小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

月一原発映画祭、今もなお

2019年07月20日 | エッセイ・コラム

フクシマ原発事故に関する映画・ドキュメンタリーを観た方はたくさんいるだろう。事故後は当然だが3,4年前でも、NHK制作はじめ様々なスペシャル番組は放映された。民放でも深夜枠ではあるが、被害・避難者のドキュメント番組などを観ることができた。もはや8年も経つと、観る機会が少なくなったのは、さびしい限りだ。

それよりも今、運転されて40年が経過する原発が目立つようになった。廃炉になるかと思いきや、各地で再稼働承認の動きが活発になり、これに対する国民の関心も薄いのはどうしたものだろう

永年運転に耐えてきた原子炉は、40年も経てば、使われている金属そのものの寿命が限界に近づく。最悪の事態を回避するために、廃炉にするというリスク管理。それは当初の設計・建設計画から組み込まれていたし、東電の「安全神話」を形成したものだ。それさえももはや、反故にされてしまった。

しかも、20年も延長して運転を再開するという、時限爆弾のスウィッチを自ら押したようなものだ。(金属疲労を調査するときに、非破壊検査というものを実施するが、これによっても金属としての素材の強度は縮減する。)


そんな恐ろしい状況のなか、タイムリーというべきドキュメンタリー『「東海第2」岐路に立つ脱原発運動』が、地元の「月一原発映画祭」で上映された。監督は、ホームレス、ダムその他の社会問題、パレスチナはじめとする国際問題など、幅広く活躍するビデオジャーナリストの遠藤大輔氏である。

東京から100キロ圏内にある茨城県東海村にある第2原発は前述したように、廃炉になる段取りであったのだが、いつの間にか再稼働への途を進みはじめた。3.11大地震ときには、東海村第1原発では非常用電源が停止して、あわやの危機に陥ったが、寸前で危機を脱したいわくつきの施設だ。

東海村のこれらの施設は、住宅地に隣接された場所に位置し、万が一の事故が発生した場合には、その被害は甚大なものになると予測されている。また、首都圏への被害、影響も深刻なものになると懸念されている。これを知名度ある識者が公言すると、どこぞの筋から相当の圧力がかかる。発信力が微力な、まあ筆者のような個人ブロガーが書いたところで、無視されるのが関の山だが・・。

話はそれるが、まず原子炉のための「冷却水」が何度ほどあるか、ご存じだろうか。原子炉を冷やすために圧力をかけて循環させる。水の沸点100度を超えて、「冷却水」の温度は250度にもなるという。原子炉は3000~4000度にも達するから、250度でも充分に冷やせるわけだ。

しかし、「冷却水」を行き届かせる配管設備、それに使われている素材はたぶん劣化している。金属の疲労は原子炉よりも蓄積し、老朽化は漸進的に進んでいるはずだ。設備そのものの放射能汚染については詳らかにではないが、原発はその原子炉の耐久性だけなく、すべての設備において、耐用年数の限界を超えつつあるのだ。

そうしたリスクが身近にあるにも関わらず、東海村の地元住民の意識・関心は意外にも低いらしい。また、最後の砦ともいうべき、最終決定権を持つ茨城県の行政側も、いまだに態度を保留し、曖昧な姿勢のままという。

県内の反原発市民たちはいま、なし崩し的に再稼働が決定するのではないかと、必死の再稼働反対の投票キャンペーンに取り組みはじめた。

当日は、映画放映後に監督の遠藤大輔氏による、コンパクトであるが中身の濃いスライドショーの説明があった。大学の講師でもある氏の解説は、簡潔かつ要領をえたもので分かりやすい。

原発施設の何が危険で、そのリスク、被害の想定範囲、低線量被爆の実態、今後の課題、メディアの低調と社会問題と市民運動との相関関係など、原発問題への今日的な取り組みのいっさいがわかる、まさに知識・情報の要点がまるごと分かるトークであった。

▲遠藤大輔氏は、ビデオジャーナリスト・ユニオンの代表も務める。『ドキュメンタリーの語り方』(勁草書房)の著書あり。

 

当日は遠藤氏のほかに、「いばらき原発県民投票の会」の代表、鵜沢恵一さんや自主的避難者で原告として法廷で争っている方(名前を失念しました)も、それぞれの立場から現状の報告があった。

