AWA@TELL まいにち

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シンポジウム雑感

2008年07月22日 | 研究
プサンから無事戻りました。

さて、今回のシンポジウム、「東アジアの植民地主義~文化・技術・移動」というテーマで開催されました。
会場はウェスティンホテル朝鮮、APECが行われた際、首脳陣が宿泊したホテルです。そして、ウェスティンホテルは、息子ぷくと私の因縁のホテルでもあります。ま、それはそれとして。

今回のシンポジウムは、朝鮮半島に関する研究者だけでなく、台湾の研究をしている方も合同しての会でしたから、非常に面白い話題の提供と、研究の視点、方法などを知ることができました。また、発表してくださった方々の研究テーマも非常に面白く、聞いていて飽きることのない二日間でした。

私の発表は、「文化」という部会での発表でした。
朝鮮で行われた「国語」教育がどのように展開していったのか、教科書の変化、教授法の変化を資料をお見せしながら報告しました。愛知教育大学に転勤してから、子どもたち、つまり、日系ブラジル人の子どもたちを中心とした外国人児童生徒と接するうちに、成人教育という視点でしか見ていなかった自分に気づき、これまでの仮説を修正したものを報告した形です。子どもたちに対する教育ということは、言語形成期と重なるわけで、それをどのように配慮しながら教材が作られたのか、おいでいただいた方からのコメントもいただけました。代表者の崔吉城先生から、共生を目的とした現在と、同化を目的とした当時とで、何が違うのか、という質問をいただきました。実は、この点は、私自身が一番知りたいところです。「日本語」という言語の定着という視点で見れば、何も変っていないと思います。「子どもたちの将来のため」という言葉も、当時も現在も、現場の先生方が必ずといっていいほどおっしゃる言葉です。そこに描かれている「子どもの将来」がどのような姿なのか、そこが違うのか、それとも、それも同じなのか。ただ、現在の外国人児童生徒については、将来、母国に帰国する可能性があり、日本語以外の言語環境の中で暮らすことを想定していなければならないということがあります。その辺りのことしかお答えできませんでした。

私の発表の前には、お二人の先生が「博覧会」について報告なさいました。
博覧会が、どういった意味で開催されたのか、それを当時の人々がどう受け止めたのか、非常に示唆にとんだご発表でした。紹介していただいた写真もまた面白く、この日は最前列に座っていたので、とても興味深く聞いておりました。
ご発表にあった位置づけで今日の博覧会を見ることが可能なのか、そんなことを思いながら座っていました。博覧会そのものよりも、それに付随する娯楽に人が集まるという話し、今日となんら代わりがないようです。

第一日目の発表は、この4つでした。

このあと、昨年の夏に調査に行った巨文島の映像を見せていただきました。

この映像に関するコメントを、ソウル大学の先生お二方からいただきました。「緊張感」という言葉が今でも心に残っています。韓国では、たとえ親子の間であっても、植民地の話しをするには「緊張感」があるというコメントは、直接お聞きすると重みが違いました。

この後、夕食になります。

今回、準備、発表、会計に加えて、この夕食懇親会の司会も仕事になっておりまして、あんまり味わって食べることができませんでしたが、ビュッフェスタイルでした。カルビとユッケ、ジュク(おかゆ)を中心にいただきました。
2時間を越える懇親会は、にぎやかに終えることができました。

そして、解散。
夜の砂浜を散歩に出かけられる方、二次会にいらっしゃる方、それぞれでしたが、私は部屋に帰って、すぐ寝ました。

二日目の様子は、また別のところで。

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