関わっている科研3つのうちの一つ、教科書比較研究について、来週26日に国際シンポジウムが開催されます。パネリストをお引き受けしたのですが、実は初めての経験で、最近挙動が不審になるほど緊張しています。
パワーポイントのファイルは作りました。配布物も昨日、遅れて送ったのにも関わらず、準備できましたとのご連絡を頂きました。
先週末の九州大学のシンポジウムでは、3つの科研についてそれぞれお話したのですが、今回は教科書比較について。
博士論文で扱ったテーマで、興味を非常に持っている分野です。博士論文を書いているときには、能力も、時間も、お金も足らずに手が回らなかったことを何人もの研究者の方と組んで進めているので、報告会のたびに、新しい刺激を頂いています。
今回、私の発表は第五期読本、言い換えれば、国民学校で使用された内地と朝鮮の教科書の比較についてです。博士論文でまとめた結論にまだ検討の余地があった事を報告します。詳しくは、いずれまとめる徳島大学留学生センターの紀要か、科研の報告書で。
自分が日本語教育の現場に建つ人間であればこそ気づいたとも言えるものです。学生のときに理論的なことは丸暗記で覚えていたとしても、実際、理解する、納得する、腑に落ちる、というのは別のことなんですよ。働き始めて、留学生に日本語を教え始めて、ようやく「ああ、そう言う事だったのか」と思うことも。
人に教える仕事についてまだ5年弱です。
子どもを持って7年足らず。
人を育てる立場になって、親になってようやく分かることも多いですね。
いやなのは、一つ一つの「ああそうだったのか」と言うこと、その多くが戦前の日本では巧みに教育に取り込まれていたと言う事です。今の日本が教育をおろそかにしているとは一概には言えませんが、教育の持つ可能性に対する強烈な思いは、戦前のほうがはるかに強かったように感じます。数年おきに教育内容を変えるというのは、一部の学問では非常に有用だと思います。日進月歩の技術進歩もありますし。でもね、学校で得られる価値観というものは一定であって欲しいと思います。古いことをありがたがる必要は無いのですが、古くても今に通じるものがある事を知ってこそ、普遍の倫理観というものが養えると思うんですがね。どんなもんでしょう。
話は逸れますが、国旗国歌の問題で韓国にいたときから疑問に思っていることを。
国旗や国歌に対する態度は個人の良心に従うと言う事で問題はないと思うんですよ、あくまで自国の、ですが。
ただね、国際化教育というものに力を入れるのであれば、国際的な常識として、国の旗、国の歌にどのような態度で接するのが適切なのか、知らせる必要はあると思います。韓国にいたとき、韓国の国旗と国歌が流れる中、どういう態度を取ればいいのか、本当に困ったんですよ。座りっぱなしというのは失礼だと思いますし、起立したとしても、頭を下げるべきなのか、正面を見ておくべきなのか。
知った上で無ければ良心に従うなんて言い訳にしかなりません。知っていて、どちらを選ぶかが「良心に従う」ことだと思います。
国旗、国歌に反対する皆さんも、賛成する皆さんも、ちゃんと教えていますか?自分の価値観を押し付けるだけであれば、戦前の教育と何も変わりません。選択することができないんですから。
パワーポイントのファイルは作りました。配布物も昨日、遅れて送ったのにも関わらず、準備できましたとのご連絡を頂きました。
先週末の九州大学のシンポジウムでは、3つの科研についてそれぞれお話したのですが、今回は教科書比較について。
博士論文で扱ったテーマで、興味を非常に持っている分野です。博士論文を書いているときには、能力も、時間も、お金も足らずに手が回らなかったことを何人もの研究者の方と組んで進めているので、報告会のたびに、新しい刺激を頂いています。
今回、私の発表は第五期読本、言い換えれば、国民学校で使用された内地と朝鮮の教科書の比較についてです。博士論文でまとめた結論にまだ検討の余地があった事を報告します。詳しくは、いずれまとめる徳島大学留学生センターの紀要か、科研の報告書で。
自分が日本語教育の現場に建つ人間であればこそ気づいたとも言えるものです。学生のときに理論的なことは丸暗記で覚えていたとしても、実際、理解する、納得する、腑に落ちる、というのは別のことなんですよ。働き始めて、留学生に日本語を教え始めて、ようやく「ああ、そう言う事だったのか」と思うことも。
人に教える仕事についてまだ5年弱です。
子どもを持って7年足らず。
人を育てる立場になって、親になってようやく分かることも多いですね。
いやなのは、一つ一つの「ああそうだったのか」と言うこと、その多くが戦前の日本では巧みに教育に取り込まれていたと言う事です。今の日本が教育をおろそかにしているとは一概には言えませんが、教育の持つ可能性に対する強烈な思いは、戦前のほうがはるかに強かったように感じます。数年おきに教育内容を変えるというのは、一部の学問では非常に有用だと思います。日進月歩の技術進歩もありますし。でもね、学校で得られる価値観というものは一定であって欲しいと思います。古いことをありがたがる必要は無いのですが、古くても今に通じるものがある事を知ってこそ、普遍の倫理観というものが養えると思うんですがね。どんなもんでしょう。
話は逸れますが、国旗国歌の問題で韓国にいたときから疑問に思っていることを。
国旗や国歌に対する態度は個人の良心に従うと言う事で問題はないと思うんですよ、あくまで自国の、ですが。
ただね、国際化教育というものに力を入れるのであれば、国際的な常識として、国の旗、国の歌にどのような態度で接するのが適切なのか、知らせる必要はあると思います。韓国にいたとき、韓国の国旗と国歌が流れる中、どういう態度を取ればいいのか、本当に困ったんですよ。座りっぱなしというのは失礼だと思いますし、起立したとしても、頭を下げるべきなのか、正面を見ておくべきなのか。
知った上で無ければ良心に従うなんて言い訳にしかなりません。知っていて、どちらを選ぶかが「良心に従う」ことだと思います。
国旗、国歌に反対する皆さんも、賛成する皆さんも、ちゃんと教えていますか?自分の価値観を押し付けるだけであれば、戦前の教育と何も変わりません。選択することができないんですから。
日本を出るとそう思うことばかりです。
今秋、甥が通う保育園の運動会に行ったんですが
その開会式の国旗掲揚時の状態に驚きました。
雨の日だったので、体育館で行われたんですが、
来ていた保護者らしき人たちは、
立たない
見ない
話をやめない
お菓子を食べる・・・・
国旗がどこにあるかもわからず、
国旗の真下でおしゃべりに興じる家族もいました。
それぞれに考え方があるので、
国旗、国歌に対してどのような態度をとるかは
自由だと思いますが、
それは、理解した上での選択であって、
少なくともあの状態にはそんなものは存在しませんでした。
子どもはさらにこんな親の元で育ち、
肝心なことは教えてくれない学校に通うんだと思い
悲しさと不安を感じた時でした。