める。
掌で掬った血を体中に降り掛けながら、彼女は然も満足そうに笑ったのだと云う…
この時以来、女中達は若い娘を求めて、村々を彷徨い歩くようになった。
城に行けばこれまでの貧乏とは掛離れた天国の様な生活が待っていると言う宣伝を信じて(或る意味、天国に行ける訳では有るが…)、娘達は嬉々として城の門を潜ったが、一旦城中に入れば、もう生きて帰れる望みは無かった。
最初は確かに丁重に扱われ、衣服も食事も豊富に与えられるが、その後は体中穴だらけにされ、有らん限りの血を絞り取られるという、身の毛のよだつ拷問が待っていたのだ。
或る時は『鉄の処女』なる、魔女狩りの際に開発された処刑道具を用い、血を絞り取った。
これは等身大の人形で、観音開きに割られた中には、無数の針が埋め込まれている。
中に閉じ込められた娘は、この針で全身刺され、苦悶の末に殺された。
或る時は大きな鉄製の鳥篭に閉じ込め、血を絞り取った。
人間がやっとしゃがんで入れるくらいの篭に、嫌がる娘を無理矢理押し込める。
滑車を使って宙に吊り上げ、ユラユラと揺らす。
そうすると、篭の内側に生えた無数の針が、娘の体を惨く切り刻む。
流れた血は、底に開いた穴から、真下の浴槽の中、裸で待つエリザベートの上に、雨の様に降り注いだ。
城の地下に在る土牢には、何時も何人かの娘達が繋がれ、市場に出す家畜の様に、栄養豊かな食物を与えられていた。
エリザベートは、娘達が健康で、肥れば肥る程、血をふんだんに提供し、美容上の効果が高まると信じ込んでいたのだ。
若さを得る為だけでなく、彼女は娘達への拷問を、日々の快楽として行っていた。
若い娘を拷問に掛ける事で、憂さを晴らしていたのだろう。
或る娘は、梨を1個盗んだ罪から、炎天下、裸にされ庭の大木に縛り付けられ、全身に蜜を塗られて、蜂や蝿の餌食にされた。
或る娘は、外出から帰った彼女の靴を脱がせる際、不手際をやってしまった罪で、捕えられスカートを捲られ、真っ赤に熱した焼きごてを足に押付けられた。
ジュッと言う音と共に、肉の焼ける臭いが部屋中に広がり、娘は大きく飛び跳ね悲鳴を上げる。
尚もコチコチに干からびた足に焼きごてを押付けながら、彼女は陶然として言ったという。
「ほうら、お前にも綺麗な靴を作ってやったわ!
真っ赤な靴底まで付いてるじゃないの!」
また或る娘は、彼女の散歩に連れ出され、冬の湖畔で裸にされた。
凍て付く風に晒され、全身は紫に染まり、娘は寒さと痛みで泣き叫ぶが、左右から従者に抑え付けられて、身動きが出来ない。
下男が湖の氷を壊し、汲み上げた冷水を、ゆっくりと杓で娘の肌に注ぎ掛ける。
いっそ焼ける様な感覚に娘はのたうつが、零下何十度の気温の中で、水は忽ち凍り付く。
氷像が出来上がると、暖かな毛皮に包まったエリザベートが馬車から降り、その周囲をくるりと1回りする。
像に未だ命が残っている事に気付くと、彼女は如何にも愉快そうに笑い転げたという。
或る日、城に着いたばかりの娘達を集めて、豪華な宴を開いたりもした。
農夫の娘達は垢だらけの体を洗われ、髪を梳かされ、綺麗なドレスを着せられた。
通された大広間には燭台に火が灯され、テーブルの上には銀食器や硝子器がずらりと並んでいた。
壁には豪奢な錦のタペストリー。
初めて目にする贅沢な光景に、娘達はおっかなびっくり席に着く。
女主人エリザベートが、豪奢なビロードのドレスで着飾り現れる。
宴が始まり、次々と御馳走が運ばれて来る。
暫くして…ドアが開き、下男フィツコと侍女ヨーが、剣を掲げ現れた。
テーブルの上の蝋燭の芯を、剣で順繰りに斬って行く。
これも宴の趣向だろうかと思い、娘達は黙って見守る。
全ての火が消され、広間は闇と静寂に包まれた。
――次の瞬間、広間の何処かで、悲鳴が上る。
うろたえた娘達がガタガタと椅子を引いて立ち上り、俄かに広間はざわめき立つ。
「席を離れてはいけない!
