小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

目に見えないものを、見るためには 2

2015年07月13日 | 日記

 

福島原発は東京電力がつくり、主に東京へ送る電気を発電した。
東北でつくった電気を何故東京へ。地産地消が合理的かつ低コストなのに。
3.11事故の直後、小出裕章さんが登場して、骨身にしみるように理解できたことがある。
原発というものが途轍もなく危険なものだということ。
なぜ、福島が選ばれ、住民は受け入れたのか。原発と共に生きてきた、その真の理由とは・・。
その切ない理由、背景は、開沼博によって噛んで含められるように身体に入ってきた。

原発の建設は、人口の少ない貧しい僻地が選ばれる。その地ならではの歴史・文化、人々の暮らしは無視される。
いま福島の原発周辺の地は、少なくとも50年ほどは人が住めないし、住めるという保障はない。借りの住まい、生活の保障もなし崩し的に廃止されつつある。

 

沖縄は1972年にアメリカから返還された。安倍ちゃんの大叔父佐藤栄作(岸信介の実弟)の功績大らしい。
返還されても基地が存続したのは、世界平和を維持するためのもの・・。
で、佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞したけど、それを喜んだ沖縄県民はいただろうか。
非核三原則なんて真っ赤な嘘だった。日米間で密約が交わされ、その内容や米軍の実際的な影響力を知る人はわずか。
沖縄に核兵器があることを暴いてどうするんだという人も多かった。その抑止力こそ、平和をうむ源泉だと思わされた。

そうだ、東京に原発を作ることを考えなかったことと、日本にある米軍基地の75%が沖縄に集中している事実を見て見ぬふりをしていることは、ほぼ等しいことではないか。
知らぬ存ぜずが都会に住む人の賢い選択だ、と日本政府は画策したし、マスコミもことさらに論う愚は犯さない。

たしかに憲法9条は平和を担保し、アメリカの戦争に巻き込まれない歯止めとして機能してきた。一方、アメリカの核の傘をふりかざして、日本の平和を保ってきたという側面もある。
庇護なんかされていない、アメリカに守られてなんかいない。自分たちでつくった平和だ、と強く主張できるひとはいるだろうか。
そういう人は、沖縄の人たちのことを考えたことがない、たぶん。

以前沖縄で、三人もの屈強な米兵に小学校にかよう女子が犯された。その犯人たちを、日本は裁けないという「日常」と「治外法権」がある。(未見だが、アメリカの映画監督・ジャーナリスト、ジャン・ユンカーマンの最新映画『沖縄 うりずんの雨』では、その犯人のひとりが出演しているらしい)

平和をつくる、平和を維持すること。それには人と、途方もない金、モノ、情報を必要とする。
そんな単純なことを捨象(捨て去って)して、「ラブピース」だけを連呼する人の気もしれないのだ、私は。

ある意味、安倍ちゃんが一部の人から人望を集めるのは、違った側面から日本の平和を真面目に考えた結果かもしれない。
でも、彼らはものすごい勘違いをしている。
平和というものが、戦争ができることと等価だと考えていることだ。

いま、世界中にテロ事件があるけど、これは戦争ではない。むかしのような国家間の全面的な戦争は起こりえない。と私は確信している。

日本が主体的になること。自分で考え、自分の力で、平和を実現すること。
そのために何をするか。何が必要か。真っ先にやることは、目に見えるはずである。

いやいや。そんなことは考えたくない。いままで十分だろう。安倍ちゃんが辞めたら元にもどる。
日本人はこれまで事なかれ主義でなんとかやってきた。そういう方が結構いる。残念だが。

しかし、現政権で決まったこと、やってきたことは歴史に残るし、法解釈や議会できめられた運用規定は制度に組み込まれる。

原発も平和も、日本人が主体的に考えていかないと、「途轍もない危険なこと」が待っているような気がする。

私たちには目に見えないものあり、それがとんでもない影響力をもっていることがある。国家権力はその代表といえるが、スマホ用のマクロレンズみたいなものがあるわけでもないので、そのわずかな変化さえも読み解く工夫を個人レベルでもつべきではないか。

 

近頃、こうした安保法制がらみのことを書くようになってから、みるみる読者が減っている。しょうがないことだと諦めるしかない。

 

最後にマクロレンズで撮った写真を2,3掲載しよう。

 

 

 

 

 

 


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