やあ、いらっしゃい。
気が付けば半分折り返して早後半。
今回は昨日予告したように、SFめいた話をさせて貰うよ。
貴殿は「タイムトラベル」を信じるだろうか?
今生きている時代を外れ、過去や未来へ移動する事は、果たして可能なものだろうか?
未来へなら移動出来ない事も無い。
例えば時間の流れ方が違う宇宙へ飛んで、地上へ帰って来れば、結果として当事者にとっては、「未来世界に現れた」感覚を持てるだろう。
一般的にこれは「ウラシマ効果」と呼ばれている。
しかし過去への移動は可能だろうか?
その為には現在とは別に、過去も未来も、独立した時間として存在していなきゃならない。
もしも可能であるとするなら、今生きてる時代とは別の「現在」が無数に存在する事となり、即ち「パラレルワールド(並行世界)」の存在を証明するのである。
とは言え現時点では、「時間は過去から未来へ一方通行に流れ、よって過去へのタイムトラベルは不可能」と唱える人間の方が多い。
しかし今回紹介する話は、そんな時間一方通行説を否定する様な、驚くべきものだ――
1901年10月、2人のイギリス人女教師が、フランスに観光旅行へ訪れた。
名前はシャーロット・アン・モーバリーと、エリナー・フランセス・ジョーデン。
モーバリーは当時オックスフォードの女学校の校長で、ジョーデンの方はその副校長を務めていた。
2人はガイドブックを携え、エッフェル塔や凱旋門、ヴェルサイユ宮殿等、パリの観光名所を粗方廻った後、プチ・トリアノンに行く事にした。
プチ・トリアノンとは、1762年ルイ15世が愛人のポンパドゥール夫人の為に建てた物で、後にルイ16世が王妃マリー・アントワネットに与えた、(当時の貴族の感覚では)田舎風の小じんまりとした離宮である。
余談だが、1687年にルイ14世が主に愛人マントノン夫人との逢瀬を楽しむ為に建てさせた、グラン・トリアノンと呼ばれる離宮も存在する。
宮廷での人付き合いに疲れた王妃マリーは、プチ・トリアノンに逃れ、静かに田園生活を楽しむ事を常としていたらしい。
マリーの育ったオーストリア宮廷は非常に家庭的だったそうで、子供の頃の彼女は家族で狩に出掛けたり、オペラを観賞したりして過していたと云う。
そんな楽しかった子供時代を、マリーは此処で懐かしんで居たのかもしれない。
さてプチ・トリアノンに向ったモーバリーとジョーデンだったが、途中で道に迷ってしまい、中々目的地に辿り着かなかった。
やがて目の前に、3本の分かれ道が現れた。
真ん中の道の少し先の方に、緑の制服を着て、三角帽を被った2人の男が立っている。
守衛だと思った2人は、男達に近付いてプチ・トリアノン迄の道を訊いた。
男達は「この道を真直ぐに行きなさい」と教えてくれた。
道を歩いている最中、2人は「まるで夢の中に迷い込んだ様な、おかしな気持ちになった」と云う。
歩いて行く内に2人は、前方に1軒の家を見付けた。
戸口には母親らしい中年女性と13歳位の少女が立っている。
2人共長い裾のスカートに、耳まですっぽり隠れる帽子と、やけに古めかしい出で立ちに思えた。
更に進むと、今度は行く手に深い森が見えて来た。
森の中には岩で囲んだ様な小さな音楽堂が在り、1人の外套姿の男が腰を下ろしている。
その男の顔は痘痕だらけで、何とも暗い表情をしていた。
薄気味悪く思うも、2人は気にせず森の中を更に進んだ。
