瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

桜橋~神田川を下る旅~その16

2021年06月24日 21時55分37秒 | 旅の覚書
皆様、こんばんは。
神田川下りのお時間です。
現実の季節は夏ですが、このブログ上では時計の針を戻して、麗らかな春の一時を演出したいと思います。(汗)
では前回「桜橋~神田川を下る旅~その15」に引き続き、上流から数えて98番目の落合橋~103番目の神高橋までの区間を案内致しましょう。
尚、撮影日は一年前の2020年3月末頃です。(一部今年の春撮影した写真も有;)

源流から数えて98番目の橋…「落合橋」
昔、神田川(神田上水)と妙正寺川が、この地点で落ち合ってた事が、橋名の由来だそう。
「落合」と言う呼び名は、橋だけでなく、この辺りの地名にも引き継がれています。
ちなみに現在、二本の川が正式に合流する地点は、上流から数えて107番目に架かる高戸橋付近だそう。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、落合橋上より上流側を向いた風景。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、落合橋上より下流側を向いた風景。
…1つ前の瀧澤橋で遊歩道が途切れてしまってる為、この落合橋から103番目の神高橋まで、川沿いに歩く事が出来ません。
付近は小道が入り組んでる為、初めて神田川下りをする際は迷うかもしれない…ですが、要は川が流れる方向へ進めば良いだけ、東京富士大学正門前の通りを選び、角に突き当たる毎に右折すれば、橋を順に巡れる筈です。

ちなみに余談になりますが、近辺にもう1カ所、「落合橋」と言う名の橋が架かってます。
 
↑こちらは妙正寺川に架かる「落合橋」、近くには西武新宿線「下落合」駅が在ります。
神田川と妙正寺川、二本の河川は、この下落合駅を挟む様な位置関係で流れています。

☆下落合駅北口前の立ち寄りスポット…「加勢牧場―新宿下落合店―」
続けて余談になりますが(汗)、下落合駅北口の直ぐ前に、美味しいと評判のパティスリーが在ります。
HPの紹介文によると、新潟県長岡市の牧場が経営してる店らしい。
世界的に希少なガンジー種の牛乳を使って製造するスイーツは、毎日売り切れる程の大人気。
特に人気が高いのが、チーズケーキとソフトクリームとシュークリームです。
 

 
以前、シュークリームと季節限定レモンチーズタルトを買って食べたんですが、ミルクの風味がめっちゃ濃くて大変美味しかったです。
シュークリーム、この美味しさで1個180円は安過ぎる。
小さい店舗で品数は少ないですが、自信を持ってお勧めする店です。
けど国内でガンジー種の牛乳を取り扱ってるの、那須高原の南ヶ丘牧場くらいかと思ってた…他にも在るんだなと。

他にこの近辺で立ち寄りたいスポットがもう数カ所――

☆下落合駅側(妙正寺川辰巳橋側)の立ち寄りスポット…神田川高田馬場分水路と妙正寺川との合流地点
現在の神田川と妙正寺川との正式な合流地点は上流から数えて107番目に架かる高戸橋付近とお伝えしましたが、その前にここ下落合の妙正寺川に架かる辰巳橋付近で神田川の分水路である「高田馬場分水路」と合流致します。
「高田馬場分水路」については前回、上流から数えて96番目の新堀橋の辺りで触れてますので、ご再読ください。
合流後は暗渠(ここでは地下に潜って見えない川の意味)となり、高戸橋付近で再び地上を流れる開渠となって、神田川の本流と合流するという――一気に合流させては水が溢れる危険が有るので、そういう仕組みになってるのでしょう。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、妙正寺川に架かる辰巳橋。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、辰巳橋下で合流する神田川高田馬場分水路と妙正寺川――右側の流れが妙正寺川で、左側は地下に潜ってた神田川高田馬場分水路です。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、妙正寺川に架かる辰巳橋上より下流側を向いた風景…先の流れは暗渠になっていて見る事が叶いません。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は新目白通りに敷かれた緑道、この道の地下に合流して暗渠となった川が流れています。
車道を挟んで緑道の相向かいには、神田川の守り神として古くから信仰を集める「氷川神社」が鎮座しています。
余談続きで申し訳有りませんが、紹介させてください。(汗)

☆神田川高田馬場分水路と妙正寺川との合流地点側の立ち寄りスポット…「新宿下落合氷川神社
創建は今より二千四百年前とも、それより更に古いとも云われ、詳らかではないけど、地元で古くから信仰されて来た神社です。
御祭神は「須佐之男命(すさのおのみこと)」、「奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)」、「大国主命(おおくにぬしのかみ)」――日本の神話を代表するスーパートリオですね。
「太平洋戦争末期、戦火に包まれる憂き目に遭うも、昭和26年に現在の社殿が再建された」との説明が、境内の看板に記載されていました。
 


