瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

06年、ハウステンボスでのクリスマスその4

2006年11月29日 23時02分30秒 | ハウステンボス冬の旅行記
今回は『ウィンズ佐世保』付近迄…の予定。(進まない)



城を抜けるとそこは夢の国だった。

リンダを右にして立つ。
左の道は美しい花畑に埋まる小島『キンデルダイク』への道。
右の道は現実への帰還口『出国棟』への道。
…来て間も無いのに帰る馬鹿も無し、しかし花畑に迷い込んだが最後、魔力に縛られ足が動かぬ様に…ってのは大袈裟だが、花の運河とタペストリー撮影が本日の目的だったので、先を急いで真直ぐ道を行く。

キンデルダイク・カナルステーション裏に在るレンタサイクル屋『フィッツ』で自転車を借りた。
写真撮影の足には自転車が1番便利。
日曜だからか店内は大賑わいで、店員さんは皆忙しそうだった。
午前11時を回ったばかりなのに自転車はほぼ借りられてたし。
1人乗りタイプは数台残ってたが、2人乗り~変り自転車は既に無かったような。
この日、幌の掛かった家族用自転車と、道でよく擦違ったのを覚えている。

レンタル時間は基本3時間…しかしこの日のように混雑してるんじゃなければ、例えば先に料金支払って2倍の6時間借りる事も出来る。
料金は1人乗りで大人1,000円、中高生で800円、小人で500円。(別途保証金500円…これは後で返却される)
延長料金は500円…3時間レンタルしてその後3時間延長すると計2,500円になってしまうが、先に6時間分レンタルしとけば計2,000円で済むんで。
去年レンタル時相談したら、簡単にOKが貰えた。
店には「3時間で1,000円」としか出てなくても、混雑具合を読んで、借りられるなら長時間借りといた方が何かと便利。
変り自転車タイプは台数も少なく人気が高いんで、長時間レンタルは無理かも知れんが。
以前は場内宿泊者に限り、1日中レンタル可能だったりしたんですがね~。
叶うものならまた復活して欲しい…そうすれば早朝サイクリングだって出来るのに…あれは気分爽快だった。
店の場所が陸の出入国口付近に移動してしまったのは、場内宿泊者にとっては不便。(以前はビネンスタッドに在った)
場内奥のホテルデンハーグ&フォレストヴィラ宿泊者なんか、借りて返すのにほぼパーク縦断往復する事になる…しかもパスが使用出来なければ帰りは徒歩で戻り…大変だろうよ。(汗)


【06年12/28追記】↑…何て書いたら、場内宿泊者専用のレンタルサイクルサービスが、06年12/5~スパーケンブルグ『パラディ』にて始まりました!
詳しくはちばさんのブログを御覧になって下さいまし!(ちばさん有難う御座いました~♪)


んでまぁ…この日の私の場合、かなり混雑してたし、この後アフタヌーンティーの予約も入れてたしで、3時間のみレンタルしました。
秋の花畑と運河を左に眺めながら、サイクリングサイクリングやっほーーやっほーー♪
風が涼しくて心地良い……暑かったんですよ、実は、凄く。(汗)
青空で陽射も強くて…セーターなんか着てくんじゃなかったーと何度も後悔した。
しかし脱ぐと荷物になって面倒なんで、1日目昼は我慢して着てたよ。

バスチオン橋を渡ってニュースタッドへ入る。
記事上写真のウィンズ佐世保の優雅な佇まいが右に見える。
建物の前を流れるアムステル運河には、花で描かれた大きな絵が浮べられていた。

私が11/5に旅行するのを決めた理由はこの『花の運河絵』でして。
実は未だ1回も観た事無かった…久方振りに復活、11/5迄展示ってHPに載ってたんで、この機会に是非観ときたいと考えたんですよ。
このイベントの為だけに開発した水に浮べられる特製煉瓦で土台を造り(←この辺りのコスト気にせずな点が如何にもハウステンボスらしいかと)、花でもって名画を描く…他では中々観られないイベントですことよ。
運河絵を上から眺められるよう、見晴台が設けられていました。

それでは紹介致しましょう、1枚目、東洲斎写楽筆『大谷鬼次Ⅲ 奴江戸兵衛』!



――おお~~!!(パチパチパチ!!)