すると突然、黒マントにつばの広い帽子を被った、まるで昔の絵画に出て来る貴族の様な格好の男が、2人の前に立ち塞がった。
男は酷く慌てた様子で、2人にフランス語でこう話しかけた。
「そちらは通れませんよ。右の方に行きなさい」
2人は素直に言われた通り右に進み、岩に架かる小さな橋を渡った。
渡った先には道が木々の下を通って続いており、やがて深い木立に囲まれた、プチ・トリアノンの四角い建物に辿り着いた。
建物の北と西にはテラスが廻らせてあり、背の高い雑草が生い茂り囲んでいた。
テラスの下の芝生には1人の女性が座って、キャンバスに向かい絵を描いている。
その女性がふと頭を廻らせ、通り掛った2人の方を向いた。
どちらかと言うと美しい顔立ちで、年の頃は30歳位。
つば広の帽子から、金色の巻毛が覗いていた。
此処まで歩いて行く途中で見掛けた人物同様、裾広がりのスカートに、ケープの如く肩に掛かった襟と、妙に古臭い装いをしていた。
2人がテラスに上がった時だ――またもや建物の戸口から1人の男が現れて、咎める様に言った。
「此処は入口じゃありません。正面玄関の方へ廻って下さい」
2人は慌てて頷いて、プチ・トリアノンの正面に向った。
するとそれまで圧し掛かっていた妙な不安がスーッと引き、急に周囲が明るく感じられたと云う。
その後2人は早々にパリに戻った。
帰りの汽車の中では、お互い自分が抱いた奇妙な違和感を、どう話したものか思案し、無言で居たと云う。
イギリスに帰って数日後、モーバリーは漸く口火を切るよう、ジョーデンに尋ねた。
「この間、プチ・トリアノンに訪れた時の事だけど……貴女、何だか妙な感じはしなかった?」
「あら、貴女も感じたの?」
問われるのを待っていたかの如く、ジョーデンも話に応じた。
「私だけかと思って、これまで黙っていたの。頭がおかしくなったと言われそうな気がして…」
後は堰を切った様に話が溢れ出した。
自分1人だけが体験した訳ではない事が判ると、俄然気になって来るもの。
翌年の1/2、ジョーデンは再びプチ・トリアノンを訪れる事にした。
タクシーをプチ・トリアノンの脇に乗り付け、そこから並木道を歩き出したが、岩に架かる小さな橋に差し掛かった際、またあの時の様に奇妙な心地がして来た。
不意に彼女の前に2人の男が現れた。
それぞれ三角帽を被り、赤と青のマントを羽織り、薪の束を積んだ荷車を押している。
けれど彼等をやり過ごしてから、次の瞬間振向いた時には、もうその姿は消えていた。
プチ・トリアノン宮を観た後、ジョーデンはまた道に迷ってしまい、深い森の中に入り込んだ。
すると周りに複数の人間が居る気配を感じ、衣擦れの音を聞いた。
楽器が奏でる音も微かに聞え、耳元をフランス語の会話が過ぎった。
ジョーデンは恐怖で心臓が早鐘の様に鳴るのを感じたが、勇気を振り絞って歩き続けた。
歩いて行く内、次第に音楽や衣擦れの音は遠ざかったと云う。
後で調べた所、その日その場所で集会等は、何も開かれていなかった事が判明した。
いよいよ不思議の感を深めた2人は、2年後またもプチ・トリアノンを訪れた。
ところが不思議にも、あの時見た橋も音楽堂も、全て消えていたのである。
方々を歩き回り、係員にも尋ねたが、無駄だった。
もしかしたら時代映画の撮影現場にでも迷い込んだのかもと考え、尋ねてみたが、そんな記録は無いと言う。
ではあの時見たものは一体何だったのか…?
