もう四十年いじょうもまえのこと。吉岡実と吉本隆明の詩群とたたかい、やがて疲れ、熱りがさめつつあるとき。長田弘の詩はとても軽ろやかで、新鮮だった。
ひらがなの多い詩で、平和で優しいという印象をもった。万人のためのポエム? かれの言葉はさいしょ、ひねくれた私の深部には届かなかった。もちろん私が未熟だったのだが、 詩の構成が骨太で、すこし哲学的なにおいがし、それが好ましく、また大学の大先輩でもあり、不遜にも付かず離れずに読んでいこうとは思った。
その後、広告のコピーなど書くようになってから、彼の言葉づかいの平易さは尋常ではない決意や厳しさでつらぬかれていることに気づく。
それは詩ではなく「見よ、旅人よ」という旅行記ふうのエッセイを読んだとき。鋭い観察力と瞬間の思考力に裏打ちされていることが明快にわかったのだ。
付箋を貼ってあったスペインの章から引用する。
「フラメンコのうつくしさは、人間の手と目の、激しいうつくしさにつきるのではないか。
どんな激しい身ぶりのさなかにも踊り子の目は、暗く沈鬱な輝きをうしなわない。
そして、鼓動のように息づまる手拍子の正確なうつくしさが、血のなかにはいりこんでくる。
アーイ、誰かが泣きながら胸を叩いている。
百舌のくちばしでわたしの心臓をつついたら、きっとこんなリズムがする、とわたしはおもった。
明るい死が、わたしのこころにせわしげに、でたりはいったりしたら、きっとこんな鋭い音をたてるだろう。」
詩では感じることのできない、硬質な丁寧さと柔らかな描写が共存するような、詩魂あふれる叙述である。
次に「シンガポール・ブルース」の章から。
「言葉につまずく。言葉にひっかかる。たかが言葉で傷つく。いつもそこから繰りかえす。手がかりは、そこにしかわたしにはない。ぶきっちょなやりかただが、そうやってはじめてみえてくる何かをみる。その何かかがみえてくるまで、つまずいた言葉にこだわる。」
彼は詩人というより言葉の職人と呼ぶにふさわしい、とわたしは思う。詩人にありがちなスタイリッシュな表現、洗練されたレトリックなぞまったく使わないからだ。
なにかが見えてくるまで、そのものの本質が見えてくるまで、その長年の経験と勘を澄ませて言葉に磨きをかけるのである。
好きなものは、コーヒーとキャベツ、そしてフクロウだったという。なんと、わたしとおなじ。
詩を読まぬ人びとのために詩を書くことが、長田弘という詩人の仕事であった。まだまだ書いてほしかった。
(追記:去年の七月、「記憶を耕すには」と題して、長田弘さんの詩を引用していた。むかしの仕事仲間との再会や、記憶するための構えについて書いた)
※このサインは「深呼吸の必要」にあったもの。なぜか違う伝票がはさんであった。じぶんでも思いだせない。本をざっと読み返していたらサインがしてあった。長田さんがこんなきれいなアルファベットを書いていたことが分かった。しばし見入り、ご冥福を祈った。