小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

殉教を考える

2017年02月20日 | 日記
  前回のブログより続き どちらかといえば無神論に近いと自認している。とはいえ神社仏閣に行けば、世間並みに祈り賽銭を投じる。結婚はキリスト教プロテスタント派教会でとり行い、親の葬式は仏教に依った。極めて無節操であろうが、誰かに咎められる筋合いのものではない。 今後、身辺に大きな変化が生じて、救いを求めるべくより強い宗教的な何かにすがりたくなったら、それはその時の流れ。無節操に輪をか . . . 本文を読む