↑この辺りじゃ最も大きい社殿を誇る神社です。
氷「川」と言う名前に表れてる様に、元は須佐之男命ではなく、武蔵野国の水神を祀ってたとの説が有ります。

…いいかげん余談を切り上げて、神田川に架かる橋の紹介に戻ります。(汗)


源流から数えて99番目の橋…「宮田橋」
住宅街に架かる細い橋です。
側には「世界湯」と言う銭湯が在ります。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、宮田橋上より上流側を向いた風景。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、宮田橋上より下流側を向いた風景…写真右、薄緑の金網が張られてる場所は、新宿区立「宮田橋公園」です。
川沿いの公園なのですが、金網で完全に囲まれており、景観を楽しめない造りになってるのが残念です。
公園で遊ぶ児童を守る為なのは理解出来るんですけどね…。


源流から数えて100番目の橋…「東京富士大学構内橋」
記念すべき100番目の橋ですが、学校関係者以外は基本立ち入り禁止な為、渡る事が出来ません!
したがって上流側・下流側の風景写真は撮れず…そもそも学校の施設橋を数に入れるか悩んだのですが(正式な橋名が有るのか解らないし)、人が渡る橋ですので一応数に入れたいと思います。(汗)


源流から数えて101番目の橋…「田島橋」
側に立ってた看板によると、「江戸時代、付近に下屋敷が在った安藤但馬の守が、よくこの橋を使った為、この呼び名になった」との事。
「但馬」名が時を経てく内に簡略化され、「田島」に置き換わったのですね。
昔この橋の上流には「犀が淵」と云う深い淵が在り、江戸時代には「高田十二景」と呼ばれる月見の名所の一つとして、江戸時代後期に刊行された江戸ガイドブック「江戸名所図会」にも紹介されたそうです。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、田島橋上より上流側を向いた風景…東京富士大学構内に咲く桜が観えます。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、田島橋上より下流側を向いた風景…写真右の「さかえ通り商店街」を真っ直ぐ進むと、JR高田馬場駅早稲田口に出ます。
写真左、ヒヨコマークが付いた建物は、消臭剤でお馴染み「エステー」の本社です。

☆田島橋側の立ち寄りスポット…新宿区立「おとめ山公園
…側ってほど近くには無いんですが…田島橋が架かる地点から西武新宿線の踏切を渡って新目白通りを横断し、坂を登った先に在る公園なので(汗)…今回ほんと寄り道が多くて申し訳無い。(汗)
しかしここは嘗て蛍の名所として有名だった「落合の郷」を語る意味で、外すわけには行かない重要スポットなのです。
「おとめ山公園」――名前は上流から数えて27番目の「乙女橋」同様、江戸時代この地が将軍家の狩猟場だった為に、民衆立入禁止の「おとめ山(御留山、御禁止山)」と呼ばれていた歴史が由来になっています。
大正期に入り、大名だった相馬家が広大な庭園を持つ屋敷をこの地域に造成、後に売却される事になった際、森林の喪失を憂えた地元の人達が、「落合の秘境」を保存する運動を起こし、昭和44(1969)年にその一部が公園として開園したのだそう。
江戸時代には「落合蛍」として江戸名所図会に描かれる程、蛍狩りの名所で知られていた落合の界隈。
昭和48年より新宿区はこの公園で蛍の飼育を始め、昭和53年から毎年蛍の鑑賞会を開催。
その後、平成13年に地元の「落合蛍を育てる会」の方々に引き継ぎ、現在は地域の方々の手によって活動が続けられています――との説明が、公園内の看板に記載されてました。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、「おとめ山公園」への道、おとめ山通り…かなりきつい登り坂になってます。(汗)
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、そのおとめ山通りの途中に建ってた「錦松梅東京工場」…こんな所に老舗で有名なふりかけの工場が在ったんだなと。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、おとめ山通りを振り返り見下ろした構図…傾斜がどんだけきついか察せるかと。(汗)
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、「おとめ山公園」ホタル舎近くの出入口です。
「神田川と妙正寺川、二つの川の浸食により低地、斜面(崖線)、台地が形成され、嘗ては低地に水田、台地には農村が拡がりました。
 斜面一帯は緑地となり、東西に連なる斜面緑地が生まれました。
 その中に公園は位置し、今も豊かな緑が残されています。
 公園では今も湧水が、園内の流れや池を潤しています。」←公園内看板の説明書きより。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は公園の案内図、結構広いです。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真、金網ケージで厳重に護られてるのが「ホタル舎」。
蛍の為に造られた人工の小川では、水棲生物を採集しようとする子供達の姿が…ザリガニを採ってるのかな?
 
