小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

羽生結弦は光源氏なのか

2014年02月26日 | エッセイ・コラム

 光源氏の降臨ではないか。ソチ五輪での金メダリスト羽生結弦君の演技をみて思った。
 光り輝くような美しさではない。気品や男の色香でもない。いわゆる今どきのイケメンの可愛さでもない。
日本女性が好む「かわいい」を超える、羽生結弦の類まれなる美しさはどこから来るのか。日本の男にとって、世界の女性が憧れるような絶対無比の美しさをもてる術はあるのだろうか。

 彼がジャンプの着地に失敗しても、その悲しみを耐え忍ぶような一瞬のまなざしが何故美しいのか。
 私は、彼を支えているバックボーンのようなもの、身体能力の磨き上げ方の根底にある精神的なもの、それは古代の大和男に代表される「光源氏」だと思ってしまった。
 つまり一言でいえば、深い悲しみを知っていること。

 私は源氏物語を読み通してはいない。(谷崎と与謝野の源氏をすこしだけ)
多少齧ってはいても、光源氏のように帝になったかもしれない高貴な方の心情さえさらさら、私には想像に及ばない。

 物語の主題は、政争や女性遍歴ではなくて、無常観のようなもの。この世に生きていく上で、避けることのできないものを抱え、そのことを自分の胸の奥に閉まっておく。どれだけ位の高い生まれであっても、いかんともしがたい別れ、不幸はふりかかる。光源氏は、そんな深い悲しみを抱えているお方なのだ、とかつて私は不遜ながら思いいたったのである。

 羽生結弦の氷上の演技、表情は、やはりあの東日本大震災を体験した深い悲しみに根差しているのだろう。表には出さないけれど、こころの奥底にかけがえのないものを失った悲しみを湛えていると思いたい。
 あどけない表情やスマイルは19歳の男の子だが、羽生結弦は憂愁を知ってしまった光源氏に近い存在だと静かに思っているのは私だけであろうか? 

 それにしてもわが日本だ。

 地位とか立場が「光源氏」的な方々が「私が責任者なんです」とか「人間としてクズだ」なぞとはしたないことを平気で口にしている。
「私が」「僕が」「俺が」と、まずそれを言わないと自分の存在を認めてもらえないと思っている、自己チュー男どもがこんなにも日本に蔓延している。
 羽生結弦君の奥ゆかしい語り口とか振る舞いを、すこしは見習ったらいかがでしょうか。

 それとも、そんなに敷島の大和男子に拘るのでしたら、今どきの大和撫子がどうなのかを見聞していただきたい。
 浅田真央ちゃんも全世界の人々を魅了しましたが、色いろな分野で日本女性の凄さはある種の普遍性をもち始めていることは確かである。

ただし、男は、女性によって作られるということを、現在の大和撫子は知っていただきたい。
 むかし一流企業の管理職の男性と同席したとき、「結婚してから、靴下は自分で履いたことはない」とプチ自慢したことがあった。わたしは言葉をのんだ。
部下たちはその上司の間違った「男らしさ」を誉めそやした。お愛想かも知らないが。私はそういう男をつくる母親とか伴侶がいることは嘆かわしいことだと思う。

もうやめよう。結弦君のはなしが汚れる。

でも、最後にこの日本を背負って立つ男たちに、君たちよりも強くて美しい大和撫子を見てもらいたいな。

((1/2) Karate Japan vs Italy. Final Female Team Kata. WKF World Karate Championships 2012

この3人の日本女性のアップデートの3人がこの人たちです。

Motion graphics live performance in Japan

 

 

 

 


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