前回のブログの最後に「MOMAT館(所蔵作品展)に足を伸ばした。身体がふるえるような、嬉しい驚きに遭遇したのである」と書き残した。そのことを書く前に、さらに嬉しいトピックを発見した。木口版画家の柄澤齊さんについては、これまで版画芸術家としてだけでなく、文芸・芸術評論やミステリー小説を書く多才な人としても再三紹介している。なので詳しいことは省くが、山梨南アルプスの麓に住む柄澤さんが、最近『棟方志功展』に行ってきたことをフェイスブックで公開されていたのだ!
いろいろ前後して申し訳ないが、実はMOMAT館に足を伸ばして、震えるほどの嬉しい真意とは、柄澤齊さんの師匠である日輪尊夫氏の作品、20点ほどが纏まって展示されていたからである! 氏の実作品は数点しか見たことがなく、その全容を確認したことがなかった。で、駒込の「ときの忘れもの」というギャラリーに所蔵されていることを突きとめ、日輪氏の作品にふれることができると歓び勇んで出かけたのであった・・。その顛末はさておき、作品等の感想については、またまた予告になるが次なる機会にする、多謝。
ともかく今回は、柄澤さんが『棟方志功展』について公開した記事を紹介したい。この二人の版画家については、関心のない読者が大半だろうが、個人的重要なメモとして残しておきたい。日輪さんが亡くなられた今、木口版画を継承するレジェンド的な存在として、柄澤齊の名前は忘れてはならないし、彼が棟方志功について書くことは、日本版画史においても超重要である。
以下は、ほとんどが柄澤さんの記事の引用になるので、あらかじめ了承されたし(柄澤さんには事後承諾になるがFB上で承認をいただくようにしたい)。
引用はじめ
東京国立近代美術館の《棟方志功展》(12月3日まで)を観て、とりわけ陰刻という方法に特有の、念力ともいうべき志功のパワーにあらためて目を見張った。
1950年ごろの一時期、志功はそれまでの陽刻による「板画」とは印象の異なる陰刻の制作に没頭する。
写真は陰刻による代表作の一つ『柳仰板画柵屏風』(りゅうぎょうはんがさく 1951)
会場に以下のようなキャプションが付されている。
「棟方が師と仰ぐ柳宗悦に捧げられた作品。よく似た「柳と仰」の文字を逆字にして向き合わせた図を中心に、裸婦を左右に振り分けて配置している。
(中略)
裸婦には東西南北の守護神である青龍、白虎、朱雀、玄武を示す紋様、「仰」の中には丸で囲った12人の恩人の名が彫り込まれている。」
古代の王をたたえるために造られた石碑を拓刷りしたようなこの作品を前にして、捧げられた「柳先生」は目を白黒させたのではないだろうか。あたかも陰刻の版画のように、白目と黒目が逆転したかもしれない。
柳宗悦を絶対者として仰ぐ版画家が、師弟としての、あるいは主従としての二人の関係を切っても切れないものとするための、これは「まじない」として創られたのではないかとさえ思える。
鋸目が残る板に、入れ墨を彫るように彫刻刀を走らせる志功の、動物的エロスといえるほどの運動と呼吸は画面隅々にまで充溢し、墨の濃度と粘度、さらには滲みがもたらす印象は、血液のそれをさえ思わせて息苦しい。
なんの材を用いたのか。
樹木の霊力を味方とするために、わざと鋸の目が粗く残る材を選んだのだろう。
作者固有の想像の中でしか脈絡を持たない牽強付会と「神話」との連結が、棟方志功を陰刻という方法に駆り立てた動機の底にあるように思うが、それを破綻すれすれのところで、即興的にまとめ上げてしまう力技もまた、古代の工人のように抜きんでた運動神経を物語っている。
会場を一巡すれば墨に中毒(あた)る。
においはしないけれど、おぼえのある煤や膠のにおいや、削りだした板の香や彫刻刀の鉄の香が混じり合い、志功その人の体臭のように絡みついてくる。
▲柳仰板画柵屏風
上記に続いて紹介されているのがこちらの作品。
上の写真について、柄澤齊さんのコメントを引用したい。
これも陰刻による同時期の傑作『運命頌』(1950)のなかの一図。
高いところに掛けられていたので歪んだ写真になってしまった。
はじめてこれを見たときの驚きといったらなかった。
ベートーヴェンの交響曲『運命』をテーマにしてツァラトゥストラを彫ってしまう!!!
どういう頭をしているのか、ただもうすごいと思い、ニーチェに見せてやれば壊れた頭が治るのではないかとさえ思った。
棟方志功から一点だけ選べと言われるなら、だんぜんこれ。
棟方志功の版画を写真におさめたのは結構な点数あるが、それでも全容を表わすものではない。また、体調は万全とはいえないから、すべての作品を丹念に観たとはいえない。エクスキューズになるが、比較的空いているときに、撮りたい・写しやすいものを選んだということで・・。下の写真は、柄澤氏にならって陰刻版画だと思うものであるが、どうか。
これもまた何かの連鎖でしょうか?
先月友人と青森の棟方志功記念館が来年春に閉館するという話になり訪れるチャンスがないままとても残念に思っていました。
そこに小寄道さまのブログ!
陰刻版画、はじめて目にしました。圧倒されました。
余談ですが、柳宗悦はいろんなところに繋がってきますね。先週たまたま小鹿田焼について調べていたのですが、宗悦が著書『日田の皿山』(1931年) で「世界一の民陶」と小鹿田焼を称賛したと知ったところです。
また次なる連鎖がありますように、ブログを楽しみにしています。
棟方志功の目くるめく作品で感慨を深めたとのこと、何よりです。が、記念館が閉鎖ですか。残念です。
小鹿田焼は「世界一の民陶」。韓の国から連れてこられた陶工たちの仕事は、要所要所に確かな足跡を残してますね。
柳宗悦もしかり。その作品も秀逸ですが、彼らの息子たちも、それぞれの分野でいい仕事を残してます。
昔、彼の住まいが民芸記念館になっていて、その近くに私も住んだことがありました。2,3回しか行かなかったです。
もう一度、再訪するべき目的地にエントリーします。