百日紅は、その字義を辿れば、当て字だということはわかる。江戸時代には夏の花として親しまれ、100日もの長いあいだ紅い花を咲かせることから「百日紅」と名づけられた。ものの本には、中国南部が原産で、「紫薇」(しび)という漢名で渡来したとあった。こちらの名の方が、由緒ありそうで格調高い。
ご承知のとおり、和名の「さるすべり」は木肌がつるつるとして、猿でもすべるという意からきている。
ただし、滑らかな樹皮の幹をもつ樹木は、調べてみるとリョウブ、ヒメシャラ、夏椿などがあって、つるつるとした幹だけを見て、あの木は「さるすべり」だと迂闊には同定できない。
谷中の天王寺近くに、くねくねと曲がりながらも、艶やかな木肌の幹・枝をもつ立派な樹木がある。花の咲き方や形状をみれば「さるすべり」なのだが、小生が注目するこの木は、如何せん花の色が白いのだ。
6月くらいからずっと咲いていて、さすがに今日この頃は、鮮やかな白さは衰えてきたものの、のっぴきならない猛暑にも打ち克ってきた強者の花。その咲きっぷりの見事なときに、一句詠もうと奮い立ったこと何度か・・。(だが、白い花の「さるすべり」があるかどうか、さして調べもせずに逡巡したこと多し)。
先日、別件で夏の歳時記(角川ソフィア文庫)をつらつら読んでいたら、「さるすべり」があって数ある例句の後尾に、女性俳人の二句が目に入った。
星生る百日白の花の上 粟津松彩子
さるすべりしろばなちらす夢違ひ 飯島晴子
前者はまったく知らないが、飯島晴子の名前だけは知っていて、幾つかの句は何かのアンソロジーで読んだ。自由大好き、伝統たいせつ、そんな感性をもっている。同感するしかない。そして、粟津という俳人からは、「百日白」と表記する大胆さを学ぶ。白い花を咲かせる「さるすべり」は、確かにあるのだと、これで肝が坐った。来年、「百日白」を詠むことを愉しみにしよう。
名前通りの百日紅の樹は、同じ谷中霊園に当然のごとく咲いていて、奥まったところでも目立つ。濃いピンク色で、さらに生命力は強いのか、今も色褪せることなく元気な色彩を放つ。
▲「百日白」とは離れた場所。一昨日に撮った。
▲向こうにも百日紅の樹がある。
百日紅を詠んだ句として、小生が震えるほどに好きな句がある。石田波郷のそれである。
女来と帯纏き出づる百日紅 (をんなくとおびまきいづるさるすべり)
来、まく、出づ、三つの動詞が重なり、さらに、「滑り」も音韻に含まれる。いろいろ解釈できる句だが、全体としてエロスを感じさせる。木肌は裸をイメージさせ、幹の柔らかなくねくねした曲線は、まさしく肢体といっていい。
言葉遣いの特長としては、動詞を多用することの「速さ」と「リズム」、それが清冽さを生んでいる。で、百日紅の樹皮はまさに裸の質感があるのだが、句調が清々しいテンポのある文語調なので、下手なエロティシズムに陥らない、これぞ秀逸。
「きもの」は廃れてしまっても、その美の本質は変わらない。だから、この句を成立させる文法は、やっぱりその斬新さだとおもう。季語の百日紅を詠んだ句は数多あるが、俳句に求められる花鳥諷詠の正統を超える、普遍的とも思える凄みを感じた。
正直書けば、波郷のことはほとんど知らなかった。これから少しずつ、かの深奥に近づいていこうと思う。
最後に、白い花つながりの話題で締めたい。
夏に咲く白い花といえば、月下美人もまた例外的に美しい。今すぐに咲きそうな花がご近所にあり、お願いして、開花の時をわざわざ知らせていただいた。質の劣る写真ゆえに、妖艶な白さは伝わらない。まあ、雰囲気だけでも味わっていただけたらと・・。
蛇足:百日紅を調べているなか、杉浦日向子の漫画『百日紅』があることに、ふと気がついた。ところが探しても見つからない。北斎の娘、三女の葛飾応為を初めてフューチャーした意欲作。杉浦の江戸漫画、その傑作である。
主人公の応為は、近年とみに脚光を浴びている。実は、『百日紅』はほとんど読んでいない。どうしたことだ。どこを探しても出てこないのは、断捨離に紛れたのかなあ。
ダブって買ってしまう本がある今日この頃。本病みが昂じて、恥ずかしながら、耄碌は激しく進行中なのかなあ。お後のこと、よろしくお願いします。
追記:断捨離したと思っていた杉浦日向子の『百日紅(一)』を元カノが探してきてくれた。(二)はあるのか定かではない。