↑園内に設置された見晴台。
生憎、観えるのはビルばかりで、景色はいまいちでした。
晴れた日に来れば、もう少し綺麗な風景を眺める事が出来たかも。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、林間広場に建つ東屋。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、林間広場から泉の広場へ続く階段。
 
↑泉の広場の湧水…私が訪れた日は目にする事が出来なかったのですが、季節によっては纏まった水量の流れが見られるそうです。
平成15年には「東京の名湧水57選」の1つに選定されました。
 
↑頂上部付近に広がる、みんなの原っぱ。
児童遊具や健康器具が設置されており、家族連れに大人気でした。
 
↑原っぱの片隅に設置された水琴窟…最初気付かず通り過ぎたほど、隅っこにポツンと設置されています。
 


↑低所の広場と高所の広場とを繋ぐ林間デッキ、樹々の合間から池や広場を見渡せます。
 
↑ふれあい広場に立つスダジイ、愛称ではなく、常緑広葉樹ブナ科シイ属の種別名です。
暖地性照葉樹林を代表する樹種の一つで、日本の森林を下支えする重要ポジションに付いてます。
昔からこの場所に立ってた、公園のシンボル樹木だそう。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は上の池、PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は中の池。
園内の敷地は、おとめ山通りを挟んで、二つに分かれています。(案内図参照)
園内の3つの池の内、上の池と中の池は左側、下の池は右側の敷地内に在ります。
 
↑右側の敷地内に広がる谷戸の森。
芝斜面は、大正初期から昭和初期にかけ、この辺りを所有していた相馬家(嘗ての相馬中村藩主)の庭園跡を、極力そのままに活かしたのだとか。
 
↑谷戸の森の端に咲いてた桜、敷地内では数組が花見を楽しんでました。
 
↑右側の敷地内に在る下の池、「弁天池」との名が付いてるそう。
池畔には東屋が建っておりました。
何故、下の池だけ固有名が付けられてるのか不明だけど、ひょっとしたら下の池だけ相馬家所有の池だったとか、或いは逆に上の池・中の池がそうだったとか?
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、水辺のもりに咲いてたシャガ。
菖蒲に似た形の白っぽい花を咲かせます。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、水辺のもり側の出入口。
公園を出て、そろそろ橋に戻りましょうか――しかしその前に後1カ所だけ寄らせてください。(汗)

☆おとめ山公園隣の立ち寄りスポット…「東山藤稲荷神社
おとめ山通りを、公園に到る手前で、角を左に曲がると鳥居が現れます。
 

 

 

 
↑小さな御社ですが、源氏一族の守護神として祀られる神社です。
清和源氏の祖である源経基が、927(延長5)年初午の日に、京都稲荷山より勧請・創建したとの謂れが残ってます。
東山稲荷の神から受けた御神託により、平将門の謀反を察知し朝廷に報告した功が認められ、天皇より源姓を賜った経基は、源氏一族の守護神として崇敬されたとの事――将門様にとってはにっくき敵じゃないすか。(汗)
境内に藤の大木が在った事から、「藤稲荷神社」・「富士稲荷神社」とも称されるとか。
旧社殿は1945(昭和20)年5月24日の空襲で焼失、その後1953(昭和28)年に仮殿にて復興された後、1970(昭和45)年5月24日、現社殿の再建に至ったそう。
この辺り空襲で一切合切焼かれたのですね…。

――で、今度こそ神田川に架かる橋に戻ります。(汗)


源流から数えて102番目の橋…「清水川橋」
橋を渡ると、先に紹介したJR高田馬場駅早稲田口に続く「さかえ通り商店街」に出ます。
商店街との名前が付いてますが、雰囲気的に呑み屋横丁に近いです。
飲み屋やキャバレーといった店が、狭い通りを埋める様に建ち並んでいて、猥雑な空気を醸しております。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、清水川橋上より上流側を向いた風景。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、清水川橋上より下流側を向いた風景…川の流れがボトルネックの様に細く絞られてるのが見えるでしょうか?
この辺り、嘗て「高田馬場渓谷」と呼ばれてたそうです。