自分の席を離れてはいけない!」
下男と下女は、そう叱り付けながら、闇の中、娘の首を手探りで捕まえる。
そうして、手早く娘達の首を撥ねて行った…
……広間に再び静寂が戻った頃、燭台に火が灯される。
床に転がった血濡れの首と、首の無い胴体。
地獄図絵の様な光景を眺めつつ、エリザベートはその夜の御馳走を平らげたという。
こうして日々快楽殺人に明け暮れていた彼女だが、次第に生贄の娘を手に入れる事が難しくなって来た。
如何にエリザベートが幾つも城を持っているとはいえ、短期間に集められて城に上って行った何百人の娘達は、一体どうなったのか?
便りの無いのを心配し、娘達の親が会いに行っても、見え透いた言い訳をして追い返す。
広がる不穏な噂に、付近の農夫達は、娘を手放す事を嫌がるようになった。
遠い村々にまで手を伸ばし、見付るだけの娘を掻き集めたが、それにも限りが有る。
そして、努力の甲斐無く、老いは変らずに彼女の体を蝕んで行く。
髪は白くなり、小皺は増え、肌は弛み…
それでも彼女は、麻薬患者の様に血を求めて、若い娘を狩り続けた。
そしてついに、彼女の犯行の噂は、国の中枢部にまで達する。
教区の神父の告発が切っ掛けだった。
この神父の前任者は、時折エリザベートの従者に呼び出され、深夜の埋葬を手伝わされていた。
城に着くと、庭の隅に土饅頭が出来てい、手に鍬を持った従者達が、闇の中に立っている。
神父は命じられるまま、土饅頭に祈りを唱えた。
従者は言う。
「この娘達は疫病で死んだので、村に騒ぎを起したくないから、内緒にしてくれ」
前任の神父は命じられた通り、自分が死ぬまで黙っていた。
しかし、心の内では不審に感じていたのだろう。
密かに埋葬された人物、日時、場所を、彼は全て記録していた。
そして彼の死後、後任に就いた神父が残されたそれを読み、教区監督に訴え出た事から、彼女の悪事が露見した。
捜査が極秘裏に進められる。
身も凍る様な事実が次々と判明する。
農夫の娘だけでなく、下級貴族の娘達にまで手が及び出すと、中枢部も捨て置く訳に行かなくなった。
1610年12月末日、大宮中伯、州知事、神父は、多数の兵士を率い、雪と氷に閉ざされたチェイテ城へ乗り込んだ。
捕えられたエリザベートは、辛うじて城と財産の没収は免れ、自城にて終身刑に処される事になった。
下男フィツコを始め拷問の従犯者達は、ビッシュの処刑場にて手足の指を1本づつ引抜かれ、生きたまま火炙りにされる極刑に処せられたが、バートリ家というハンガリー1の名門貴族の出を極刑に処す事は、如何に国王の権限を用いたとしても、行使出来なかったのだ。
彼女は愛用の鏡1つのみ所持を許され、厚い漆喰で塗り固められた寝室に幽閉された。
壁には水と食物を入れる為の覗き窓と、小さな明り取りが開けられているだけだった。
そして城の四方には、本来なら死刑になる筈だった人間が此処に生きてる事を示す為、絞首台が立てられた。
1日に1度だけ、覗き窓から牢番の手で、水と食物が差し入れられた。
牢番は彼女に話掛けるのを禁じられていた為、無言で差し入れる。
それから約3年半後の1614年8/21――彼女は寝室内で、栄養失調の末に亡くなった。
享年54歳……排泄物に塗れた肉体は痩せ細り、かつての美貌は見る影も無くなっていたそうだ。
死後、彼女は恐ろしい女吸血鬼として、この地の伝説となった。
彼女をモデルにして、小説が書かれたり、映画も製作された。
しかし、実像の前では、どれも軽く凌駕されてしまう。
彼女が何の為に殺戮に耽り続けたのか?
