AWA@TELL まいにち

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<中教審>小学校高学年で平均週1回の英語教育を提言

2006年03月28日 | どーでもいいこと
どうなんだろう?
国際化教育の一環かと思ったら、そうではないのかな、「英語コミュニケーション能力の育成」と書いてあったけど。あ、でもグローバル化という言葉もあったんですね。

英語はとても重要な言語の一つであることは間違いありません。コミュニケーションのツールは、一つでも多く持っていた方がいいでしょう。

「英語コミュニケーション能力の育成」が目標であり、目的であるのなら実行あるのみですな、母語教育とのバランスが気になりますが。
でも、「グローバル化に対応」であるなら、「英語コミュニケーション能力の育成」は多くの手段の中の一つでしかないと思います。
コミュニケーション手段を持っていても、語る内容がなければ評価はされませんし。そういった意味では教養教育は重要です。

話が少しずれますが、留学生に日本語を教えていると、いろんなタイプの学生がいます。
日本語能力がめきめきと伸びる「若い」学生と、なかなかのびない「若くない」学生。授業の合間に雑談すると、たいてい、「若い」学生の方が話ができなくなります。政治、経済はもとより、歴史、文化、音楽、映画、多種多様な話に付いてこられるのは「若くない」学生の方です。
言語能力を高めることは重要です。その文化特有の言い回し、その文化の持つ概念を理解するには、言語学習はとても重要だと思います。そう思って日本語を教えています。
でも、それだけじゃないんですよ。

将来、国の内外で働ける有能な人材を育てようとするなら、言語能力もそうですが、語る内容を支える教養教育も充実させたいところです。

今、様々な形で「国際理解教育」が小学校で行われています。留学生センターで働いていると、留学生と一緒にイベントをしたいという申し出があったり、こちらから、留学生が日本の学校を訪問するという活動をしたりしています。でも、ここで「英語」が必修ということになったら、お互いを理解するとか、知るとかいうことではなくて、英語そのものの授業に邁進しそうです。特にこの日本という国では。

新聞記事を読んでいると、小学校では担任の先生が英語を担当するように書いてありました。すると、担任の先生の英語能力や英語教授法に関する理解でずいぶん差が出てきそうですね。小学校を卒業した段階で、英語が嫌いになっている子どもたちがどのくらいいるかが心配です。

早く小学校の英語教員の育成をするべきです。

母語教育がおろそかにならないように祈ります。
僕が気にしているのはそこだけです。

英語にしても、日本語にしても、文法チェックのようなテストではなくて、テーマに沿ってどれだけ自分の言葉で話せるか、性格でなくても伝えられるかというテストになれば、弊害がかなり減るんじゃないかな。

ああ、また変なこと書いちゃったなあ。
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