湖南師範大学の皆さんへの特別講義が終わりました。
今日は、「知識」から「運用」へ、というテーマで、
座学で学んだ日本語を、いかに使えるようにするかというお話でした。
冒頭、学生さんに前に来てもらって、僕が顔を殴るしぐさをして、
この時、「うれしい気持ちを伝えるには何といえばいい?」と尋ねました。
学生さんは、「先生に殴られました」という文をすぐ作ってくれたものの、
「うれしくないです」と苦笑い。
しばらく考えてもらって、
「顔に、毒蜘蛛がいて、それを僕が殴って殺したときは、うれしいでしょう?」
というと、みんな「そうだ、」とうなずいてくれました。
わかる人は分かりますよね、
殴ってもらった、とか、殴ってくれた
といえばいいわけです。
殴ってもらった、のほうには、殴られた人の依頼が入っていますが、
殴ってくれた、のほうには、依頼は入っていません。
湖南師範大学の皆さんも、「殴ってもらった」とか「殴ってくれた」は既習事項で、おそらく、文型練習では何の問題もなくすらすらできると思います。
でも、実際の場面で、感謝の気持ちを伝えるという意味では、おそらく、使えなかったと思うのです。
そんな話題から始まって、
どんな意識を持って日本語を勉強すれば、「使える」ようになるか、という話を具体的な話を取り上げながら進めていきました。
あ。
一つ学生さんに投げかけて、最後に教えてもらおうと思ったこと、聞き忘れてる。
どこかで聞けるかなあ。
あのね、中国で食堂に入ってご飯を食べて、ものすごくおいしくて気に入った時に、食堂の人に何といったら、喜んでもらえるか、例えば、結果として一品増やしてくれるとか、お代わりをただでしてくれるか、とか。そんな話題。
韓国で、喜んでもらえる表現は、いくつか、頭の中に入っていて、本当においしいものを食べた時は、そういって感謝の気持ちを伝えます。
単に「おいしいです」じゃあ、面白くないじゃない?
それにしても、
いい時間をいただきました。
名簿をいただいていたのに、研究室に忘れてしまって、名前を呼んで話ができなかったのが心残り。
まあ、完璧な授業なんて無理なんですけどね。
今日は、「知識」から「運用」へ、というテーマで、
座学で学んだ日本語を、いかに使えるようにするかというお話でした。
冒頭、学生さんに前に来てもらって、僕が顔を殴るしぐさをして、
この時、「うれしい気持ちを伝えるには何といえばいい?」と尋ねました。
学生さんは、「先生に殴られました」という文をすぐ作ってくれたものの、
「うれしくないです」と苦笑い。
しばらく考えてもらって、
「顔に、毒蜘蛛がいて、それを僕が殴って殺したときは、うれしいでしょう?」
というと、みんな「そうだ、」とうなずいてくれました。
わかる人は分かりますよね、
殴ってもらった、とか、殴ってくれた
といえばいいわけです。
殴ってもらった、のほうには、殴られた人の依頼が入っていますが、
殴ってくれた、のほうには、依頼は入っていません。
湖南師範大学の皆さんも、「殴ってもらった」とか「殴ってくれた」は既習事項で、おそらく、文型練習では何の問題もなくすらすらできると思います。
でも、実際の場面で、感謝の気持ちを伝えるという意味では、おそらく、使えなかったと思うのです。
そんな話題から始まって、
どんな意識を持って日本語を勉強すれば、「使える」ようになるか、という話を具体的な話を取り上げながら進めていきました。
あ。
一つ学生さんに投げかけて、最後に教えてもらおうと思ったこと、聞き忘れてる。
どこかで聞けるかなあ。
あのね、中国で食堂に入ってご飯を食べて、ものすごくおいしくて気に入った時に、食堂の人に何といったら、喜んでもらえるか、例えば、結果として一品増やしてくれるとか、お代わりをただでしてくれるか、とか。そんな話題。
韓国で、喜んでもらえる表現は、いくつか、頭の中に入っていて、本当においしいものを食べた時は、そういって感謝の気持ちを伝えます。
単に「おいしいです」じゃあ、面白くないじゃない?
それにしても、
いい時間をいただきました。
名簿をいただいていたのに、研究室に忘れてしまって、名前を呼んで話ができなかったのが心残り。
まあ、完璧な授業なんて無理なんですけどね。