せっかく現地に来たんだし、と、当初は日本語学校を訪問するつもりでいたんですが、大学院で指導していた方の勤めている学校に電話をしても、私用電話ということで取り次いでいただけず、また、メールを送ったんですが、なしのつぶてで、今回、日本語学校訪問はあきらめました。
韓国の大学も夏休みということで、こちらもうまく連携できず、私や学部生さんの都合のいい時期と先方の都合のいい時期のすり合わせが次回の課題だということがわかりました。
さて、訪韓前、数名の方から、「今、韓国に行って大丈夫か」と尋ねられましたが、マスコミがあおりすぎているだけ。ニュースで報道されているのは、「非日常的」で「売れる」場面であって、それが普遍的だと受け止められていることが問題なんですよね。
個人的には、大手マスコミに対する不信感が強く、といって、ネットの個人発信のものを信頼しているわけでもないのですが、第二次大戦に突入する前と同様、売れるニュース、視聴率が稼げるように報道するということが目につき、テレビや新聞の記事の質が落ちた、とつくづく感じています。
で、行ってみると、
ぶれぶれだ。
日本のビールは、何の変化もなく、コンビニの冷蔵庫に並んでおり、日本人だからと売ってくれないなんてこともありませんでした。
反日デモや集会をしているのを一度見ました。
が、反ムンジェイン大統領のデモや集会も見ました。
日本での報道は、日本人が面白がること、受け入れたいと思っていることがメインになってしまっています。
「普段と変わらない行動をする」ということが、一番の対応だと思うんですけどね。
さて、それはそれとして。
スマホを変えたばかりで、どうもカメラの扱いが。申し訳ない。
地下鉄に乗って思ったのは、景気が悪くなってるなあ、ということ。
地下鉄の広告、こんなふうに埋まっていないのを見るのは、本当に久しぶりの気がします。IMF危機のときですら、地下鉄の広告は埋まっていたように思います。
また、晩御飯を食べてホテルに帰る途中の道でも、今回は「あれ?」と思うことが2度3度とありました。
今回、学生さんと話したことは、広く、浅く、といった感じ。
高速鉄道に乗るときには、鉄道の線路が広軌であることに気づかせ、日本の鉄道政策と、朝鮮や満州といった大陸の鉄道政策の話を少ししました。併せて、戦前、日本の鉄道網、どこで時差の調整をしていたのか、という話もして、「大日本帝国」が広くなればなるほど、今の日本の標準時を適用するのが無理になるよね、という話もしたつもりです。
一般バスに乗るとき、私たちは現金でしたが、韓国の方たちは、電子決済カードですよね、T-money。あれのシステムが日本のシステムと違う、ということも。ただ、これは、走行音がうるさくて、多分伝わってない(笑)
景福宮では、朝鮮総督府の建物がここにあった、という話を。徳寿宮の近くの市庁でも、戦前からの建物である話をしました。青瓦台もよく見えました。
韓国の高速道路でキムパプを買わない方がいい、とか、私が韓国で生活していた時に教えてもらったこともすべて伝えたつもりです(笑)
ソウル駅の建物を見せられなかったのが心残り。
住所の表示が10年くらい前に代わった、ということや、日本語を排除しようという運動が一部で行われているという話、そんなことも、折に触れて話してきました。
こういった断片的な雑学が、今後のゼミの中で、つながりを作っていき、なぜ住所表示が変わったのか、なぜ旧総督府の建物が撤去されたのか、そんなことを思ってもらえるといいかなと。
とりとめのないことを書きましたが、まあ、なんか、こんな感じでした。
今回の韓国訪問で食べられなくてがっかりしているもの。
デジモクサル、デジカルビ、チボリ、デジクッパ、カルビタン、ポリパプ。
食後に飲むあまーいコーヒー。
甘ーいコーヒーは、機械が壊れてて、お店の人にコーヒーダメかな、と尋ねたら、いいコーヒーをわざわざ淹れてくださって、「これじゃないんだけどな、」と感謝しつついただいたという。
食べられなくてがっかりしているものが多いので、できるだけ早く、また行きたいと思っています。
今度は、南に行きたいな。