月曜日、喪中の挨拶状が届き、そういう季節になったなあと裏返して見た時の驚きは今でもうまく説明できません。
広島大学で中国哲学を教えていらっしゃった橋本敬司先生が、51歳の若さでお亡くなりになったというのです。
僕が広島大学の大学院に在籍していたころ、橋本先生は、留学生センターで助手をなさっていました。
時々部屋にお邪魔して、いろんな話を、特に、将来の就職の話や博士論文の話など、聞いていただいたり、アドバイスしていただいたりしていました。
その後、文学部に移られ、教鞭をとっていらっしゃいましたが、私が博士号を取った時も、それから、県立広島女子大学に就職が決まってご挨拶に伺ったときも、いつも同じ笑顔で迎えてくださいました。
論文を書くときの注意なんかも、今も覚えています。
同じことを学生さんに話していたり。
その後、私が広島市内に転居して、うちの近くを歩いていたら、橋本先生に偶然お会いし、「(引っ越す)うちを探してるんだ~」とおっしゃっていたことを思い出します。しばらくして、ご結婚なさったという連絡をいただいたのも思い出されます。
研究のことで特に深くお話をするわけでもなかったのですが、比較的年齢が近いということもあって、気軽に声をかけてくださって、それに甘えて、ずいぶんお部屋にお邪魔しました。
徳島に移ってからは、もっぱら年賀状のやり取りだけだったのですが、今回、このようなことになってしまって。
5月16日だったそうです。
自分が何をしていたのかとこのブログを振り返ってみましたが、珍しく10日間も記事を書いていないときでした。
ブログは、将来子供たちが自分の小さい時に僕が何を考えていて、何に笑って、何に怒っていたのか、子供たちが思い出しながらたどれるようにとできるだけ毎日書いているのですが、そこは空白の10日間になっていました。
韓国から学生さんたちが来るということで走り回っていた時でしょうか。
年々、自分を知ってくださっている方が減っていきます。
叱ってくださったり、諭してくださる方が減るというのは、やはりさびしいです。
こころよりご冥福をお祈りします。
広島大学で中国哲学を教えていらっしゃった橋本敬司先生が、51歳の若さでお亡くなりになったというのです。
僕が広島大学の大学院に在籍していたころ、橋本先生は、留学生センターで助手をなさっていました。
時々部屋にお邪魔して、いろんな話を、特に、将来の就職の話や博士論文の話など、聞いていただいたり、アドバイスしていただいたりしていました。
その後、文学部に移られ、教鞭をとっていらっしゃいましたが、私が博士号を取った時も、それから、県立広島女子大学に就職が決まってご挨拶に伺ったときも、いつも同じ笑顔で迎えてくださいました。
論文を書くときの注意なんかも、今も覚えています。
同じことを学生さんに話していたり。
その後、私が広島市内に転居して、うちの近くを歩いていたら、橋本先生に偶然お会いし、「(引っ越す)うちを探してるんだ~」とおっしゃっていたことを思い出します。しばらくして、ご結婚なさったという連絡をいただいたのも思い出されます。
研究のことで特に深くお話をするわけでもなかったのですが、比較的年齢が近いということもあって、気軽に声をかけてくださって、それに甘えて、ずいぶんお部屋にお邪魔しました。
徳島に移ってからは、もっぱら年賀状のやり取りだけだったのですが、今回、このようなことになってしまって。
5月16日だったそうです。
自分が何をしていたのかとこのブログを振り返ってみましたが、珍しく10日間も記事を書いていないときでした。
ブログは、将来子供たちが自分の小さい時に僕が何を考えていて、何に笑って、何に怒っていたのか、子供たちが思い出しながらたどれるようにとできるだけ毎日書いているのですが、そこは空白の10日間になっていました。
韓国から学生さんたちが来るということで走り回っていた時でしょうか。
年々、自分を知ってくださっている方が減っていきます。
叱ってくださったり、諭してくださる方が減るというのは、やはりさびしいです。
こころよりご冥福をお祈りします。
ネットで検索中にこちらの記事が目に飛び込んできました。
一夜明けた今も信じ難く、初めてお邪魔した次第です。
まさかまさか… 急なご病気だったのでしょうか。
私は他学部でしたが、先生の授業を取って質問に伺ったのを機に、
たまに研究室にお邪魔してはいろいろなアドバイスを頂いていました。
私が郷里に戻ってからは音信が途絶えていましたが、
何かあると先生の言葉を思い出し、指標にしてここまで来ました。
学生思いで熱く、本当に素晴らしい先生でした。
残念でなりません。。。
コメント、ありがとうございます。
私も、いまだに信じられません。
とても素晴らしい先生で、soraさんも私と同じ思いで橋本先生を思い出していらっしゃるんだなあと。
とても元気そうで、とても明るくて、いつもさわやかな笑顔を見せてくださったので、いつも先生のことは忘れずに、よく思い出しているので、急にこんなことになって、今日も一日中頭がボーンとしています。とても好きな先生でしたので、とても信じられないです。
広大HPに入って、先生のお名前を検索したら、もう教職員のリストにはないですね。さびしくてたまりません。
コメント、ありがとうございます。
広大にいらっしゃった時期を拝見して、私の記憶の中にある橋本先生とほぼ同じ時期の橋本先生を思い出されているのがわかりました。どこかで、お目にかかっているかもしれませんね。
素晴らしい先生だったからこそ、こうして、不思議なご縁が生まれたのかもしれません。
寂しいです、本当に。
1週間前に、何気なくネットを検索していてこちらの記事を見つけました。
橋本先生お元気かな、久々に会いたいから連絡をしようと思っていた所で、本当に驚いています。
しばしば、友人と先生のお宅に押し掛け、色々な話をしました。
思い出の中の先生はいつも面白く、何でもズバズバと言って下さり、大切なことをたくさん教えて頂きました。
まだまだ教えて欲しいこと、話したいことがたくさんあったのに…本当に早すぎます。
先生のことを書いて下さって本当にありがとうございます。
管理人です。
コメント、ありがとうございます。
2002年というと、私が県立広島女子大学の国際文化学部アジア文化コースで助手をしていた時期ですね。
ガイダンスの時など、同じ教室にいたのもしれませんね。
橋本先生のこと、覚えてくださっている方が多く、やっぱり先生のお人柄だと思いました。
また思い出など、教えてください。
橋本先生がお亡くなりになってるなんて、まだ信じれません。
とても悲しいです。
私も先生から沢山日本語を教えてもらいました。
いつもステキな笑顔で話をしてくれた事、今も覚えています。
コメント、ありがとうございます。
私も、今でも信じられません。
私のこのブログを読んでくださって、橋本先生のことを思い出し、また大切に思ってくださっている方がいらっしゃることがとてもうれしいです。
私自身が直接教えていただいたわけではないのですが、留学生センターにおいでになった時、ちょくちょくおたずねしておしゃべりしていました。それでもこうして先生のことが忘れられないのですから、Mimyさんのように、授業で直接接していらっしゃった方であれば、なおさらだと思います。