日本語教育実習の授業で、それから、非常勤でお邪魔している大学では、日本語教授法Ⅱの授業で、実習としての模擬授業が始まりました。
日本語教育実習のほうは、来年度前期に、実際に留学生を対象とした授業を持たせていただくので、その練習段階です。
人数が多いので、90分まるっと教えるようなことはできず、何を教えるか、ということを決めるところから始まるのですが、
導入、説明、練習
といった基本的な流れがうまくできるかなあということを数回の教案指導を基に話し合っています。
実は、私が一方的にしゃべる授業よりも、こういう教案指導のときのほうが、学生さんと密に話せるので、自分の中ではいちばん学生さんが伸びる時間だと思っていて、土曜日も出てきて対応しています。
とはいえ。
今年度は、教壇に立った途端真っ白になるという学生さんは今のところいませんが、
どうしても、自分たちがこれまで受けてきた語学の授業のイメージが先立ってしまって、
言葉で説明しよう、言葉で説明しようという姿勢が目立ちます。
ゼロ初級のクラス、という前提で、また、学習者さんの母語もまちまち、共通で理解できる言語は日本語以外何もない、という国を選んで設定しているので、
四苦八苦しています。
四苦八苦していないときは、難しさに気づいていないだけで、授業後、
「あなたの話す言葉が理解できていたら、この授業のレベルをはるかに超えてるよ」
ということも、非常に多いわけです。
海外で働くとき、その現地の言語で指導できるというのは、メリットにもなり、デメリットにもなります。
それを理解しておいて、デメリットをカバーするには、日本語だけで日本語を教える訓練を積んでおく必要があると思うわけです。
私自身、韓国で教えていた時、
この、「日本語だけで日本語を教える」という訓練をしていたおかげで、
つたない韓国語で説明するよりも、場面の提示であったり、視覚情報を利用したりで、なんとかしのいできました。
ちょっと気になっているのは、
「日本人だから日本語は教えられる」と考えている学生さんが、まだ、いるようだ、ということ。
言い換えれば、教える項目の分析が非常に甘く、調べることもせずに、内省だけでかたをつけてしまっているということです。
内省も、視野を広く持てばいいのですが、先入観に邪魔されて非常に特別なところだけを取り上げようとします。
取り上げるのは狭くても、教員自身は、全体像を見ておく必要があると思っています。
ただ、うちの学生さんや、非常勤先の学生さんの様子を見ていて、個人的にうれしいのは、
日本文化を扱うような授業を作ろうと指示した時、
自分も初めてのこととか、調べなければならないようなことに手を出そうとする学生さんがいないということ。
自分が調べなければわからない、ということは、「日本文化」といっても、きわめてステレオタイプ的なものに陥っていることが多く、
調べてわかることは、学習者さんと同じレベルにしか学べないということだと思っていますから。
例えば、海外で日本文化を紹介する、ということになった時、
僕は、着物の着付けなどできませんから、そんなものはしませんし、
仮にするとしても、できる人を講師に呼ぶことを前提に動きます。
茶道にしても、華道にしても、書道にしても、
柔道、相撲、そんなスポーツでもそうですが、
調べてやらなければならないことを調べてやっても、「紹介」以上にはならず、教員自身の自己満足に過ぎないのではないかと、批判的に考えています。
剣道は数年間やったから、少しはできるかなあ。
書道も学校の「習字」程度だけど、学校文化の中の位置づけ、という角度からだったらできるかなあ。
そんな〔伝統文化〕に縛られなくても、たくさん、扱うことはあるはず。
話はそれましたが、
教えるための技術の巧拙は、時間が解決してくれると思います。学生さんにもそれは話しているつもりです。そして、成績評価の重点にもしていません。
重要なことは、どれだけ準備をしているか、という、誰にでもできる部分。
教える内容を分析することはもちろん、どんな教材を使ってどうやって教えるか、どんな言葉がつかえて、どんな言葉は未習なのか、鏡の前で、友達の前でどれだけ練習したか?