2人はすっかり頭が混乱してしまった。
自分達が体験した出来事に確証を持とうとした2人は、その後ヴェルサイユについて調査を始めた。
何度もフランスに渡り、図書館を廻って、昔の地図や記録を調べたり、歴史家に意見を尋ねたりした。
すると2人が見た物は全て過去に実在しており、出会った人々もルイ16世の時代に確かに存在していた事が判ったと云う。
先ず2人が道を聞いた守衛の様な男は、服装からその時代プチ・トリアノンの守衛を務めていた、ベルシ兄弟であると思われた。
古文書から中年女と少女が居た家の跡が見付かり、岩石で築いたロココ調の音楽堂も当時確かに存在していた事が判った。
音楽堂に居た痘痕面の男は、王妃マリーに仕えた側近のヴァンドルイユ伯に似て思える。
王妃マリーの衣装係を務めたエロフ夫人の日記から、当時の宮廷の流行は、三角帽~つば広の帽子へ移行する過程であった事も判明した。
小川に架かっていた田舎風の橋も、エゼック伯と言う人物が書いた『一小姓の回想』なる本の中で、「当時その様な橋が架かっていた」という記述が認められた。
更に驚いた事に、プチ・トリアノンの庭園で写生をしていた女は、ヴェルトミュラーの描いた王妃マリーの肖像画にそっくりだったのだ。
そして2人が初めてプチ・トリアノンに訪れた8/10は、王妃マリーにとって非常に重要な日である事も判明した。
1792年8/10、パリ・セーヌ河畔のテュイルリー宮殿(フランス国王のパリにおける住居)は革命派の手に落ち、国王一家は早朝、立法議会の議場となった建物に連れ去られた。
そしてこのテュイルリー宮殿に一旦捕えられ、何時間にも渡って王政の廃絶を叫ぶ声を聞かされ、王家の召使やテュイルリー宮の護衛達が虐殺される光景を目撃したと云う。
その後国王一家はタンプル塔へ収容され、処刑されるまでの余生を過したのだ。
幽霊はこの世で最も思いを残した場所に現れると聞く。
自分達2人が体験した出来事――それは王妃マリーが捕えられた際に懐かしく思いを馳せた、プチ・トリアノンでの楽しかった日々の記憶ではないだろうか?
ジョーデンとモーバリーはその様に結論付けて、1911年に自分達の奇妙な体験を1冊の本にして纏めた。
タイトルは――『冒険』。
出版後この本は瞬く間に評判を呼び、2人の女史はあっという間に時の人となった。
そして同時に様々な議論を呼んだ。
この体験談は彼女らの妄想に過ぎないと或る研究家は主張し、多くの心霊研究機関も批判的であったと云われている。
むしろ一般読者から好評をもって迎えられ、同様な体験をしたと証言する人々が何人も現れたそうだ。
騒ぎを残したまま、ジョーデン女史は1924年、モーバリー女史は1937年に他界。
しかし2人が去った今も、「これこそ過去と現在が共存し得るという証拠だ」と主張し、調査を続ける者も居るとか。
2人の女史は自分達が体験した出来事を王妃マリーの記憶と考え、心霊現象であると結論付けたらしいが、タイムトラベルの1例と捉えた者は更にこんな説を唱える。
「1901年から来たモーバリーとジョーデンが、1789年のプチ・トリアノンの庭園で写生して居るマリーに会ったなら、1789年にマリーの方でも、1901年から来た彼女らが目前を通って行くのを見た筈だ。」
しかし残念ながら、その様な記録は残されてないと云う…。
そしてこれは個人的な疑問なのだが、ならば1/2は王妃マリーにとって、どんな意味を持った日だと言うのだろう?
もしも「タイムトラベル」が可能なら……諸問題はさて置き、夢が膨らむのは誰しも止められないだろう。
今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。
……有難う。
それじゃあ時間の裂け目に落ちないよう、気を付けて帰ってくれたまえ。
――いいかい?
夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。
ああそうだ…最後にヴェルサイユ繋がりで宣伝させて貰うが、今年の9/12(金)~11/16(日)迄、ハウステンボスでは『永遠のベルサイユのばら展』を開催するらしい。
日本に居ながらタイムトラベルする積りで、是非お越し頂きたく思う。(→http://www.huistenbosch.co.jp/museum/topics/berubara.html)
では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。
参考、『ワールドミステリーツアー13(5)―パリ編― 第1章、桐生操、著 同朋舎、刊』、他こちらのサイト様の記事
(→http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-40.htm)や、ウィキペディア等々。
気が付けば半分折り返して早後半。
今回は昨日予告したように、SFめいた話をさせて貰うよ。
貴殿は「タイムトラベル」を信じるだろうか?
