昨日の東京新聞。例のお騒がせNHK会長が参院予算委員会の参考人として出席し、ピーター・バラカンに都知事選が終わるまで原発問題に触れないよう要請していたと、証言したとのこと。
「籾井勝人」だが、名前はいい名前。だが、存在そのものは「飛んでも」男だ。
ピーター・バラカンは私と同じビートルズ同世代で、R&B,ソウル好き。ちょくせつ話したことはないが、よく同じ空間にご一緒した。
渋谷でのライブハウス※、乃木坂のカフェ。その頃、バラカンさんが「天の声・地の声」的なシナリオを何度も推敲していたことを思い出す。詳細は長くなるし、プライバシーの侵害に及ぶかもしれないので端折る。
ピーター・バラカン氏は、NHKだけでなく複数の放送局から原発の問題に触れないよう要請されていたらしい。これぞまさしく「ハラスメント」である。ご心中お察し申し上げたい。
都知事選で原発が争点になることは当たり前である。
そのシングルイシューが問題である以前の、人類にとっての、未来の全世界的エネルギーの包括的課題をあらためて考えるテーマである。ことほどに壮大である。
(籾井勝人は安倍首相のお友達。その「安倍ちゃん」の二人のお爺さんが岸信介と佐藤栄作で、魂と日本を米国に売渡した張本人であるが、このことを詳細に実証的に書くことはいつか必ずわたしはやる)
さて、都知事選で原発が争点になることは、わたしは当然の「成り行き」だと思う。
日本が豊かな国とか強い国とかではない、世界的に見て日本がオルタナティブな役割をもてる可能性がある国として視られていると思う。
当たり前である。
福島、柏崎の原発は東京電力のものであり、都民はいうまでもなく受益者である。
原発を東京ではなく地方に建設したことは、それが高いリスクとコストを要するからだ。
東京は日本の首都であり、そこに住む私たちがどのような選択を採るのか、日本人のすべて・世界の人々が注目しているはずである。
「原発か、反原発か」は、あらゆる観点から考えなければならないが、その道の専門家でさえ評価が分かれる。
ただ、マスコミ的に分析するならば、「電気料金があがる」「他のエネルギー資源に負担がかかる」として、原発推進は止む無しとする人々である。
考え方の時間軸が、現在に重きをおく、やや近い将来を指標にしている。また、その価値観はかなり損得勘定が優位を占めている。
一方、反原発に組する人は、「核廃棄物の最終処理方法が確定していないリスクは子子孫孫にまで波及する」というアンケートの結果でも明々白々。将来的にも長めのスパンで判断している。
どちらが正しい、間違っている。あるいは善い、悪い。
そんな二元的な認識は俄かにできるはずがない。
しかし、私たちは決断をいま迫られている。何を基準に考えるか、迫れている。
自分のこと、現実生活のこと、足元が大切なこと。
それとも、家族の未来のこと、地球の未来のこと。
わたしも含めて、都民の皆さんが見られている。
※たぶん。マルタ・セバスチャン ヴァルティナ、その他が思い浮かばない。