▲「いばらき原発県民投票の会」の代表、曽我日出夫さん。遠路はるばるお越しいただく。

 ▲避難先住宅の公的支援が次々と打ち切られるなか、彼の法廷闘争はまだ続いている。そして、助成をまだ受けているのは、彼の諦めない不屈の精神による。

映画祭の参加者は以前よりも少なくなってきている。老朽化した原発が再稼働されるようなご時世だから、関心をもつ方がどんどん減ってきているのだろう。喉元過ぎればなんとやらで、世界的に原発そのものが廃絶される方向へシフトしている。でも、原発問題に関心を持ち、そのことを話し合える場所が、地元にあるというのはこころから喜ばしいと思う。

欧米先進国だけでなく、中国はすでに再生可能エネルギーの開発に大きくシフトチェンジした。日本の原発を導入する予定であったベトナム・トルコでは白紙撤回された。安倍首相自らが乗り込んでの売り込みも、いまや水泡に帰したのである。

大手メディアのほとんどが、こうした潮流をきちっと報道しないし、再稼働や廃棄物燃料の最終処分問題などにもあまりふれない。各電力会社は、日本の産業そのもの基幹をなし、大手企業から地場産業まで、大きな影響力をもっている。もちろん原発で既得権益を握っているのは、民間企業や行政側の特殊法人をふくめ、かなりの層に喰い込んでいて、電力会社の意向が反映される構造はゆるぎない。

世界的な脱原発の動きがあっても、原発をめぐる既得権益はあまりにも膨大であるため、それをやすやすと手放すことはしないのだ。彼らは必至で再稼働を画策するだろうし、広告料の減収を恐れるマスコミさえも陰でコントロールしている。

脱原発、再稼働阻止のために、既得権益層に対する看視をやめてはならない。

(実力行使をしてまでも・・、というご同輩の発言もあった。彼はいくつもの反原発の法廷闘争の原告としての当事者である。その活動はいま、厳しい状態にあることが察せられた。トークが終わっての懇親会は、ひとり3分ほどの発言時間しかないため、苦渋にみちた表情で、切なる思いを述べたと思う。参加者には、それぞれの思い、さまざまな顔、立場の方たちが集まる)


さて、この「月一原発映画祭」に参加している本間俊雅氏を紹介したい。彼は3.11の直後から東北にいき、各地でボランティア活動をしてきた。津波被害者への支援、フクシマに移動しての除染作業、筆者と同年齢でありながら現地ボランティアとして活躍してきた。

そうした活動もやや下火になるつれ、彼はそれまでのボランティアで経験したことの知見や人間関係を生かして、フクシマに関する情報やアーカイブをホームページで公開することにしたという。行動の形態をかえても、反原発への思いに変化はない。

1年ほど前から「月一原発映画祭」そのものをビデオにおさめ、自身のHPに公開したいとのこと。ただしかし、最近、交通事故にあい、顎を骨折するなど身体的な苦痛が残り、制作・編集に支障をきたすようになったという。同じ’50年生まれだが、好き勝手なことを書き続けている筆者とは、その志、伝える力に雲泥の開きがある。見倣いたい。

これまでの豊富な経験やノウハウにもとづき、貴重なドキュメンタリーの数々を紹介している(もちろん、ユー・チューブ等で一般公開されているものも貼りつけている)。すべてを自費で、本間さんは情報を発信しているが、なかなかできるものではない。興味のある方は、下記のリンク先をぜひクリックしていただきたい。

直近のものでは、弁護士河合弘之監督の『映画『日本と原発 4年後』の全編版をみることができる。河合監督は、フクシマ関連の映画を精力的に世に問い、その成果がニューズウィークにも紹介された。見ごたえは充分にある。

  

本間俊雅氏

東日本復興支援アーカイブス ローリング61 ⇒ https://toshiaboutweb.blogspot.com/


私たちの日常的な会話のなかで、特段のことがなければ福島の話題はのぼらなくなった。誰しもが記憶に残しているが、当事者でない普通の人々は、あえてその話題にふれない。何を今さら、という心理的な忌避感が働いているのかもしれない。それはとても人間的な感慨であるし、身の回りことを日々有意義に過ごす。それを最優先するのは、真っ当なことだ。そうした心情に、筆者は掛け値なしに同調できる。

その意味で、地元の「谷中の家」で開催される映画祭は、忘却しつつある「フクシマの記憶」を鮮やかに蘇らせてくれる。

参加するひとは、地元民よりも外からわざわざ来る方が多い。原発問題の話ができる、フクシマの情報を吸収することができる、そんな称讃の声も多い。筆者はこの会のメンバーではないのだが、都合のつく限り参加したく思う。

さあ、明日は参院選だ。原発問題を表立っていう人はいないが・・。一票は重いはずだ。

追記:先日「英国建築事情、その勉強カフェにて」という記事でふれた,元NHKのH氏は、今回お見えにならなかった、残念至極である。


 


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