今生きている時代を外れ、過去や未来へ移動する事は、果たして可能なものだろうか?
未来へなら移動出来ない事も無い。
例えば時間の流れ方が違う宇宙へ飛んで、地上へ帰って来れば、結果として当事者にとっては、「未来世界に現れた」感覚を持てるだろう。
一般的にこれは「ウラシマ効果」と呼ばれている。
しかし過去への移動は可能だろうか?
その為には現在とは別に、過去も未来も、独立した時間として存在していなきゃならない。
もしも可能であるとするなら、今生きてる時代とは別の「現在」が無数に存在する事となり、即ち「パラレルワールド(並行世界)」の存在を証明するのである。
とは言え現時点では、「時間は過去から未来へ一方通行に流れ、よって過去へのタイムトラベルは不可能」と唱える人間の方が多い。
しかし今回紹介する話は、そんな時間一方通行説を否定する様な、驚くべきものだ――
1901年10月、2人のイギリス人女教師が、フランスに観光旅行へ訪れた。
名前はシャーロット・アン・モーバリーと、エリナー・フランセス・ジョーデン。
モーバリーは当時オックスフォードの女学校の校長で、ジョーデンの方はその副校長を務めていた。
2人はガイドブックを携え、エッフェル塔や凱旋門、ヴェルサイユ宮殿等、パリの観光名所を粗方廻った後、プチ・トリアノンに行く事にした。
プチ・トリアノンとは、1762年ルイ15世が愛人のポンパドゥール夫人の為に建てた物で、後にルイ16世が王妃マリー・アントワネットに与えた、(当時の貴族の感覚では)田舎風の小じんまりとした離宮である。
余談だが、1687年にルイ14世が主に愛人マントノン夫人との逢瀬を楽しむ為に建てさせた、グラン・トリアノンと呼ばれる離宮も存在する。
宮廷での人付き合いに疲れた王妃マリーは、プチ・トリアノンに逃れ、静かに田園生活を楽しむ事を常としていたらしい。
マリーの育ったオーストリア宮廷は非常に家庭的だったそうで、子供の頃の彼女は家族で狩に出掛けたり、オペラを観賞したりして過していたと云う。
そんな楽しかった子供時代を、マリーは此処で懐かしんで居たのかもしれない。
さてプチ・トリアノンに向ったモーバリーとジョーデンだったが、途中で道に迷ってしまい、中々目的地に辿り着かなかった。
やがて目の前に、3本の分かれ道が現れた。
真ん中の道の少し先の方に、緑の制服を着て、三角帽を被った2人の男が立っている。
守衛だと思った2人は、男達に近付いてプチ・トリアノン迄の道を訊いた。
男達は「この道を真直ぐに行きなさい」と教えてくれた。
道を歩いている最中、2人は「まるで夢の中に迷い込んだ様な、おかしな気持ちになった」と云う。
歩いて行く内に2人は、前方に1軒の家を見付けた。
戸口には母親らしい中年女性と13歳位の少女が立っている。
2人共長い裾のスカートに、耳まですっぽり隠れる帽子と、やけに古めかしい出で立ちに思えた。
更に進むと、今度は行く手に深い森が見えて来た。
森の中には岩で囲んだ様な小さな音楽堂が在り、1人の外套姿の男が腰を下ろしている。
その男の顔は痘痕だらけで、何とも暗い表情をしていた。
薄気味悪く思うも、2人は気にせず森の中を更に進んだ。
すると突然、黒マントにつばの広い帽子を被った、まるで昔の絵画に出て来る貴族の様な格好の男が、2人の前に立ち塞がった。