それは、その人の取り組み方ですから、重要視しています。
小中学校の教育実習を見せていただくときも、フリップの見せ方や、子供たちの注意を引く方法など、学ぶところはたくさん。
学生さんにも、できるだけたくさんの授業を見てもらって、疑似的な教壇経験を積んでほしいと思っています。
ちょうど、小説を読んで、主人公の経験を疑似体験するようなイメージでしょうか。
多くの先生を見ることで、自分中の教員像が、よりくっきりと厚みを増していく、と考えれば、授業見学もとても有意義だと思います。
さあ、金曜日も四年生が授業をするぞー。
1年生が毎週見学に来ているのはすごいなあと感心しています。ほかの学年の日教の皆さんもぜひ。
日本語教育実習のほうは、来年度前期に、実際に留学生を対象とした授業を持たせていただくので、その練習段階です。
人数が多いので、90分まるっと教えるようなことはできず、何を教えるか、ということを決めるところから始まるのですが、
導入、説明、練習
といった基本的な流れがうまくできるかなあということを数回の教案指導を基に話し合っています。
実は、私が一方的にしゃべる授業よりも、こういう教案指導のときのほうが、学生さんと密に話せるので、自分の中ではいちばん学生さんが伸びる時間だと思っていて、土曜日も出てきて対応しています。
とはいえ。
今年度は、教壇に立った途端真っ白になるという学生さんは今のところいませんが、
どうしても、自分たちがこれまで受けてきた語学の授業のイメージが先立ってしまって、
言葉で説明しよう、言葉で説明しようという姿勢が目立ちます。
ゼロ初級のクラス、という前提で、また、学習者さんの母語もまちまち、共通で理解できる言語は日本語以外何もない、という国を選んで設定しているので、
四苦八苦しています。
四苦八苦していないときは、難しさに気づいていないだけで、授業後、
「あなたの話す言葉が理解できていたら、この授業のレベルをはるかに超えてるよ」
ということも、非常に多いわけです。
海外で働くとき、その現地の言語で指導できるというのは、メリットにもなり、デメリットにもなります。
それを理解しておいて、デメリットをカバーするには、日本語だけで日本語を教える訓練を積んでおく必要があると思うわけです。
私自身、韓国で教えていた時、
この、「日本語だけで日本語を教える」という訓練をしていたおかげで、
つたない韓国語で説明するよりも、場面の提示であったり、視覚情報を利用したりで、なんとかしのいできました。
ちょっと気になっているのは、
「日本人だから日本語は教えられる」と考えている学生さんが、まだ、いるようだ、ということ。
言い換えれば、教える項目の分析が非常に甘く、調べることもせずに、内省だけでかたをつけてしまっているということです。
内省も、視野を広く持てばいいのですが、先入観に邪魔されて非常に特別なところだけを取り上げようとします。
取り上げるのは狭くても、教員自身は、全体像を見ておく必要があると思っています。
ただ、うちの学生さんや、非常勤先の学生さんの様子を見ていて、個人的にうれしいのは、
日本文化を扱うような授業を作ろうと指示した時、
自分も初めてのこととか、調べなければならないようなことに手を出そうとする学生さんがいないということ。
自分が調べなければわからない、ということは、「日本文化」といっても、きわめてステレオタイプ的なものに陥っていることが多く、
調べてわかることは、学習者さんと同じレベルにしか学べないということだと思っていますから。
例えば、海外で日本文化を紹介する、ということになった時、
僕は、着物の着付けなどできませんから、そんなものはしませんし、
仮にするとしても、できる人を講師に呼ぶことを前提に動きます。
茶道にしても、華道にしても、書道にしても、
柔道、相撲、そんなスポーツでもそうですが、
調べてやらなければならないことを調べてやっても、「紹介」以上にはならず、教員自身の自己満足に過ぎないのではないかと、批判的に考えています。
剣道は数年間やったから、少しはできるかなあ。
書道も学校の「習字」程度だけど、学校文化の中の位置づけ、という角度からだったらできるかなあ。
そんな〔伝統文化〕に縛られなくても、たくさん、扱うことはあるはず。
話はそれましたが、
教えるための技術の巧拙は、時間が解決してくれると思います。学生さんにもそれは話しているつもりです。そして、成績評価の重点にもしていません。
重要なことは、どれだけ準備をしているか、という、誰にでもできる部分。
教える内容を分析することはもちろん、どんな教材を使ってどうやって教えるか、どんな言葉がつかえて、どんな言葉は未習なのか、鏡の前で、友達の前でどれだけ練習したか?
それは、その人の取り組み方ですから、重要視しています。
小中学校の教育実習を見せていただくときも、フリップの見せ方や、子供たちの注意を引く方法など、学ぶところはたくさん。
学生さんにも、できるだけたくさんの授業を見てもらって、疑似的な教壇経験を積んでほしいと思っています。
ちょうど、小説を読んで、主人公の経験を疑似体験するようなイメージでしょうか。
多くの先生を見ることで、自分中の教員像が、よりくっきりと厚みを増していく、と考えれば、授業見学もとても有意義だと思います。
さあ、金曜日も四年生が授業をするぞー。
1年生が毎週見学に来ているのはすごいなあと感心しています。ほかの学年の日教の皆さんもぜひ。