小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

なれるか、老人ベランダー

2015年05月06日 | 日記

還暦をすぎて、自分なりに変わったことは、植物によく目をとめるようになったことだ。

散歩のとき他人様の庭先で、見たことのない花なぞ見つけるとしばし佇む。

最近はタブレットを持ち歩き、手軽に撮って楽しんでいる。先日は家内と歩いていたら、高山植物らしきものを見かけた。あとで調べたらショウジョウバカマで、稀少であることが分かった。(この事の判断は、保留というより限りなく悪だ)

 

美しい花はもちろん心ときめく。が、いわゆる観葉植物の緑もまた心地よい。亜熱帯ボタニカルとしていま人気の、モンステラの緑は艶やかで見ていてあきない。我が家との相性がよいのだろうか、繁殖する勢いがよくて株分けせざるえなかったほどである。

 

アロエに代表される多肉植物にも感心させられ、独特の色カタチが楽しめる。緑の葉そのものが花のようなもの。色そのものが緑ではなく紅いもの。見た目にも不思議なものが多い。また、繁殖もかんたんで、葉をそのまま土に入れ込んでおくと、自然に増えたりする。手間もそれほどかからないし、都会向けの観葉植物として絶好であろう。

 

 

 

千駄木に「平澤剛花屋」というフラワーショップがある。細い路地にさりげなく、小さな店だが濃密なボタニカル空間。一年ほどまえに出来たときくが、あつめた美しい花々や観葉植物などのセンスは素晴らしい。ご主人はカナダで修業したというところが曰くありげだ。まだ二、三回しかお邪魔していないのだが、そのつど若い男性客が訪れては一本の切り花を買い求めていた。若いときそういう慣習はなかったので、なにか軽い感動をおぼえた。花束を贈るなんてことは上流のひととか、よほど西洋かぶれの軟弱者として見られていたとおもう。今はプレゼントされて嬉しいものに、花ほど最上位に選ばれるものはないであろう。

近頃の男たちは、花の名前の由来とか、育て方を知っている人が多いのではないか。妻がテレビの園芸番組とかよく見ていて、私もつきあって見ていたら、知らぬまに少しその良さが分かるようになった。まあそれが正直なところであるが・・。

  ※「平澤剛花屋」で一本の切り花を買った。生産者は信州の花農家で全国にひとりだという。Sofferという薔薇の花。この妖しい色にときめいた爺は怪しい。

 

 (追記)むかしから梟が好きだったので、森林の成り立ちとか樹木の生態には関心がある。四手井綱英はじめ「森」関連の本を読むのは好きだ。先日、NHKスペシャルで明治神宮を特集した番組を見た。

なにもない荒地から100年余りで、あれほどの自然林(まったく人の手を入れない森)をつくった好ドキュメント。植物だけでなく、そこに集まる粘菌、黴、キノコ、昆虫、鳥、哺乳動物など完全に連鎖した生態系をつくりあげた。独自のサンクチュアリといっていいだろう。絶滅したはずのメダカや昆虫が、あの原宿、都会の隣で息づいているのである。大鷹も来て巣作りし始め、繁殖に成功した。あらためて、この明治時代のプロジェクトを調べてみたい。NHK久々の、ヒットではないか。(まだ、「花燃ゆ」は我慢しつつ見続けている。何十年ぶりの大河ドラマで期待大であったが・・・)

上は自室の多肉植物。これも平澤剛花屋さんで買い求めた(700円)。名前は失念した。こういうところがいい加減なわたしである。今日、可憐な花を咲かせてくれた。愛でたいとおもう。

出来うるならば、金をかけない盆栽を楽しみたいのであるが・・。外の世界にまったく目を向けない好々爺になりそうでこわい。


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