彼女で無い自分には、皆目見当が付かない。
1つ解るとすれば……
孤独に閉籠り、
退屈を持余す人間は、
碌な事をしない、
…………という事だろうか。
…今夜の話はこれでお終い。
さぁ…それでは25本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…
……有難う……
これにて本年の百物語会は終了だ。
改めて今夜までお付合い頂いた事に、礼を述べよう。
また来年の8/7迄……残った75本の蝋燭と共に、この小部屋で貴殿をお待ちして居るからね。
人の恐怖は……例えるなら『影』の様な物。
足下にぴたりと貼り付き、振り切ろうとも逃げ切れず。
見ぬように過すも、
連れ合いと諦めるも、
全ては貴殿の選択次第。
『影』を見据える勇気が出たならば……来年もまた来られるがいいだろう。
それでは、道中気を付けて、帰ってくれ給え。
いいかい?……くれぐれも……
……恐い話をした後は、絶対に後ろを振り返らないようにね…。
『ワールド・ミステリー・ツアー13 ⑥東欧篇(第3章 桐生操、著 同朋舎、刊)』より。
今夜で8月もお終い。
約1ヵ月間お付合い頂き、感謝しているよ。
最後に紹介するのは、信じられないかもしれないが、歴史上実際に居た人物の話だ。
血の描写が苦手な人は、この先聞かれない方が良い…本当に気分を悪くしてしまうだろうからね。
――人物の名は、『エリザベート・バートリ』。
スロヴァキアの首都、ブラチスラヴァから車で北東に向い、30分程行った所に現存するチェイテ城の、かつての女城主だ。
1560年、エリザベートは、ハプスブルク王国に繋がるハンガリー屈指の名門、バートリ家に生れた。
莫大な財産に広大な領土だけでなく、類稀なる美貌を具えていたエリザベートは、少女期を何不自由無く思いのままに過した。
しかし15歳(14歳という説も有り)の時、古い軍人の家柄である、ナダスディ家のフェレンツ伯に嫁いだ事から、人生の転機を迎える。
華やかな社交生活から切り離され、人里離れた寂しいチェイテ城に引篭もるだけの生活を強いられたのだ。
軍人の夫は、トルコとの戦いに駆り出され、滅多に帰って来ない。
極端に孤独で退屈な生活の中、彼女の唯一の楽しみは、鏡の前に何時間も座り、自分が持ってるドレスや宝石を、次々と身に着けてみる事だけだったそうだ。
もっと人から注目されたい…
もっと人から賞賛されたい…
しかし、彼女自身は、人を愛した事は無かった。
幼い頃から美貌の姫君として甘やかされていた彼女には、人を愛し関わる術が解らなかったのだ。
解らない彼女は、ひたすら自分の美貌だけに縋り、磨き続けた。
それだけが、彼女が人から注目を受ける為の、唯一の術に思えたからだろう。
しかし、その自慢の美貌も、子供を4人産んだ辺りから崩れ始める。
肌に染みや皺が現れ、めっきり衰えが目立ち始めたのだ。
焦った彼女は、怪し気な妖術使いから薬草を買い取り、用いてみたりしたが、大した効果は出ない。
忍び寄る老いの『影』に、彼女は怯えた。
或る日の朝、何時もの様に侍女に鏡の前で髪を梳かせていた彼女は、新入りの侍女の不器用な手付きに、思わずカッとなって頬を平手打ちした。
すると嵌めていた指輪が引っ掛ったのか、娘の肌から迸った血が、彼女の手に飛び散った。
何気無く、それを見詰る。
……気のせいか、血の付いた箇所が、他の所より滑々して来た様な気がする。
藁にも縋りたい思いだったエリザベートは、それに飛び付いた。
そう……若い娘の血……これこそが若返りの特効薬だったのだ!(実際、「血には回春作用を持っている」という迷信が、今でも見られる)
急いで浴槽が部屋に運ばれ、1人の娘が後ろ手に縛られ、連れて来られた。
そして無理矢理、浴槽の中に引入れられる。
忠実な下男のフィツコが娘の腕をきつく縛り上げ、女中のドルコが剃刀で娘の体のあちこちに切傷を付ける。
浴槽の中でのたうつ娘の全身から、血の雨が飛び散った。
血が最後まで抜かれたのを確認し、下男は娘の死体を毛布に包んで運び去った。
血でいっぱいに満たされた浴槽の中、エリザベートはゆったりと身を沈める。
掌で掬った血を体中に降り掛けながら、彼女は然も満足そうに笑ったのだと云う…
この時以来、女中達は若い娘を求めて、村々を彷徨い歩くようになった。
