AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

日本語を教えていて思うこと

2018年12月12日 | 日本語教育
今日から3回、水曜日は、学部生が日本語を教えます。上田さんは後ろで微笑みながら見ているだけ。


月曜日に、新宿日本語学校に院生さんと伺って、江副先生からもいろいろとお話が伺えたのだけれども、

帰りの新幹線の中で、強く思ったのは、

どんな教え方でも、一番重要なのは、学習者が効率よく、少しでも早く、母語でできることの水準に日本語能力を押し上げること、

そんなことでした。

加えて、日本語が話せる、使える、ということで、学習者の生活の質を上げていくこと。

前者は、直訳可能なものを増やすということではありません。「上腕二頭筋に鈍痛があります」なんて言えなくても、「ここが痛いです」といえば十分なわけで、それがまあ、母語でできることの水準に、というお話。

後者は、前にも書いたけど、働く時に日本語ができないと不便、というだけじゃない。テレビを見ていて、おいしそうなものがあって、通販の案内があった時に素早くメモが取れるとかさ、おいしそうな食べ物があった時に成分表を見て自分に有害なアレルギー物質がないかを確認したり、きれいな人を見かけて声を上手にかけられたり、と、そんなお話。

そういった視点がない日本語教育は、文型や語彙を教えるだけになっちゃう。

昨日、実習の指導案を見せてもらったら、「~てあります」を扱うところだったんだけど、単に「て形」を作って「あります」を後続させるドリルをしているだけで、こんなの日本語教育はもちろん、どんな言語でもあり得ないよ、と話をしたところ。

日本語は誰でも教えられる、かもしれないけど、教えられるようになるまでのスキルアップをしているかどうかは、非常に重要な問題。

ハードルが低いだけに、「覚えてください」で終わるような授業をしていないか。

なんかね、そんなことをつらつらと思いながら帰ったのですよ。

特定の教授法がいいわけじゃない、万能な教科書があるわけでもなく、教師と学習者と学習内容の出会いは一度きりなので、臨機応変に、対応できる能力も必要なんだろうなあ。



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