…はい、これは良く判ります、茶漬のおまけに付けられたりで、誰もが1度は観た事の有る有名な絵でしょうね~。

『東洲斎写楽』…江戸後期に活躍した浮世絵師で、その正体はかなり謎に包まれたものでした。
突如浮世絵史に姿を現し、約10ヶ月間に140数点の絵を著すも、また忽然と姿を消してしまう。
…その後2度と現れなかった…描いた絵の多くが歌舞伎役者絵だったりするのも謎で(普通美人画のが売れるから、大抵の絵師は美人画を描くのに)…正体については未だに諸説が飛び交ってたりする。
一応斎藤月岑(1804~1878年)なる江戸考証家が『浮世絵類考』の中で「写楽の本名は阿波(蜂須賀家)の能役者、斎藤十郎兵衛である」と書き残しているんですが、最近までこの十郎兵衛の実在すら怪しまれてたんですよ。
…割と最近になってから「能役者斎藤十郎兵衛は実在した」って確認が取れまして…それまでは他の有名絵師が正体偽って描いてたんじゃないか~なんて説のが盛んだったんですなぁ。
しかし何でそんな能役者が1年も経たない内に140点以上も描いて、それを当時の一流版元『蔦屋』から出版出来たのか…そもそも売れてたのか??――謎はまだまだ尽きないのです。
そう、当時売れっ子絵師だったのか、そうでなかったのかも知れない…実は写楽を有名にしたのは、ドイツの美術研究家ユリウス・クルト(当時のドイツではヤーパン・クルトと名乗ってたらしい)なる人物。
大正時代、彼は写楽を「ベラスケス、レンブラントと並ぶ三大肖像画家」と、ミュンヘンで刊行した自著『SYARAKU』なる研究本中で絶賛したのですよ。
その評価が逆輸入される形で、日本でも有名になってった…でなきゃ闇に埋もれたまんまだったでしょうよ。

浮世絵って現代で言えば同人(漫画?)に近いかと。
勿論絵師にも生活が掛かってるから、より売れる絵を描く傾向は強かった。(美人画とか春画とかね)
しかし多くの絵師が芸術性の有無なぞ考えず、好きで描いていた。
そして木版画ですから…元の絵を描く絵師だけでなく、彫師や擦師といった人間の技術有って、初めて1枚の絵が完成した…何人もの人間が作業分担して制作する辺り、アニメにも通ずる部分有るかも。
写真の無い時代でしたから、アイドルグラビアとか、紀行写真を眺める気持ちで多くは買い求められてたそうな。(或いは店の宣伝ポスターにとか)
春画という所謂ポルノ絵は、時代を経る内どんどん過激化し、幕府から検閲されるようなったりしたらしい…何か同人誌みたいですね。(笑)
未だ多くの絵師(彫師や擦師なんて表に出た事も無い)が評価されないままだけど、ひょっとしたら第2第3の写楽が現れないとも限らない。

芸術かどうかなんて、認める人が居るか居ないかだけだな~~と思う。
その内何冊かの同人誌が、美術館に収められる日が来るかもね~。(漫画やアニメは既に収められるようになって来た事だし)

…すっかり脱線してしまって済みません。(汗)

続いて二枚目~、つっても風景画ですが~。
葛飾北斎筆、富嶽三十六景シリーズの内の1枚『神奈川沖浪裏』!



――おお~~!!(パチパチパチ!!)

…はい、これは全っ然判りませんね。(笑)
相当苦しいですね~、見晴台からも観られなかったし、説明無ければ判りませんでしたよ。(苦笑)
けど絵は相当有名なんで、多くの方が見た事有るでしょう。

