小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

「父とチャコとボコ」を見る

2008年01月25日 | エッセイ・コラム


NHKのテレビ、ETV特集「父とチャコとボコ~戦中未発表詩」をみる。

 金子光晴の私家版詩集が古書店で売りに出された。それは光晴自身が戦時中に作成した、たった一冊の詩集だった。その詩集には金子本人の詩だけではなく、妻と子供の詩も収められていた。

彼らはいわば戦争忌避者たちであり、とくに長男は招集令状が来たにもかかわらず病気であると偽って両親とともに戦争を逃れた。彼らは富士の裾野の山中湖半の粗末な家でひっそりと自給自足の生活をしていた。

詩集はそのときの生活や心情を反映したものだ。戦争を忌避することが国賊だといわれた時代、彼らは息を潜めて自分たちの生きることの自由と悦びを表現していた。そのことの事実は重い。

あの時代、人はみな滅私奉公の精神でなんらかのかたちで戦争に関わった。大岡昇平も島尾敏雄も戦地に赴いた。

金子たちは声高に戦争反対を言うのではなく、富士山の麓でひっそりと生きていた。もし摘発されたら、彼らは監獄に入れられ死刑にさえなったかもしれない。それが嫌で多くの人たちが泣き泣き戦争に行き、夫や息子たちを送り出した。

 

私は戦争を知らない。だから言えるのかもしれないが、あのときの日本人はニーチェ風にいえば「畜群」だったとおもう。金子はその畜群の仲間に入ることを、死を賭してまでも拒否した数少ない日本人であるし、妻の森美千代、長男も同様の選択をした。金子一家は類まれなる勇気の持ち主たちだった。

どす暗い綿の固まりなかに浮遊する芥子粒ほどの光だ。見える人しか見えない極小の輝きだ。


年老いた光晴が語る。

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これからいろんな支配者がね、いろいろ勝手な方向にもっていこうとする

 (日本人が)何かにすがりつくという傾向がね、過去よりも強くなるんじゃないかと思います

 そいうものに対応していってね、対応できるものってのは、個人の力より他にないと思うんです

 個人がしっかり対応する、しっかり自分をつかめることね、自分のつかんだことがあえて言えることね、

 こいつが一番肝心なことだと思うんです

 それはね個人個人の革命というふうに考えています

 それがない以上はね、いつでもね現状が非常に不安でたまらなくなればね、なんかそれを助けてくれるものにすがりつくと・・・それがどういうもんであっても構わないというようなこと繰り返すんじゃないかと思うんです。

 やっぱり魂のうえにおいてですね、自由はないと思うんです

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戦後の、そして現在の、自由に満ちた世界のなかでは金子の言葉は届かない。しかし戦時中の金子の生活を思い合わせると、この切れ切れの主張は重く、いとおしく思える。


富士山をみて「糞面白くねえ」とつぶやいた光晴。

現在の富士山を見たら、光晴はどんな言葉をささやくだろうか?

 

それにしても金子の絵は素晴らしい。デッサン力、色彩感覚がこれほどのものとは!


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