男は酷く慌てた様子で、2人にフランス語でこう話しかけた。
「そちらは通れませんよ。右の方に行きなさい」
2人は素直に言われた通り右に進み、岩に架かる小さな橋を渡った。
渡った先には道が木々の下を通って続いており、やがて深い木立に囲まれた、プチ・トリアノンの四角い建物に辿り着いた。
建物の北と西にはテラスが廻らせてあり、背の高い雑草が生い茂り囲んでいた。
テラスの下の芝生には1人の女性が座って、キャンバスに向かい絵を描いている。
その女性がふと頭を廻らせ、通り掛った2人の方を向いた。
どちらかと言うと美しい顔立ちで、年の頃は30歳位。
つば広の帽子から、金色の巻毛が覗いていた。
此処まで歩いて行く途中で見掛けた人物同様、裾広がりのスカートに、ケープの如く肩に掛かった襟と、妙に古臭い装いをしていた。
2人がテラスに上がった時だ――またもや建物の戸口から1人の男が現れて、咎める様に言った。
「此処は入口じゃありません。正面玄関の方へ廻って下さい」
2人は慌てて頷いて、プチ・トリアノンの正面に向った。
するとそれまで圧し掛かっていた妙な不安がスーッと引き、急に周囲が明るく感じられたと云う。
その後2人は早々にパリに戻った。
帰りの汽車の中では、お互い自分が抱いた奇妙な違和感を、どう話したものか思案し、無言で居たと云う。
イギリスに帰って数日後、モーバリーは漸く口火を切るよう、ジョーデンに尋ねた。
「この間、プチ・トリアノンに訪れた時の事だけど……貴女、何だか妙な感じはしなかった?」
「あら、貴女も感じたの?」
問われるのを待っていたかの如く、ジョーデンも話に応じた。
「私だけかと思って、これまで黙っていたの。頭がおかしくなったと言われそうな気がして…」
後は堰を切った様に話が溢れ出した。
自分1人だけが体験した訳ではない事が判ると、俄然気になって来るもの。
翌年の1/2、ジョーデンは再びプチ・トリアノンを訪れる事にした。
タクシーをプチ・トリアノンの脇に乗り付け、そこから並木道を歩き出したが、岩に架かる小さな橋に差し掛かった際、またあの時の様に奇妙な心地がして来た。
不意に彼女の前に2人の男が現れた。
それぞれ三角帽を被り、赤と青のマントを羽織り、薪の束を積んだ荷車を押している。
けれど彼等をやり過ごしてから、次の瞬間振向いた時には、もうその姿は消えていた。
プチ・トリアノン宮を観た後、ジョーデンはまた道に迷ってしまい、深い森の中に入り込んだ。
すると周りに複数の人間が居る気配を感じ、衣擦れの音を聞いた。
楽器が奏でる音も微かに聞え、耳元をフランス語の会話が過ぎった。
ジョーデンは恐怖で心臓が早鐘の様に鳴るのを感じたが、勇気を振り絞って歩き続けた。
歩いて行く内、次第に音楽や衣擦れの音は遠ざかったと云う。
後で調べた所、その日その場所で集会等は、何も開かれていなかった事が判明した。
いよいよ不思議の感を深めた2人は、2年後またもプチ・トリアノンを訪れた。
ところが不思議にも、あの時見た橋も音楽堂も、全て消えていたのである。
方々を歩き回り、係員にも尋ねたが、無駄だった。
もしかしたら時代映画の撮影現場にでも迷い込んだのかもと考え、尋ねてみたが、そんな記録は無いと言う。
ではあの時見たものは一体何だったのか…?