『葛飾北斎』…江戸当時から、この人は有名な絵師だったそうだ。
生涯に3万点を越す作品を発表し、弟子も各地に多く抱えてた。
版画だけでなく肉筆画も多く残し、長野県小布施町岩松院には21畳敷の天井いっぱいに、翼を大きく広げた鳳凰の絵が描かれている。
あんまり大きいんで畳に寝転んで観る形になるという。(そうしないと全貌が掴めない)
小布施には北斎美術館が在り…行って観て来たが、凄い。
神輿のデザインから風呂敷のデザインから、何でもする人だったようだ。
間違い無く日本が世界に誇る画家の1人だろう。
大抵の浮世絵師は自分の絵に芸術性が有るかどうかなんて気にしてなかったと書いたが…この北斎だけは別で、生涯腕を極め続け、また自分の画力に相当プライドを持っていたらしい。
版元と契約して、北斎グッズなんてのも売り出してたそうな。(だから風呂敷のデザインなんかも残されてるんだね~)
…なのに貧乏、何時もボロ布同然の着物を纏って、ボロ小屋に住いしていた。
奇人としても有名で、90歳で亡くなる迄、転居回数93回。
1日に3回引越したりもしたそう。
号(ペンネームの意)を30回も変えている…『葛飾北斎』という号は氏が45歳~50歳位の時使ってたものだそうな。
「当時有名絵師で高額の画料貰ってたのに、しかも93回も転居出来るのに貧乏なんておかしい。北斎は隠密だったのでは?」との大胆な仮説を唱えた小説家がいらっしゃいます。
その名は高橋克彦氏…自分が傾倒してる作家さんなんですけどね…この方、浮世絵研究家としても名を馳せてまして…私の浮世絵の知識はこの方からの受売りです。(笑)
突拍子無く感じるでしょうが、説を読むと成る程~!と思えなくもない…詳しくは氏の著『北斎殺人事件』を読むのだ!面白いから!(笑)

……いかん……浮世絵紹介文になって来た…。(汗)
字数制限が怖いんで、こっからはなるべく簡単に紹介。(汗)
3枚目は喜多川歌麿筆、『ビードロを吹く娘』!



――おお~~!!(パチパチパチ!!)

…はい、これはとてもよく判りますね。(笑)
長崎という事からも、この絵は外せなかったのでしょう。
観て1番綺麗だな~と感じたのは、この絵でした。
やはり輪郭のはっきりした大首絵(←人物のバストアップを描いた浮世絵をこう呼ぶ)こそ、こういうイベントで表すにはもってこいの題材な気がします。
来年は大首絵中心で行った方がと…来年は浮世絵から採らないだろうけどね。

『喜多川歌麿』…江戸庶民に最も人気だった美人絵師。
柔らかなタッチは当時の美人画の流行を築いたと言える。
現代で言えば人気漫画『ああっ女神さまっ』の作者、藤島康介氏みたいな存在??
…ちなみに「写楽の正体は歌麿だったのでは?」との説が浮世絵研究界を賑わした理由は、歌麿は1年間筆を絶った事が有り、その時期が写楽活躍時と微妙に合致するからだったそうな…しかし単純に絵を観て比較する限り……似てないだろうと感じてしまうのだが。

4枚目~、菱川師宣筆、『見返り美人』!



――おお~~!!(パチパチパチ!!)

……まぁ…判らなくもないですね。(笑)
この絵も切手のデザインにされたりしたんで、ご存知な方多いでしょう。

『菱川師宣』…浮世絵版画の祖とされる絵師ですが…あまし詳しい資料は残ってないらしい。
絵本の挿絵を多く描いてた中、その絵を大判の紙にして売り出した所大当りしたそうで…以来浮世絵ブームが庶民の間で起ったんだと。

5枚目~、これも葛飾北斎筆、富嶽三十六景シリーズの内の1枚『山下白雨』!



――おお~~!!(パチパチパチ!!)

…ってこれもよく判らない…『神奈川沖浪裏』よりは判るけど…風景画はやっぱ止めといた方が良いな~。(笑)
北斎の絵は2枚とも運河真ん中に浮んでたんで、見晴台からも観難かったんすよ。(汗)
そういう意味では歌川広重の作品を採らなかったのは無難だったと言えるんじゃ…表現したくても出来んかったんだろう…あの細かさは。(汗)
しかし花で名画を描こうってのは、本当に画期的なイベントだと思う。
是非秋の恒例イベントにして欲しいですね…コスト掛かって大変だろうが。(汗)

花は運河の上にだけでなく、運河を縁取るようにして秋桜も咲いていました。
風にユラユラ揺れてる秋桜は、秋の風景らしい、趣き溢れる眺めですなぁ。



…といった所で次回に続きます。(汗)



参考資料)…『アダチ版画研究所』(http://www.adachi-hanga.com/index.php)、現代に浮世絵木版画を蘇らせようと活躍し続ける財団さんです。
ギャラリーで有名な江戸浮世絵が、色々観られますよ~。
そして高橋克彦氏の著作物諸々。
コメント (2)
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