…ここで大変申し訳無いのですが、後1回だけ寄り道をお許しください。(汗)
神田川から一旦外れて、さかえ通り商店街をJR高田馬場駅方面へ歩いて行きます。
 
↑PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、JR高田馬場駅側から見た「さかえ通り商店街」への出入口。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、JR高田馬場駅早稲田口です。
ご年配の方は高田馬場と聞けば、講談の演目等でお馴染み「高田馬場の決闘」を思い浮かべるでしょう。
しかし団塊より下の世代からすれば、高田馬場は、日本のテレビアニメの祖にして漫画の神様、手塚治虫先生関わりの街なのです。
何故なら高田馬場には、手塚先生が設立したアニメ制作会社、「手塚プロダクション」が在るから。
JR高田馬場駅ホームに流れる発車メロディーが「鉄腕アトム」なのも、それが理由です。

☆JR高田馬場駅早稲田口前の立ち寄りスポット…手塚治虫キャラ大集合壁画
JR高田馬場駅早稲田口より降りたら必ず目に付く、高架下に描かれた大壁画です。
この壁画が高田馬場駅前に描かれた経緯は、こちらの「高田馬場新聞」の記事を御覧ください。(→https://www.babashinbun.com/0040atomnomachi.html)
 

 
↑日が傾く頃に訪れた為、壁画が陰で真っ黒くなってしまい残念。(汗)
↓高田馬場一の人気撮影スポット…細かく観てくと、決闘や染物等の高田馬場の郷土歴史が、イラストの中にさり気無く織り込まれてますね。
 

 

 



 
↑個人的好みを言うと、冬のイラストが幻想的な色合いで、一番好きです。
スマホから観た場合、季節の順番が逆になるので、ここはPC画面でご覧ください。(汗)

…今度こそ寄り道せずに、神田川の橋をひたすら巡ります。(汗)
つっても次に架かる神高橋までは川沿いに歩けないので、高田馬場駅から迂回する事に変わりなかったりする。
 
↑神高橋に向かう前に、清水川橋~神高橋間に架かるJR線鉄橋を、下流側向いて撮影してみた。
JR線鉄橋下の橋の様な物は、点検・修理の為に架けてあるんだろうか?

↑清水川橋~神高橋間に架かるJR線鉄橋を、上とは反対に上流側向いて撮影した写真。

清水川橋~神高橋間には、JR線鉄橋の他、西武新宿線が走る鉄橋も架けられています。
JR線鉄橋が神田川の上を真っ直ぐ走るのに対し、西武新宿線はJR線鉄橋に遠慮するかの如く迂回して走る。
多分JR線に先を越されたんだと思うけど、西武新宿線が未だにマイナーなイメージから脱却出来ない一因になってる様で同情してしまう。
バブルさえ弾けなきゃ、複々線化計画が頓挫したりしなかったろうに。
 
↑こちらは清水川橋~神高橋間に架かる西武線鉄橋、PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、下流側向いて撮った写真、
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、上流側向いて撮った写真です。
鉄橋下は一部休憩スペース(喫煙用?)になっており、そこから潜って下から撮影する事が可能、但し自分が撮影したのは去年なので(汗)、現在も下を潜れるかは不明です。

 
源流から数えて103番目の橋…「神高橋」
PC画面で観て左側(スマホ画面の場合は上)の写真は、JR高田馬場駅方面を向いて撮影した写真。
PC画面で観て右側(スマホ画面の場合は下)の写真は、新目白通り方面を向いて撮影した写真。
ビルが建ち並び賑やかな高田馬場駅方面に比べ、新目白通り方面は何処と無く鄙びた雰囲気――向きによって街の異なるカラーが楽しめる、一粒で二度美味しい的な橋です。(笑)

↑神高橋上より上流側を向いた風景…嘗て急流で知られた高田馬場渓谷の流れを目にする事が出来ます。
現在でも大雨が降った後の水流は、恐怖を感じるほど轟音立てて凄まじいです。

☆神高橋上流側立ち寄りスポット…神高橋下親水テラス
 
通常は封鎖されてますが、住民が水に親しめるよう、上流側の橋下にテラスが設けられています。
新宿区内はこういう親水テラスが数多く設けられてる印象、やはり金が集まる区は街計画からも余裕を感じる。


↑神高橋上より下流側を向いた風景…ここから下流へ川沿いに歩ける道が復活します。
神高橋上流側から下流側には、横断歩道を渡って行く事になりますが、信号が無いので渡る際は注意が必要です。
信号が設置された横断歩道が道路の両端に在るのですが、かなり距離が離れているせいか、信号無の横断歩道を利用する人は少なくないです。

コメント
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