2人はすっかり頭が混乱してしまった。
自分達が体験した出来事に確証を持とうとした2人は、その後ヴェルサイユについて調査を始めた。
何度もフランスに渡り、図書館を廻って、昔の地図や記録を調べたり、歴史家に意見を尋ねたりした。
すると2人が見た物は全て過去に実在しており、出会った人々もルイ16世の時代に確かに存在していた事が判ったと云う。
先ず2人が道を聞いた守衛の様な男は、服装からその時代プチ・トリアノンの守衛を務めていた、ベルシ兄弟であると思われた。
古文書から中年女と少女が居た家の跡が見付かり、岩石で築いたロココ調の音楽堂も当時確かに存在していた事が判った。
音楽堂に居た痘痕面の男は、王妃マリーに仕えた側近のヴァンドルイユ伯に似て思える。
王妃マリーの衣装係を務めたエロフ夫人の日記から、当時の宮廷の流行は、三角帽~つば広の帽子へ移行する過程であった事も判明した。
小川に架かっていた田舎風の橋も、エゼック伯と言う人物が書いた『一小姓の回想』なる本の中で、「当時その様な橋が架かっていた」という記述が認められた。
更に驚いた事に、プチ・トリアノンの庭園で写生をしていた女は、ヴェルトミュラーの描いた王妃マリーの肖像画にそっくりだったのだ。
そして2人が初めてプチ・トリアノンに訪れた8/10は、王妃マリーにとって非常に重要な日である事も判明した。
1792年8/10、パリ・セーヌ河畔のテュイルリー宮殿(フランス国王のパリにおける住居)は革命派の手に落ち、国王一家は早朝、立法議会の議場となった建物に連れ去られた。
そしてこのテュイルリー宮殿に一旦捕えられ、何時間にも渡って王政の廃絶を叫ぶ声を聞かされ、王家の召使やテュイルリー宮の護衛達が虐殺される光景を目撃したと云う。
その後国王一家はタンプル塔へ収容され、処刑されるまでの余生を過したのだ。
幽霊はこの世で最も思いを残した場所に現れると聞く。
自分達2人が体験した出来事――それは王妃マリーが捕えられた際に懐かしく思いを馳せた、プチ・トリアノンでの楽しかった日々の記憶ではないだろうか?
ジョーデンとモーバリーはその様に結論付けて、1911年に自分達の奇妙な体験を1冊の本にして纏めた。
タイトルは――『冒険』。
出版後この本は瞬く間に評判を呼び、2人の女史はあっという間に時の人となった。
そして同時に様々な議論を呼んだ。
この体験談は彼女らの妄想に過ぎないと或る研究家は主張し、多くの心霊研究機関も批判的であったと云われている。
むしろ一般読者から好評をもって迎えられ、同様な体験をしたと証言する人々が何人も現れたそうだ。
騒ぎを残したまま、ジョーデン女史は1924年、モーバリー女史は1937年に他界。
しかし2人が去った今も、「これこそ過去と現在が共存し得るという証拠だ」と主張し、調査を続ける者も居るとか。
2人の女史は自分達が体験した出来事を王妃マリーの記憶と考え、心霊現象であると結論付けたらしいが、タイムトラベルの1例と捉えた者は更にこんな説を唱える。
「1901年から来たモーバリーとジョーデンが、1789年のプチ・トリアノンの庭園で写生して居るマリーに会ったなら、1789年にマリーの方でも、1901年から来た彼女らが目前を通って行くのを見た筈だ。」
しかし残念ながら、その様な記録は残されてないと云う…。
そしてこれは個人的な疑問なのだが、ならば1/2は王妃マリーにとって、どんな意味を持った日だと言うのだろう?
もしも「タイムトラベル」が可能なら……諸問題はさて置き、夢が膨らむのは誰しも止められないだろう。
今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。
……有難う。
それじゃあ時間の裂け目に落ちないよう、気を付けて帰ってくれたまえ。
――いいかい?
夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。
ああそうだ…最後にヴェルサイユ繋がりで宣伝させて貰うが、今年の9/12(金)~11/16(日)迄、ハウステンボスでは『永遠のベルサイユのばら展』を開催するらしい。
日本に居ながらタイムトラベルする積りで、是非お越し頂きたく思う。(→http://www.huistenbosch.co.jp/museum/topics/berubara.html)
では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。
参考、『ワールドミステリーツアー13(5)―パリ編― 第1章、桐生操、著 同朋舎、刊』、他こちらのサイト様の記事
(→http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-40.htm)や、ウィキペディア等々。