瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第59話―

2008年08月18日 21時13分56秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
8月も疾うに半分が過ぎてしまったが、この夏何処かへ遊びに行かれたかい?
最近は暑い夏はむしろ家で過ごして、涼しくなってから旅行に行かれる人も多いだろうが…。

例えば不思議な伝承話の多く残る、岩手に避暑に行かれた人は居るかな?
今夜紹介するのは、岩手県下閉伊郡川井村小国に、古くから伝わる話だ。



小国に、少し頭の弱い女房が居た。
この女房が、或る時家の側を流れている小川に沿って、山へ薪取りに入って行った所、どうした事か道に迷ってしまい、次第に奥深くまで踏込んでしまった。

谷底の盆地になっている所へ出た時だ――女房の目の前に、突如立派な黒塗りの門を構えた、大きな屋敷が現れた。

「こんな所に、こんなお屋敷が在るなんて……」

訝しく思うも、怖々と門を潜って、中を覗いてみた。

広大な庭には紅白の花が一面に咲競い、鶏が餌を啄ばんでは鳴いている。
厩からは馬の嘶きも聞えたが、人影は何処にも見当らなかった。

座敷に上がれば、朱と黒の膳椀等が並べてあり、火鉢の鉄瓶には湯が滾っている。

それなのに、やはり人影が見当らない。

その森閑とした様に恐怖を覚えた女房は、もしや山男山女の家ではないかと考え、一目散に己の里へ逃げ帰った。


それから暫く誰にも話さないで居たが、或る日側の小川で洗い物をしていると、川上から朱いお椀が流れて来た。
あまりにも美しい物だったので、拾い上げてよく見れば、何とそれは何時かの座敷に並んでいた朱い椀と、そっくりそのままの物だった。

女房は何だか空恐ろしく、自分の使い椀にする事も憚られたので、ケセネビツ、つまり半櫃に入れて置き、米を量る時の器に使った。

所が、その時から不思議が起った。

その朱椀で米を量ると、量っても量っても、ケセネビツの米が尽きる事が無かった。

その事が家人に解らぬ筈も無く、聞かれるままに谷底の盆地で見た怪しい屋敷の件を話すと、「さてはマヨイガに行き当ったのだ」という結論が出された。

「マヨイガ」とは「迷い家」――何処に在るとも知れない、神出鬼没の屋敷だ。

「この川を辿って行けばいいのなら、探し出せない事は無いだろう。
 自分達も是非訪ねて、幸運を授かりたいものだ。」

女房の話を聞いた家の者達は、里の者達と誘い合わせて、川を辿り、山の中をしらみつぶしに探し歩いたが、終に屋敷に行き当る事が出来なかったと云う。


「マヨイガ」に行き当った時は、その屋敷に有る物の内、1つだけを戴いて来ると、運を授かると云われている。
しかしこの女房は無欲で、何も持出さなかった為に、マヨイガの方から朱塗りの椀を流してくれたのだろうと、里の者達は噂し合った。

この女房のお蔭で、女房の家は糧に不足する事無く、後の世まで栄えたと云う。

遠い昔の語り草である。



同じ迷い込むなら、昨夜話した宮殿にではなく、こちらに迷い込みたいものだ。
そう考えるのは、私だけではないだろう。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

民話の里「遠野」を始めとして、岩手は魅力の詰った昔話の宝庫だ。
これは主に遠野の伝説を蒐集し、研究に努めた「佐々木喜善」の功績による。
氏の紹介は後日に譲らせて頂こう。

それじゃあこれにてお開きだ。
どうか気を付けて帰ってくれたまえ。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。



参考、『岩手の伝説(平野直、著 津軽書房、刊)』。
コメント
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