小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

年末のルーチン、報道写真展に行く

2021年12月27日 | 日記

今年もあとわずかになった。この時機に開催される報道写真展を観るのは年末のルーチン。だが去年は、コロナ禍は落着いていたが、なんとなく気乗りせず自粛した。いまオミクロン株の市中感染が喧しいなか、平日の日本橋三越に行く。(室町のコレドに入っている金子半之助という店の、稲庭うどんと天丼で腹を満たした後で・・会場に赴いた)

今年の展示方法は、従来と若干違っていた。東京オリンピックがあったせいか、スポーツ部門が広いブースに固まって展示された。かなりのスペースを設けて、日本選手が活躍した瞬間のベストショット。これだけ並べられると、(基本は)無観客の大会だったことは忘れるくらいだ。

その他、報道写真の各受賞作品、皇室関係も区分けされ、3.11の10周年追悼や有名人の物故なども分りやすいコーナーを作っていた。観覧者の関心が向くままに、スムーズな動線で会場内を移動できる。食べ終わって少々、集中力が欠如していたのか、ぐいと引き込まれるような印象の強い作品は少なかった。

なんとなれば、報道する側の姿勢、視座というものが、このところ市民感覚から遊離しているように感じるからだ。皇室への度を超えた人間性の無視は、あまりにも目に余る。皇室およびその関係者にはプライバシーなぞないかのように、彼らの言動を追い、あげつらう。市民の一部もそれに同調して、皇室の人々の人権を一顧だにしないで踏み込んでいく。

新型コロナも同様で、相変わらず「感染の怖さ」のみが強調され、「死にいたる病」かどうかという医学的・科学的な分析・判断を、マスメディアは欠いているように思われる。医療態勢が充分かという思惑もあるだろうが、識者のなかにも今回のオミクロン株への見方、対応方針にかなりのブレがあるように思う。

受け止め方、報道の匙加減で、人々の行動様式はずいぶんと変わるし、経済的にもおおきな損失が出かねない。素人というべき愚生が口を出すべき問題ではないが、昨今のはしゃぎ過ぎの報道にあえて異論を呈示した。

 

▲展示場正面のポスター、今年の顔というべき大谷翔平は別の記事でふれたい。

▲1月の展示でまず飛び込んできた、トランプ大統領支持派のアメリカ合衆国議事堂占拠。今世紀の政治的事件では最も歴史的だ。現役の大統領が背後にいて、扇動もしくは影響を与えていた。過去に例のない事態であり、政治・社会学の壁をこえても徹底的な検証をおこなってほしい。

▲東北で行われた復興祭のひとつ。山形だったか失念した。

▲来年はどうなるのか。とりあえずブースター接種だろう。

▲様々にデザインされ、カラフルなマスクを選好する、美意識の高い人たち。

▲地元の舎人日暮里ライナーの脱線事故と、ノーベル賞受賞の真鍋淑郎さんが一緒なのは違和感あり。

 

▲無人に見えない観客席をデザインしたのは隈研吾さんの発案か、それともトレンドなのか・・。

▲競技のピクトグラムを人間が動いて表現したパフォーマンスは秀逸だった。

▲なぜレスリングを撮ったのだろう。自分でもわからん。

▲分量的にはやや少ないが、撮影の熱量は遜色ないパラリンピック各種競技。スポーツとして見て面白く、奥も深かった。

▼その他、個人的に注目したもの。

中国で発掘された巨大恐竜、ほぼ全身の骨格化石。ただ、これは作り物だった! なぜ報道展でこれを?(アップ後に判明) 

▲見知った俳優が亡くなっていた。若い時のヒーロー、キックボクサー沢村忠さんもしかり。ご冥福をお祈りします。

尾瀬の深まる秋


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