城に行けばこれまでの貧乏とは掛離れた天国の様な生活が待っていると言う宣伝を信じて(或る意味、天国に行ける訳では有るが…)、娘達は嬉々として城の門を潜ったが、一旦城中に入れば、もう生きて帰れる望みは無かった。
最初は確かに丁重に扱われ、衣服も食事も豊富に与えられるが、その後は体中穴だらけにされ、有らん限りの血を絞り取られるという、身の毛のよだつ拷問が待っていたのだ。
或る時は『鉄の処女』なる、魔女狩りの際に開発された処刑道具を用い、血を絞り取った。
これは等身大の人形で、観音開きに割られた中には、無数の針が埋め込まれている。
中に閉じ込められた娘は、この針で全身刺され、苦悶の末に殺された。
或る時は大きな鉄製の鳥篭に閉じ込め、血を絞り取った。
人間がやっとしゃがんで入れるくらいの篭に、嫌がる娘を無理矢理押し込める。
滑車を使って宙に吊り上げ、ユラユラと揺らす。
そうすると、篭の内側に生えた無数の針が、娘の体を惨く切り刻む。
流れた血は、底に開いた穴から、真下の浴槽の中、裸で待つエリザベートの上に、雨の様に降り注いだ。
城の地下に在る土牢には、何時も何人かの娘達が繋がれ、市場に出す家畜の様に、栄養豊かな食物を与えられていた。
エリザベートは、娘達が健康で、肥れば肥る程、血をふんだんに提供し、美容上の効果が高まると信じ込んでいたのだ。
若さを得る為だけでなく、彼女は娘達への拷問を、日々の快楽として行っていた。
若い娘を拷問に掛ける事で、憂さを晴らしていたのだろう。
或る娘は、梨を1個盗んだ罪から、炎天下、裸にされ庭の大木に縛り付けられ、全身に蜜を塗られて、蜂や蝿の餌食にされた。
或る娘は、外出から帰った彼女の靴を脱がせる際、不手際をやってしまった罪で、捕えられスカートを捲られ、真っ赤に熱した焼きごてを足に押付けられた。
ジュッと言う音と共に、肉の焼ける臭いが部屋中に広がり、娘は大きく飛び跳ね悲鳴を上げる。
尚もコチコチに干からびた足に焼きごてを押付けながら、彼女は陶然として言ったという。
「ほうら、お前にも綺麗な靴を作ってやったわ!
真っ赤な靴底まで付いてるじゃないの!」
また或る娘は、彼女の散歩に連れ出され、冬の湖畔で裸にされた。
凍て付く風に晒され、全身は紫に染まり、娘は寒さと痛みで泣き叫ぶが、左右から従者に抑え付けられて、身動きが出来ない。
下男が湖の氷を壊し、汲み上げた冷水を、ゆっくりと杓で娘の肌に注ぎ掛ける。
いっそ焼ける様な感覚に娘はのたうつが、零下何十度の気温の中で、水は忽ち凍り付く。
氷像が出来上がると、暖かな毛皮に包まったエリザベートが馬車から降り、その周囲をくるりと1回りする。
像に未だ命が残っている事に気付くと、彼女は如何にも愉快そうに笑い転げたという。
或る日、城に着いたばかりの娘達を集めて、豪華な宴を開いたりもした。
農夫の娘達は垢だらけの体を洗われ、髪を梳かされ、綺麗なドレスを着せられた。
通された大広間には燭台に火が灯され、テーブルの上には銀食器や硝子器がずらりと並んでいた。
壁には豪奢な錦のタペストリー。
初めて目にする贅沢な光景に、娘達はおっかなびっくり席に着く。
女主人エリザベートが、豪奢なビロードのドレスで着飾り現れる。
宴が始まり、次々と御馳走が運ばれて来る。
暫くして…ドアが開き、下男フィツコと侍女ヨーが、剣を掲げ現れた。
テーブルの上の蝋燭の芯を、剣で順繰りに斬って行く。
これも宴の趣向だろうかと思い、娘達は黙って見守る。
全ての火が消され、広間は闇と静寂に包まれた。
――次の瞬間、広間の何処かで、悲鳴が上る。
うろたえた娘達がガタガタと椅子を引いて立ち上り、俄かに広間はざわめき立つ。
「席を離れてはいけない!
自分の席を離れてはいけない!」
下男と下女は、そう叱り付けながら、闇の中、娘の首を手探りで捕まえる。
そうして、手早く娘達の首を撥ねて行った…
……広間に再び静寂が戻った頃、燭台に火が灯される。
床に転がった血濡れの首と、首の無い胴体。
地獄図絵の様な光景を眺めつつ、エリザベートはその夜の御馳走を平らげたという。
こうして日々快楽殺人に明け暮れていた彼女だが、次第に生贄の娘を手に入れる事が難しくなって来た。
如何にエリザベートが幾つも城を持っているとはいえ、短期間に集められて城に上って行った何百人の娘達は、一体どうなったのか?
