AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

日露戦争と第二次日韓協約

2005年05月26日 | 研究
 100年前、1905年の5月27日から28日にかけて、ロシアのバルチック艦隊と日本の連合艦隊が日本海海戦を行い、日本が勝ちました。そして、9月にはポーツマス条約が結ばれ、日露戦争が終わりました。
 韓国が日本の実質的な植民地になったのも、この年からといえると思います。第二次日韓協約で、韓国は外交権を日本に奪われてしまうからです。
 戦前の朝鮮半島で使用されていた初等教育機関の教科書を見ていると、もちろん1905年頃から登場する日本人監修の教科書もいろいろと考えさせられることが多いのですが、教科書自体の衝撃的な変化は、1910年の併合後になるかもしれません。
 今週末、大学開放実践センターでの公開講座に来てくださる皆さんには、100年前の実物の教科書を手に取ってみていただこうと考えています。

 1905年、この年、夏目漱石が「吾輩は猫である」の連載を開始しています。アインシュタインの相対性理論発表もこの年。蛇足ですが、ニホンオオカミの姿が最後に見られた(捕獲された)のもこの年が最後だそうです。

 夏目漱石の日本語については、以前、島根県立大学のシンポジウムでお話ししたことのある「豚がぶうとないたとき」で扱いました。
 日本語は、確実に変わっています。「正しい日本語」とか「ことばの乱れ」というのは、あまりいうことじゃないような気がします。正しいかどうか、乱れているかどうかというのは、何というかな、コミュニケーション阻害の度合いではかるしかないように思います。

 「ことばの正しさ」に対する極端な信仰は、戦前の教育を引きずっているような気も。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本語サロン | トップ | 非常勤のお仕事 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

研究」カテゴリの最新記事