近所の奥さん同士が窓越しに、声を大にして世間話をしている。奥さんといっても、小生からすれば一回りも年配の方々、人生の先達である。「コロナ、コロナで頭が痛くなっちゃうわ。テレビを見るとそんなのばっかりでしょ。どー思います、いまの世の中」、そんなやりとりが聞こえてきた。
そうですね、ほんとやりきれない。でも、今が踏ん張り処なんです、事態の進展にきちんと向き合いましょう。油断せず、用心、堅忍なぞと、賢者気取りで反芻している自分がいる(嫌な性分である)。
世界の動きはなにやら、コロナ禍の収束への道筋をつけたがっているようだが、どう推移していくのか知らん。日本でも、自粛はもう限界だというムードが横溢している。背に腹は代えられないとばかりに、経済復興を望む人が大勢をしめているのはしょうがないんだろうか。
いっぽう、中国、韓国では、流行の再来ともいうべきクラスター感染があり、解放ムードに不穏な影が射し込んだ。
ロックダウン、緊急事態宣言が解除されれば、人々は外に出て自然とふれあう。友と出会い、職場で働き始める。そうやって緊張の糸が切れ、いつもの平和を取り戻す。以前とおなじ日常の風景が目の前にある。普通の人だったら、まず気は緩む、元気のみなもとを感じる。
こんなことは、自粛したときから想定内のことだ。ヨーロッパの行く末が気懸かりだ。
新型コロナは一筋縄では終息しない。無発症の人たちの中にひっそりと潜み、機が熟したら再び伝染の牙をむく。再度のパンデミックに見舞われないよう祈るしかない。
さて、死亡した感染者の臨床例が、世界各国から集まって来、死に至る経緯やら原因がだんだんと明らかになってきた。なかでも、突然の容態悪化は「サイトカイン・ストーム」(免疫系統の暴走)がおおきな要因との分析があった。
主たるものは、肺炎、呼吸障害だが、脳梗塞や心臓発作で亡くなった患者もいる(28歳のお相撲さん、肺炎からの多臓器不全?)。驚いたのは、アメリカのNY州で5~10歳の児童3名が死亡した事例。川崎病に似た症状つまり全身の血管に炎症を起こして亡くなったことだ。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、ウイルスが体内で増殖して悪さをするが、最終的には私たちの免疫機能を狂わせ、自らが自らの細胞を破壊し、死に至らしめるという想像を絶するものだった。
免疫系とはこれまで、「自己」と「非自己」を鋭敏に見分けて、「非自己」を排除するという反応を起こすもの、と定義されている(後述)。
新型コロナウィルスを「非自己」だとすると、それが「偽自己」に変異して「自己」に紛れ込む。なんとその「偽自己」は増殖して「自己」を殺しまくる。怖ろしいことに、「反・免疫」ともいえる自傷機能をもっていた。
おなじくRNA遺伝子を持つエイズ・ウィルスの場合はどうか。免疫機能が不全となって別の病原体に感染し、様々な病魔に犯されて死んでゆく感染病だが、新型コロナウィルスはさらに悪質、その上をゆく。
免疫系のもつ防御機能を狂わせ、病原体を殺すべき刃を自らの細胞に仕向けさせる。手の込んだSF小説のような、現実では考えられない究極の自死クライシスが起きている。
で、小生は以前にさらっと読んだ多田富雄の『免疫の意味論』を引っぱり出して、ふたたび学習しなおした。
マクロファージ、リンパ球、キラーT細胞、骨髄から生まれるB細胞など断片的には覚えていた。が、免疫系そのものの成り立ち、基本構造や免疫器官のそれぞれ機能や役割はまったく忘れた。というより、無知に等しい。しかも、免疫の原点ともいうべき「胸腺」のことを完全に失念していたのだ。
「胸腺」は、文字の通り胸の中にある柔らかい白っぽい臓器である。若い動物では心臓の全面を覆うようにかなり大きな面積を占めている。人間では10代前半で最大となり、約35ℊに達する。性成熟した以後、急速に小さくなるのも特徴である。 (多田富雄の『免疫の意味論』より)
先週のビデオニュースでは、阪大名誉教授の宮坂昌之氏が[コロナに負けない免疫力をつけるために]という番組に登場し、大いなる刺激をうけた。メダカでも持っているという、太古から備わっていた免疫の大本「胸腺」。いまや私の体の中は風前の灯なのか。なにせ80歳になれば、その痕跡さえもなくなると言われる「胸腺」。
いまも「免疫」の根幹として活躍している、T細胞の幾つかは「胸腺」で生まれたのだ。いろいろな機能、働きをする細胞に分化したが、かつては余分に作りすぎた細胞をアポトーシス(自死)に導くという面妖なメカニズムもあった。
言いかえれば、人間の「老化」あるいは「死」というものに、深く直結する現象にも関わっているらしい。
邪魔者扱いされたこともある、この不思議な「胸腺」は、私たちの子供時代にどんなことをし、何がくり広げられていたのか・・。免疫のイロハを知るためにも、「自己」を探求するためにも、学び直そうと思う。
おっと悪い癖がでて、長くなりそうだ。確認したいこともあり、いったんここで筆を置き、この続きをあらためて書こうとおもう。(続く)
▲1996年刊行、内容も古くなっているだろう。多田富雄は晩年、リハビリしながら新作能を書き、プロデュースする学者であった。小生はそこに興味を抱き、彼の著書(上記の本および『生命の意味論』)を、古書ほうろうで買った。
▲「免疫の意味論」の副読本の位置づけで南伸坊との共著。これはBOOK・OFFで買った。分かりやすくというより、面白く読ませるという狙いか。もちろん参考になった。伸坊さんは、いま何をしているのか・・。