便りの無いのを心配し、娘達の親が会いに行っても、見え透いた言い訳をして追い返す。
広がる不穏な噂に、付近の農夫達は、娘を手放す事を嫌がるようになった。
遠い村々にまで手を伸ばし、見付るだけの娘を掻き集めたが、それにも限りが有る。
そして、努力の甲斐無く、老いは変らずに彼女の体を蝕んで行く。
髪は白くなり、小皺は増え、肌は弛み…
それでも彼女は、麻薬患者の様に血を求めて、若い娘を狩り続けた。
そしてついに、彼女の犯行の噂は、国の中枢部にまで達する。
教区の神父の告発が切っ掛けだった。
この神父の前任者は、時折エリザベートの従者に呼び出され、深夜の埋葬を手伝わされていた。
城に着くと、庭の隅に土饅頭が出来てい、手に鍬を持った従者達が、闇の中に立っている。
神父は命じられるまま、土饅頭に祈りを唱えた。
従者は言う。
「この娘達は疫病で死んだので、村に騒ぎを起したくないから、内緒にしてくれ」
前任の神父は命じられた通り、自分が死ぬまで黙っていた。
しかし、心の内では不審に感じていたのだろう。
密かに埋葬された人物、日時、場所を、彼は全て記録していた。
そして彼の死後、後任に就いた神父が残されたそれを読み、教区監督に訴え出た事から、彼女の悪事が露見した。
捜査が極秘裏に進められる。
身も凍る様な事実が次々と判明する。
農夫の娘だけでなく、下級貴族の娘達にまで手が及び出すと、中枢部も捨て置く訳に行かなくなった。
1610年12月末日、大宮中伯、州知事、神父は、多数の兵士を率い、雪と氷に閉ざされたチェイテ城へ乗り込んだ。
捕えられたエリザベートは、辛うじて城と財産の没収は免れ、自城にて終身刑に処される事になった。
下男フィツコを始め拷問の従犯者達は、ビッシュの処刑場にて手足の指を1本づつ引抜かれ、生きたまま火炙りにされる極刑に処せられたが、バートリ家というハンガリー1の名門貴族の出を極刑に処す事は、如何に国王の権限を用いたとしても、行使出来なかったのだ。
彼女は愛用の鏡1つのみ所持を許され、厚い漆喰で塗り固められた寝室に幽閉された。
壁には水と食物を入れる為の覗き窓と、小さな明り取りが開けられているだけだった。
そして城の四方には、本来なら死刑になる筈だった人間が此処に生きてる事を示す為、絞首台が立てられた。
1日に1度だけ、覗き窓から牢番の手で、水と食物が差し入れられた。
牢番は彼女に話掛けるのを禁じられていた為、無言で差し入れる。
それから約3年半後の1614年8/21――彼女は寝室内で、栄養失調の末に亡くなった。
享年54歳……排泄物に塗れた肉体は痩せ細り、かつての美貌は見る影も無くなっていたそうだ。
死後、彼女は恐ろしい女吸血鬼として、この地の伝説となった。
彼女をモデルにして、小説が書かれたり、映画も製作された。
しかし、実像の前では、どれも軽く凌駕されてしまう。
彼女が何の為に殺戮に耽り続けたのか?
彼女で無い自分には、皆目見当が付かない。
1つ解るとすれば……
孤独に閉籠り、
退屈を持余す人間は、
碌な事をしない、
…………という事だろうか。
…今夜の話はこれでお終い。
さぁ…それでは25本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…
……有難う……
これにて本年の百物語会は終了だ。
改めて今夜までお付合い頂いた事に、礼を述べよう。
また来年の8/7迄……残った75本の蝋燭と共に、この小部屋で貴殿をお待ちして居るからね。
人の恐怖は……例えるなら『影』の様な物。
足下にぴたりと貼り付き、振り切ろうとも逃げ切れず。
見ぬように過すも、
連れ合いと諦めるも、
全ては貴殿の選択次第。
『影』を見据える勇気が出たならば……来年もまた来られるがいいだろう。
それでは、道中気を付けて、帰ってくれ給え。
いいかい?……くれぐれも……
……恐い話をした後は、絶対に後ろを振り返らないようにね…。
『ワールド・ミステリー・ツアー13 ⑥東欧篇(第3章 桐生操、著 同朋舎、刊)』より。